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【続く熱量の、その先へ】GRANDSLAMという場についての解釈

大阪駅から環状線で一駅、福島駅ホームの真下、電車がすぐに横を通るこの場所にあるのがGRANDSLAM。世の中で一般的になっている言葉で表現すれば「コワーキングスペース」なのですが、ちょっとココは他のコワーキングスペースと何かが違う。何かが違う。何かが違うのです。


コチラは移転前のGRANDSLAM
コチラは移転後のGRANDSLAM


でも何が違うんだろう?、ずっとGRANDSLAMから感じていたモノを言語化しようとしてきて、なかなか喉の奥から出てこない状態で数ヶ月が経過していたのですが、ようやく言葉にできそうになったのでツラツラと書き記してみることにしました。

ちなみに、以前あった場所から今のJR環状線の高架下に移転したばかり。訪ねる場合は前の住所に行かないように気をつけてくださいね。


01.GRANDDSLAMは不思議なコワーキング


GRANDSLAMとの出会いは、とあるイベントへの参加がキッカケ。定期的にイベントのたびに訪れる程度だったのですが、ある時期からドロップインでも利用するようになりました。なんとドロップイン1日1,000円です。破格すぎませんかね。

普段は在宅で作業をしていることが多いのですが、コワーキングを利用することもあります。気分を変えたかったり、集中したかったり、あるいは出先からのアクセスがよかったり、仲の良い方がいる施設だったりと、使う動機はその時々。

そんな中でも、GRANDSLAMって不思議なコワーキングなのです。

いつ行っても活気がある。いや、これを活気と表現していいのか分からない。別に騒がしいわけではないけども活気がある。この感覚は伝えづらいのですが、ドロップインで使う機会が増えた当初から「なんだこの活気は?」と感じていました。

ホント、単に作業をしに行っているだけのときもあります。でもなぜか、場の活気に当てられる。気づけば自分にも活気が伝播している。そんな感覚を抱くことが多かったのです。

移転後の入口


02.コワーキングスペースが持つ価値


コワーキングスペースって、どんなイメージをお持ちでしょう?
実際に使ったことのある方、どれくらいいるでしょう?

いわゆるコワーキングスペースの持つ価値として語られるワードには「つながり」「コミュニティ」「コラボ」「共創」「シェア」「学び」「地域」などがありますよね。

単なる作業スペースとしてのコワーキングも世の中にはたくさんありますし、そんなコワーキングが存在している意味もあります。でも、コワーキングには人と人・人と地域・人と課題などを繋いでいくチカラがある。そのチカラを信じて活動しているコワーキングの事業者がたくさんいます。

余談ですが、そんなコワーキングの持つ価値を体現させようとする事業者が集まった場が昨年度開催されていました。そのときに感じたこともnoteにしていますので興味あればお読みください。

GRANDSLAMもこの文脈から逸れず「成長」「共創」「つながり」をコンセプトに掲げて活動しています。

でも、同じようなコンセプトを掲げている他のコワーキングとはまた違い、ここには不思議な「熱量」がある。この正体は一体何なんだろうと感じて掘り下げを始めたのです。


03.凄まじい物量のイベント開催


目に見えるGRANDSLAMの特徴といえば、圧倒的なイベントの量です。よくコレだけ頻繁にイベントを実施できるものだと、主催イベント・共催イベント・持ち込みイベントなどなど多種多様なイベントを開催しています。

ワークショップに参加したり
僕もイベント開催させてもらいました


イベント参加からコワーキングへの集客に繋げていく考え方は他の施設でも取るでしょうし、コワーキングに限らず一般的な事業でも取られている手法ですよね。僕自身も幾つかのイベントへの参加を通してGRANDSLAMに興味を持ち、ドロップインで利用するようになりました。

でも、単にイベントを打っているだけでは「熱量」に対する説明がつかない。イベントの「物量」が、そのまま「熱量」に繋がるかと言えば、そんなワケはない。

ベースにあるのはGRANDSLAMの掲げる「成長」「共創」「つながり」であり、それを支えるのがイベントとコワーキングの連動であるのは明らかです。ですが、そこに「熱量」が載っている。場の熱量、人の熱量が、そこにある。この理由を探していたのです。


04.熱量の背景にあるモノとは


この「熱量」の正体が、代表の吉永亮さん(以下、亮さん)と話すなかで少しだけ分かった気がします。分かったと同時に、「こりゃスゲぇ」と語彙が消失してしまいました。僕の言語力は宇宙の果てまでフライアウェイ。

亮さん。この日は移転前GRANDSLAMのラストパーティー

一言で表現すると、GRANDSLAMの「あり方」と「やり方」の双方が、長期的な熱量の維持・拡大に最適な選択となっていたということです。うむ、うまく表現できていない(笑)、伝わらない(笑)

僕はよく、組織における「想いの拡散」を焚き火に例えます。小さな火種を焚き火にまで育てていくためには「燃え広がらせる」と「鎮火させない」に同時に向き合う必要があります。



例えば、「熱量を高める」と考えるならばイベントを上手く開催すれば高まります。でもそれが維持されるかは別の話。ある特定の人の熱量が高まったとして、別の人も同じように高まるかと言えばコレもまた別の話。

「場の熱量」とは、一人一人の熱量によって生まれています。もちろん瞬間的に切り取れば場に参加している「特定の数名」の熱量によって場の空気が形成されているように見えます。

しかし、それはそう見えているだけ。場にはやはり、一人一人の熱量が影響を及ぼしている。一見すると影響を与えているように見えない人の熱量もまた、場の熱量の構成要素です。

特に亮さんは、「場の熱量」と「一人一人の熱量」の双方に対して丁寧に気を遣っています。「熱量」と「丁寧」って、ちょっと普通に考えると結びつかない言葉かもしれません。でも、これが結びついているからこそ生まれている熱量です。

熱量って、アツい人が「ウぉぉォーーー!!」と勢いで高めるイメージを持っているかもしれませんね。むしろこの「引っ張る型」の熱量は高まりやすいけど鎮火もしやすい。また、この「ウぉぉォーーー!!」に相乗りできなかった人は鎮火どころか湿気ってしまい次に着火することが難しくなる。

全員が燃え上がらなくても、コアな人だけ燃え上がればイベントとしては成功か?、もちろんこれはその通りかもしれません。でも、場の熱量を高めるためには「たった一人の湿気ってしまいそうな人」を見逃さないことの方も大切なのです。これは亮さんの関わり方や話から気づいたことでした。

だから、とにかく丁寧なんです。気を配る、目を配る、さりげなく火がつき、さりげなく火が延焼するような関わりを生み出していく。この丁寧さは、ちょっとスゲぇ。

よくあるような「交流会」のシチュエーションで考えてみましょうか。一人ポツンとその場で周りに馴染めない方がいたとしましょう。既にこの人は鎮火しかけているか、もしかしたら湿気り始めているかもしれません。その人をスルーしたとしても一見イベントそのものの成功には影響がないように感じます。

でも、これをスルーしません。その人の熱量がフッと高まるような関わりを持ち、さらに周りの人とつなぐことで熱が燃え広がるようにしていきます。木材に火がついたとしても、周りの木と一緒にならなければ火は消えてしまう。まさに焚き火の構造で説明ができそうですね。

ちなみにここまで話しておきながら僕はGRANDSLAMの会員ではありません。ドロップインをたまに使い、たまにイベントに顔を出すような「外の人」です。でも、「外の人」と自分自身が感じたことはありません。少なくとも亮さんは僕に対してそうは扱いません。GRANDSLAMのメンバーは会員と非会員を関わり方については区別して扱っていないと感じます。(もちろん、仕組みとして会員になるとメリットはあります。)

これ、いわゆる「正攻法」みたいなモノからは外れた考え方ですよね。よく言われる80:20の法則といったモノもありますが、自分たちが誰にリソースを注ぐべきなのかを考え「選択と集中」をすることが正しいとする考え方。濃いファンを作るとか、LTVに意識を向けるとか、この辺りも全部似たような発想からくる「正攻法」だと思います。

GRANDSLAMはそうではない。万人の熱量に気を配る。もちろん万人にウケるモノなんて存在しないとは分かっていながら、それでもこの場に関わる万人の熱量に気を配る。それがGRANDSLAMという場の熱量と、場の価値を生み出しているモノだから。

万人に好かれようとしているわけではないのです。万人の熱量に向き合っている。ここは究極に顧客視点であり、それを突き詰めているからこそGRANDSLAMとしての価値が高まっている。そう感じます。

しかも、そんな「あり方」があるからこそイベントを圧倒的な物量で打つことで、場の熱量が長期的に維持・拡大されていく。

時間軸で見たときに、単に熱量をあげるだけならすぐにまた鎮火してしまいます。世の中にある「イベントの可視化されていない失敗」はまさにこの状態。イベントのときは盛り上がっていたけど、終わってみれば「何だったのアレは」状態になる。打ち上げ花火と揶揄されるようなイベントはこの状態が多いですよね。

だからこそ日常が大切になると打ち上げ花火を揶揄する人たちは言うのですが、一方で日常だけで熱量を高めることは容易ならざることです。ここで圧倒的なイベントの物量が効いてきます。

イベントで新しい人たちがこの場にやってきて、この場の持つ熱量に当てられて、GRANDSLAMの日常の中にも染み出してくる。既に熱量を持った人たちが、新たに熱量を得た人たちが、毎日のように新たにやってくる。

もちろんイベントだけでなく日常の中でも熱量を高めるような関わりを持つ。小さく細かく丁寧に丁寧に丁寧に、そして継続的に場と人の熱量に意識を向ける。だからこそ、この火は絶えずに燃え広がっていく。

不思議だったんです。内輪ノリっぽく見えるけど内輪ノリじゃない。外にいたとしても、すぐその熱量に組み込まれる。これは単に関わる人たちが歓迎姿勢でいるというだけではない。「あり方」と「やり方」の双方で構成された、熱量のうねりに組み込まれるからだったのです。

熱量があるからこそ成長するし、熱量があるからこそ共創が意味あるものになっていくし、熱量があるからこそつながりが熱をさらに伝播させる。そして亮さんをはじめとするGRANDSLAMの運営チーム自体がそのコンセプトの強い体現者であろうとする。そんな姿勢も感じています。


05.さらに熱量は、その先へ


亮さんは「野球場に入った瞬間のゾクっとくる感覚」をGRANDSLAMでいつも感じてもらいたいと話していました。

野球場って、外から観客席に行くときに一旦建物の中を経由しますよね。観客席に向かう通路を通っていくと目の前に一気に広い空間が広がり、スタジアムの空気を全身で感じることになります。あの瞬間の期待感と高揚感の詰まった感覚、そんな感情をGRANDSLAMに来るたびに感じてほしいと。

通路を抜けフィールドが見えた瞬間に一気に湧き起こる高揚感

でも、確かにその感覚と近いモノはGRANDSLAMに感じていました。ただ単に作業をしに行くだけの日だったのに、確かに高揚感やワクワク感を抱きながら向かっていた。そして、その場の空気に勝手に影響を受け、また次の機会を楽しみにする。そんな場であるように感じます。

続く熱量の、その先へ。

GRANDSLAMの新章をまた僕自身も期待して見守りつつ、自分自身もその場に関わるプレイヤーとして熱量の一端を担おうと思うのです。

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