【長編小説】六花と父ちゃんの生きる道 第十話 受け取り損ねたプレゼント
その言葉を聴いたとき、六花とお母さんは並んでソファに座っていた。座って、ドラマを観ていて、直前まで、父ちゃんも並んで観ていたのだ。
父ちゃんは、ソファで脚を抱えて、箱ティッシュも抱えて、鼻をすすりながら頑張ってはいたのだが、次第に声が漏れ始め、嗚咽が抑えきれなくなり、しまいには大声で泣き出した。そう、あれは哀しいドラマだったのだ。
「父ちゃん。」
お母さんが言う。
「うるさい。」
六花が言う。
父ちゃんは、ティッシュの箱を抱えたまま立ち上がり、
「君たちは、あれだな。こんなに哀しいドラマを、平気な顔で観ていられるなんて、本当に、あれだよ。」
と訳のわからない抗議をして、
「俺は無理だ。もう……耐えられない。」
と、畳の部屋へ引き上げた。
しばらく父ちゃんの泣き声が聞こえていた。六花は呆れて
「だめな父ちゃんだね。」
と小さな声で、お母さんに言った。
そのとき、お母さんは六花を抱き寄せ、テレビ画面を観たまま、言ったのだ。
「ね。でもね。それでも好きなのよ。あのひとのことが。」
独り言みたいに、言ったのだ。
お母さんは、父ちゃんのことが好きだった。たくさんの色々な男たちと付き合ってきたけど、最後に選んだのは父ちゃんで、父ちゃんを想う気持ちは、枯れることがなかった。おそらく、最期まで。
思い出せてよかった。大好きな父ちゃんとお母さんが、互いに大好きでよかった。六花は泣きたいほど嬉しかった。
目の前のアルバムに向かう。
どうしよう、これ。
捨ててしまうこともできた。きっとお母さんはそのつもりだったと思うから。けれど、お母さんがいなくなってしまったいま、六花にはそれができそうになかった。
綺麗な頃のお母さん。もちろん最期まで、格別綺麗なひとだったけど、この十代から二十代にかけての、恋するお母さんの美しさは、どうしても残しておきたかった。
このまま鍵を掛けて、そしらぬ顔でしまっておくこともできる。でも、いつか父ちゃんが見つけてしまう可能性はゼロではない。
「お母さん、ごめん!」
六花は裁縫用の大きな裁ちばさみを手にした。お母さんしかいらないの。ほかの男はいらないの。
写真を一枚一枚取り出し、映りこんでいる見知らぬ男たちだけを切り取ってゆく。お母さんだけになった写真は、元通り収めた。
お母さんだけのワンショットも多いので、そんなに手間ではないと思ったものの、気が付けば結構な時間が過ぎていた。
お母さんのワンショットにしても、いまの六花には刺激が強すぎて、捨ててしまいたいものもあったけど、そこはぐっと我慢した。
切り取った男たちが山になっている。どうしよう。このままは捨てられないし。
六花は男たちの写真を、細かく細かく切り刻んでいった。棚に掛かっていた小さめのレジ袋に、切り刻んだ男たちを入れる。
アルバムのほうは、鍵を掛け、もとの通りにしまった。鍵もガラス瓶のなかに、元通り入れた。キャンドルを吹き消し、立ち上がる。
「やっぱり便利なレジ袋。」
六花は少し気持ちが軽くなったような気がしていたのだ。でも次の瞬間、くずおれるような衝撃に遭ってしまう。
部屋を出ようとして、ドアのほうを向いたとき、壁掛けのカレンダーが目に入った。いまは十月だが、カレンダーは九月のままになっていた。
色鮮やかで可愛らしいイラストの載ったカレンダー。下半分は予定が書き込めるようになっていて、たったひとつだけ、書き込まれた用事があった。
六花はそれを見て、うおおおおお……と低いうめき声を上げながら、その場にへたり込んだ。
『九月二十六日 六花の誕生日 魚政 十九時』
もう二週間も前だ。六花は自分の誕生日も忘れていた。
魚政は、行きつけの高級なお寿司屋さんだ。時間まで書いてあるということは、予約をしてくれていたということだろう。
「お母さんの最後のプレゼント、受け取り損ねちゃったよ……。」
後悔のしようもないけれど、本当に申し訳なくて、六花は両手で顔を覆った。最期まで、愛してくれていた。六花のことを、想ってくれていた。
その想いを無にしてしまうなんて。この部屋に来るのが遅すぎた。来るのが怖かったから、来れないでいた。だけど……。
「ごめんねえ、ごめんねえ……。」
これにはさすがに泣けてしまったこんな未来が来るとも知らずに、魚政を予約してくれていたお母さん。
家族三人で、美味しいお寿司を食べて、笑って。当たり前の幸せだった。だけど、もう二度とそんな日は来ない。
ひとしきり泣いてしまうと、六花は立ち上がった。やるべきことは残されているのだ。
(第十一話につづく)
※この十話で家族が観ているドラマには、明確な設定があります。(六花たちはリアルタイムではなく、DVDで視聴しています。)
過去にその作品を紹介した記事がありますので、ご興味のある方はどうぞ。
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