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日経ビジネスのインタビュー バックナンバー 046


日経ビジネスのインタビュー バックナンバー 046

ここに掲載しているのは、管理人・藤巻隆が携帯サイトで運営していた時のコンテンツです。

2007年1月8日号からスタートしています。1カ月分毎にまとめてあります。

途中、数件記事が抜けている個所があります。データを消失してしまったため再現できません。

「日経ビジネス 電子版使い方ガイド」(全24ページ)を見ると
「雑誌『日経ビジネス』のバックナンバーの閲覧について」で、
閲覧できるのは2011年10月から最新号と書かれています。

そのため、2008年8月18日、25日分の記事は確認できません。
しかも紙の雑誌は、かるか昔に処分しています。

『日経ビジネス』の記事を再投稿することにした経緯

再編集して再投稿することにした理由は、次のとおりです。

自分が当時どんな記事に興味があり、どのような考え方をしていたのかを知りたいと思ったからです。

当時の自分を振り返ることで、当時と現在で考え方は変わったか否か、あるいは成長しているかを確認したいと思いました。

記事データは当然古くなっていますが、本質的な部分は必ずあるはずで、しかも普遍性があります。その個所を再度学んでみたかったのです。

さらに言えば、『日経ビジネス』のバックナンバーをご紹介することで、この記事に目を通していただいたあなたに何らかの有益なヒントを提供することができるかもしれない、と考えたからです

「私にとって、noteは大切なアーカイブ(記録保管場所)です。人生の一部と言い換えても良いもの」だからでもあります。
プロフィールから)




● 2010.10.4 (No.1)<190>
ステーキ大手、上場廃止
南 慎一郎(みなみ・しんいちろう)氏
[どん社長]

2006年に大阪証券取引所(大証)第2部に上場していたダイエー子会社のフォルクスを買収し、存続会社をフォルクスとして合併することで上場会社となりました。

そして後に社名を「どん」に変更しました。

しかし、存続会社の役員の大半が旧どんの出身者だったことなどから、「不適当な上場維持」という指摘を大証から受けました。

上場を維持するには、合併してから3年以内に再審査を受けなければいけませんでした。

しかし当社はこの再審査を受けることができず、今年7月に上場廃止になってしまいました。

2010年2月期の決算で当期純損益が約28億5100万円の赤字となり、再審査を受けるための条件(純利益1億円)を達成できなかったからです。

(中略)

存続会社は合併初年度(2007年2月期)の決算で純損益が8億1700万円の赤字を計上しました。

その後も業績不振が続き、2008年2月には経営の立て直しと資金調達の目的で第三者割当増資(15億円)を実施して、吉野家ホールディングスの傘下に入りました。

(中略)

コストを削減するだけでは企業は成長しません。当社には、全店舗合わせて年間約2000万人の来客があります。

その中には、年に1回程度しか来店していないお客も多い。当社が成長するための戦略は、こうしたお客の来店頻度を増やすことだと考えています。

長期的な成長のために、味の改良や接客サービスの向上など地道な取り組みを続けていきます。


● 2010.10.11 (No.2)<191>
このままではLEDも負ける
中村 修二(なかむら・しゅうじ)氏
[米カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学部教授]

韓国や台湾などのメーカーと日本メーカーを比べると、まず投資規模が1ケタ、2ケタ違います。韓国メーカーなどは、世界トップを取ると決めて、非常に積極的に動いています。

日本以外の国の企業は、最初からグローバル市場を考えているので、生産規模が半端ではありません。

ところが、日本メーカーはまずは国内市場を固めようとするので、投資規模が小さくなります。そのうえ、意思決定が遅いのです。

確かに優れた技術は持っていますが、量産段階では海外メーカーに負けてしまうと思います。

日本メーカーの経営者は、その多くがサラリーマンです。リスクが取れず、大規模な投資をタイミングよく意思決定することができません。

最大の問題は、持っている優れた技術や製品をグローバル展開できないところです。携帯電話と同じです。

(中略)

韓国サムスン電子がLED素子に投ずる設備投資は、2020年までに7000億円と聞いています。大規模な設備投資だけでなく、世界中から優秀な人材を集めています。

(中略)

若い時から海外にどんどん出すべきです。そうしないとせっかくいい技術を持っているのに、世界に売り込めません。グローバル化の波に置いていかれてしまいます。


● 2010.10.18 (No.3)<192>
景気の二番底は来ない
ジョン・デイナ(John P.Daane)氏
[米半導体工業会(SIA)会長、米アルテラ会長兼社長兼CEO(最高経営責任者)]

今(先端技術である)40ナノメートル(ナノは10億分の1)プロセス技術を使ってASIC(特定用途向けIC)を開発するとすると、500万~1000万ドル(約4.3億~8.5億円)もの初期コストが必要になります。

そうした余裕を持つ企業は、限られます。特に社会インフラなど、数が出ない市場向けにASICを開発するのは難しくなっています。

一方で、顧客企業が独自機能を自由に追加できるプログラマブル・ロジックなら、ASICのような大きな初期開発コストがかかりません。

例えるなら、プログラマブル・ロジックの半導体は、白紙のキャンバス素材に似ています。アルテラは絵の具や筆を提供し顧客自身に絵を描いてもらうことで差別化します。市場への投入期間を短縮できるうえ、環境変化に応じて回路設計を書き換えられます。

一方でASICは、既に完成した絵画作品のようなものです。どちらの方が使い勝手がいいかは明らかでしょう。この利点から、プログラマブル技術を採用する顧客が増えているのです。

(中略)

イノベーションのカギを握るのは、個人の創造性です。広い視野で物事を考え、リスクを背負える人が必要です。米国の西海岸のシリコンバレーには、そうした環境が用意されています。

実験をして失敗し、そこから学び、さらにイノベーションに挑めるような風土が、長年にわたって育まれています。

しかしこれは、決してシリコンバレー特有のものではありません。私はかつて、ソニーの久多良木健氏(元副社長)と一緒に仕事をしたことがあります。

彼は(ゲーム機の)プレイステーションで、以前とは違った概念やシステムをゲーム業界に持ち込もうと考え、それに成功しました。日本にもイノベーションの芽は眠っています。


● 2010.10.25 (No.4)<193>
脱“ガラパゴス”の3カ条
ドミニク・テュルパン教授(Dominique Turpin)氏
[IMD学長]

日本企業はどのようにグローバル化したらよいのか考えてみよう。参考になる例が、オランダにある。

日本の大企業よりずっと規模が小さいながらも、競争が激化しているGPS(全地球測位システム)を使ったナビゲーションシステムで、世界をリードするトムトム(Tom Tom)である。同社は、取り外しができる簡易型カーナビで市場を席巻している。

日本の大手メーカーが数十万円もする車載型カーナビで、AV(音響・映像)機能などを充実させることに血眼になっている隙に、安いものでは1万円程度で売られる簡易型カーナビで瞬く間に急成長した。

本格参入したのは2002年だが、2009年の連結売上高は約15億ユーロ(約1700億円)。2010年第2四半期における簡易型カーナビ市場シェアは欧州で49%、米国では23%と、米ガーミンと世界市場をほぼ二分している。

(中略)

なぜ、トムトムは短期間でグローバルブランドへと成長できたのか。その成功要因を抽出すると、次の3つに集約できる。

1つ目は、消費者が抱える普遍的な悩みを解決する製品作りに集中したことである。

トムトムの場合、それは「道に迷う」というドライバーの悩みだった。
2つ目が、当初から世界展開を目指し、市場の地理的多様性を広げてきたことである。

そして3つ目は、すべてを消費者目線で考え、柔軟な組織で変化に機敏に対応している点だ。



🔷 編集後記


この元記事をアメブロに投稿したのは、9年前のことです
2014-01-18 23:52:16)。

読み直してみますと、「こんなことも書いていたのだな」「この個所に関心があったのだな」ということが思い出され、当時の自分の心境に思いを馳せています。

それだけ歳をとったのだと実感しています。

編集長インタビューの記事を読み返してみると、当時の経営者の心意気・信念・余裕・揺るぎない自信といったものが伝わってきます。

月日が経ち、自分だけでなく身の回りにも、環境にも変化があります。

しかし、経営に限らず、物事の本質は変わらないものです。

今回のインタビューの中から興味深い言葉を拾い出してみます。

中村 修二(なかむら・しゅうじ)氏
[米カリフォルニア大学サンタバーバラ校材料物性工学部教授]

の言葉から。

日本メーカーの経営者は、その多くがサラリーマンです。リスクが取れず、大規模な投資をタイミングよく意思決定することができません。最大の問題は、持っている優れた技術や製品をグローバル展開できないところです。携帯電話と同じです。

                
 

🔴「中村修二氏」

ご存じの通り、中村修二氏は青色LED(発光ダイオード)の発明者です。今ではどの家庭でも使われているLEDですが、青色LEDが発明されるまではLEDとして使えませんでした。

その理由は、世界中で青色LEDの発明にしのぎを削っていたのですが、どこにも出来ませんでした。青色LEDがなければ青色が出せなかったからです。光の三原色(RGB=Red、Green、Blue)の一つである青色がキーでした。

しかも中村修二氏の素晴らしいことは、青色LEDの発明のために、市販されていない道具を自作し、「中村は『あれだけ優秀な人たちが取り組んでもうまくいかないならば、むしろ終わったとされる分野に挑んだ方が良い』ということで、ガリウムに着目。その後、中村はツーフローMOCVDによりGaN(窒化ガリウム)の結晶作成を実現」(出所: 中村修二 Wikipedia)したのです。

2014年に赤崎勇名城大教授(85)と天野浩名古屋大教授(54)(いずれも当時の年齢)とともに、ノーベル物理学賞を受賞しました。


中村修二氏は青色LEDを発明した後、特許権をめぐり、勤務先だった日亜化学工業を相手取り訴訟を起こしました。

一審では、彼の発明に対し200億円(その後の企業の利益を勘案すれば600億円に相当)の価値があるという裁定がなされました。
ところが、日亜化学工業が控訴し、二審ではなんと2億円(利息を含め8億円余)で和解させられました。

その後、日亜化学工業は大きな売上を上げ、莫大な利益を得ています。

中村氏はこの結果に対し、日本では個人の発明を正当に評価してもらえないと判断し、米国に渡り、カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授となりました。

彼の著書の中に書いてありましたが、「訴訟を起こしたのは、科学者たちが正当に評価してもらうための足がかりにしたかったからだ」ということでした。


日経ビジネスは青色LEDの発明に関する中村修二氏について次のように記しています。

東京地裁の判決で示された200億円を手にすることはできず、その考えは実現しなかったが、中村氏の目指したものは、研究者への支援という意味で、今も求められているように思える。

過去から学ぶ 「青色LED訴訟」の渦中、中村氏は起業家支援を考えていた 2022.7.21  
      



⭐中村修二氏の著作の一部




1回の投稿ごとに1カ月分にまとめたインタビューの概要を掲載します。

2007年1月8日号からスタートし、2013年7月までの6年7カ月分のバックナンバーだけで79件あります。

途中、数件記事が抜けている個所があります。
データを消失してしまったため現時点では再現できませんが、日経ビジネス電子版では「2011年10月から最新号まで」のバックナンバーが閲覧できるようですので、抜けている個所に該当する部分が見つかれば、追記します。

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