見出し画像

日本人にとってMVVは理解するのが難しい概念!?(ミッション?、ビジョン?、バリュー?、ナニソレ?)

いま、多くの企業がMVVを設定しています。自分たちの「あり方」を指し示す必要性を感じているからでしょう、多くの企業のホームページでMVVが掲げられていますよね。Mission、Vision、Valueの頭文字を取ってMVVです。(ここから先はカタカナ表記します)

この記事は過去に投稿した「あり方」と「やり方」を連携させる方法についての記事を一部リライトしたモノです。

でも、ミッション・ビジョン・バリューって概念自体が分かり難いと思いませんか?

いろんなMVVを説明しているサイト、あるいは書籍を読んでみても分かったような分からないような、何とも言えない気分になってしまいます。

ある企業はミッションをビジョンと似たような意味で使っていたり、ミッションとビジョンが重複していたり、バリューってそもそも何なの?がよく分からなかったりと、人・企業によってその軸が様々にありますよね。

なんでこんなに分かりにくいんだろうな?と考えていたのですが、おそらく英語を使う人と日本語を使う人、それぞれの間にある言葉と文化の関係性に違いがあるんじゃないかと考えが至りました。

例えば、英語圏の文化に住まう人が使う「Mission」と、日本語の文化に住まう私たちが使う「ミッション」は捉え方がまったく異なるはずです。

だから、そのままMVVの概念を日本に当てはめても私たちには意味が分からなくなってしまうのです。ましてや日本語訳にしたところで、正しくその意味するところは掴めません。

というわけでここから先は、文化の差異から起こるMVVに対する解釈の誤解と、日本人がMVVをどう捉えればよいのかを解説していきます。言葉と文化の異なりを丁寧に紐解いていきましょう。

ただし、この文章はあくまで私個人の見解であるということを踏まえてご覧ください。違う意見があっても然るべきです。ですが、もしいまMVVをどう捉えるか悩まれている方がいるなら一つのヒントになるかもしれませんよ。



01.ミッションの語源から英語文化と日本語文化の違いを見渡す


さて、「ミッション」という言葉の語源をご存知でしょうか?

「ミッション」はラテン語の「mittere(送る、遣わす)」から派生した言葉であると言われています。特にキリストの教えを教え伝える「伝道」の意味で使われていたようです。神の言葉を広く伝えること、それが転じて現在の「使命」や「任務」といった意味に変化したようです。

ここで重要なことは、伝道師は使命を現在進行形で「実践している」ところです。福音を「いつか届けるぞー!」と未来のことを想像しているのではなく、「いまこの瞬間の行動」を指し示しています。

一方で、日本企業の設定するミッションは「組織が果たすべき使命」や「存在意義」と訳されることが多いです。

まず「使命」から考えてみましょうか。日本語の「使命」という言葉は時制を明確にしません。つまり「いまこの瞬間に為すべき行動」なのか「未来に成し遂げるべき状態(現在は成し遂げられていない)」なのか、受け手によって自由に捉えることができてしまうのです。

日本の企業が設定するミッションは「現在の行動」を指し示す場合と、「今はまだ成し遂げられていないが、未来に為すべき行動」を指し示す場合が多くあります。この場合、どちらも「使命」であることに変わりはありません。

_210609mission使命

しかし後者の場合は「現在の行動」そのものであるとは言い難く、英語圏で生まれたミッション的な意味で考えるとズレています。つまり「現在の行動」を指し示していないとミッションとしては成立していないのです。

MVVを生んだ英語文化とは、すなわち「キリスト教」の文化にあると言えますよね。現にキリスト教の文化において「ミッション」というワードは頻出です。そこに住まう人々がキリスト教に対して敬虔であるか懐疑的であるかは問題ではありません。

しかし、一つの言葉がどんな意味で使われるか、これは文化的な背景によって形成されるのではないでしょうか。だから、敬虔であろうが無かろうが、その影響は英語圏で生まれ育った限り受けているのではないかと思うのです。

同じように「存在意義」であっても、これは現在の行動とセットです。「存在」とは「いまあることの意義」です。いまあることの意義の大半を作り出しているのは「いまの行動」と言えないでしょうか。



02.ビジョンでゴチャゴチャになる主体


日本語の表現は「主体」を省くケースが多いです。それでもコミュニケーションが成立するのは「相手が汲み取る」文化のなかにいるからです。

例えば「本が無くなった!」と会話したとしましょう。この言葉の主語は「本」ではありません、「私」のはずです。本当に言葉そのままの意味で「本が無くなった」を捉えると、本に足が生えてスタスタとどこかに去っていってしまったという意味になってしまいます。

でも、相手はそんな受け取り方をしません。実際には「私が本を無くした」だと汲み取ってくれるのが日本語のコミュニケーションです。

そして、主体を省く文化のなかにいると、ついつい一つの言葉の中で主体が入れ替わっていることも多々あります。自分について話しているつもりが他者の話になっている、それは単に他責的だってコトだけではなく私たちの使う言語と文化による影響も大きいと思うのです。

こんな具合で「主体を省く文化」に身を置く私たちが「ビジョン」を捉えると何が起こるでしょう。

ビジョンは目指すべき姿と訳されます。ですが、ここでお聞きしたいことが一つ。それは「社会」の状態でしょうか、それとも「自分たち」の状態でしょうか。ここも言葉をどう受け取るかは自由です。ビジョンの主語は誰なのかを考えてほしいのです。

さてさて、「自分」なのか「社会」なのか、考えていった結果どちらかに収束したとしましょう。が、どちらであったとしても問題が発生するのです。(なんと!?)

「社会」であった場合、ミッションで語っているのは「自分たち」の行動であるのにビジョンは「自分たちから主体が離れた表現」になってしまいます。

いままで自分たちについて語っていたのに、ここだけ急に他者の話題になります。なぜその社会に自分たちが影響を及ぼしたいのか、その必然性がうまく語れないと自分たちにとって「どっちらけ」なビジョンになってしまいます。

一方で「自分たち」の状態を定義した場合、コレもコレで問題があります。そのビジョンを見た顧客を含めた他者からすれば自分のことを語っているだけです。「ふーん、勝手にやってください」状態になっちゃうわけなんですよね。過去〜現在〜未来をつないで終始自分のことしか話さないわけですよ。「自分のことしか話さない人」って好かれますかね?

となると、ビジョンは「誰の」目指すべき姿なのでしょう。

ここで主体の考え方を少し変えてみます。自分たち(I)でもなく、社会(They)でもなく、その両方をつないだ私たち(We)を主体にしてビジョンを考えてみるのです。

06.あり方とやり方09


ビジョンは「私たち」がたどり着く理想の未来。つまり、ビジョン実現に至る前の段階で課題を抱えているのは「彼ら」ではなく、自分も含めた「私たち」です。

「私たち」の課題を解決し、理想の未来を目指す。そんな表現に出来るとミッションやバリューと「主体の整合性」を維持したまま、他者に対するメッセージとしても成立します。

ビジョンに限らず「Weで考える」って、色々と腹落ちするんですよね。

主体を自分と他者に敢えて分けるから自己矛盾や苦しさが出てくる。でも、Weで捉えた途端に物事をしなやかに捉えられるようにもなります。思考法としてもオススメですよ。



03.バリューは時制が入り乱れる表現


最後にバリューです。で、何だかバリューは最後に付け足すような感じの扱いになることも多いと感じているのですが、コレもミッションやビジョンと重量は変わりません。むしろ、歴史ある企業がMVVをアップデートする際にはバリューから考えることが有効だとも感じています。

さて、バリューは「価値観」や「行動の基準」と訳されることが多いですね。ですが、この表現も日本人には混乱を招く表現です。

なぜなら「価値観」は過去〜現在に至る自分たちが培ってきた経験であるのに対して、「行動の基準」は現在から未来に向けた意志選択だからです。

バリューと一言で表現した場合、過去に向けた矢印と未来に向けた矢印の二本が発生します。時間軸が入り乱れてしまっているがために、理解が難しくなっているんじゃないか、あるいは言葉にしたときにビジョンやミッションとの整合性が取れなくなるんじゃないかと感じています。

06.あり方とやり方06


英語は時制を明確にする表現です。一方で日本語は時制を曖昧に表現できてしまいます。

私たちの時間に対するモノの考え方は「揺らぎ」があります。例えば「ある」という表現は「いまここ」の一点を指す意味を持ちながら、同時に未来に続く永遠性も持ちます。

_210122なりたいありたい2


この揺らぎが日本語の特徴。それが良い悪いというわけではなく、自分たちの持つ「思考のクセ」を捉えることで、言葉をどう捉えるかも決めやすくなるのです。

私はバリューの中の「価値観」と「行動の基準」を分けることをオススメしています。そのうえでバリューとして表現するものは過去から現在に至る自分たちが培ったモノ、つまり価値観や無形資産を現すものとして扱います。

06.あり方とやり方04


「行動の基準」は目指す未来(ビジョン)に向かうモノであり、現在の行動(ミッション)を規定するモノでもあります。同時にその「行動の基準」を自分たちが持つに至った背景は過去の経験(バリュー)によるモノです。

だから、ミッション・ビジョン・バリューをつなぐ中心に「行動の基準」(Will)を置くのです。



04.時制と主体でMVVを捉える


と、そんな概念を図にするとこんな図になります。

画像6


過去と現在と未来とをすべて繋いでいく。何を培ってきた自分たちが(バリュー)、どんな未来に向けて(ビジョン)、どんな行動を取るのか(ミッション)と言い換えてもよいでしょう。で、その中心をつなぐのは自分たちの意志(ウィル)です。

すべてを反復横跳びしながら考えるモノだと思うので、「ミッションを先に考えよう!」「いやいやビジョンこそ優先だ」なんて議論は不毛だと思ってます。そもそもMVVの説明でよく見かけるピラミッド方式の図が分かりにくい、感覚的に理解できないなぁと感じちゃうのです。

_210607MVVピラミッド


英語文化にいる人であればピラミッド方式でも理解出来るのかもしれません。でも、日本語文化にいる私たちがそのまま言葉を輸入しても理解に齟齬が生じます。まぁ、「いやいや、全然理解できているので問題ないですけど?」って方には不要な考え方でしょう。むしろ何言っちゃってんの?と思われるかもしれませんね。

ただ、いまのMVVに対する社会の解釈が「よく分からん!」という方は主体と時制を意識してみると、言葉に変換していくヒントになるかもしれませんよ。それだけです。

そんな、言葉と文化とMVVと、私の感じているコトでした。

いただいたサポートは探究したいテーマの書籍代等として使わせていただきます☺️