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権威主義国にも憲法はあるが、それは必ずしも法の支配を意味しない

憲法は国家の組織と機能を規定し、指導者が行使できる権力の種類や範囲を制限する上で役立ちます。しかし、権威主義国の憲法は自律性が低く、指導者の政治的な必要に応じて運用が大きく変えられることが珍しくありません。

冷戦終結以降の歴史的潮流として、憲法を新たに制定する国家は増加する傾向にありますが、専制的な権力の行使を防止する法の支配(rule of law)がすべてのケースで実現されたわけではありません。憲法が制定されていても、それだけでは十分な効果が得られないのです。

法の支配と裁判所の独立性

憲法を制定する基本的な狙いは、支配者の利己的な政治行動を防ぐように、国家のあり方を規定し、誰が政権を握っても、安定的、持続的に政務が執行される体制を整えることです。しかし、権威主義体制では、一国の支配者あるいは支配者集団は、あらゆる政治制度、法制度を操作して自身の利益を追求しようとします。つまり、権威主義であることと、憲法があることは両立しないように思えますが、必ずしもそうとは言い切れません。

19世紀のオックスフォード大学のアルバート・ヴェン・ダイシー教授は『憲法入門(Introduction to the Study of the Law of the Constitution)』(1885)の中で、憲法を主権的権力の配分と行使に直接的、あるいは間接的に影響を及ぼす規則としていますが、同時にダイシーは、憲法に実効性を持たせるためには、司法を担う裁判所が公平な判断を下せることが重要であるとも論じていました。裁判所に自律性、独立性がなく、政府の意向に対して従属性を帯びている場合、この機関は独自の判断で司法権力を行使することができないため、憲法で支配者の動きを抑制することも困難だと考えられます。

裁判所がどの程度の独立性を備えているかを判断したい場合、裁判官の身分がどれほど保証されているかに注目することが重要です。十分な給与が支払われているか、裁判所の経営に必要な予算がどれほど確保されているのか、裁判所の司法行政を担う人員が確保されているか、裁判官の人事評価がどれほど公正に行われているか、裁判官が曖昧な理由で解雇されることはないかなどが注目すべきポイントとして挙げられるでしょう。

権威主義国における司法権力の運用

比較政治学の分野で、このように政治制度としての裁判所の側面を分析した古典的な研究としては、マーティン・シャピロ(Martin Shapiro)の『法廷:比較・政治分析(Courts: A Comparative and Political Analysis)』(1985; 2007)があります。シャピロは完全な政治的独立性を実現した裁判所が存在せず、それは各国の政治史で絶えず政府や議会とせめぎ合って来たと主張しています。

裁判所の独立性は権威主義国だけの問題ではなく、イギリスのような民主主義国であったとしても、裁判所の司法権力の内容をめぐって激しい政治的対立がありました。このことを踏まえると、権威主義国の裁判所が政府に抵抗できなくなることは決して例外的な現象ではないことが分かります。

オットー・キルヒハイマーの著作『政治裁判:政治的目的のための司法手続きの利用(Political Justice: The Use of Legal Procedure for Political Ends)』(1961; 2016)は、焦点を絞って、政治裁判の分析を行っています。権威主義国で政権が自身に脅威を及ぼす政敵に法的手段で制裁を加えるために、司法手続きを操作することがあるとキルヒハイマーは説明しています。これを政治裁判といいます。

現政権は、裁判官、弁護士、検察官、そして被告に圧力を加え、政治裁判で意図した通りの判決を出させようと司法手続きを操作しますが、これは単に政敵を殺害するよりも、一般国民に体制の法的な正当性を信じ込ませる効果があると考えられています。権威主義国は武力だけに頼って反体制派を弾圧する場合、大きな費用がかかるため、このようなイデオロギー的な操作によって体制を維持する技術は重要であるといえます。

むすびにかえて

今回は、やや古い研究を取り上げましたが、今でも裁判所の制度や運用に注目した政治学的な研究は増加を続けており、権威主義国の政治を理解する上で重要な示唆を与えてくれています。

個別の訴訟に政府が干渉を加えるロシアや、憲法裁判所の裁判官人事を操作するベラルーシでは、裁判所の判決は政府の意向に従う傾向が強く、憲法で支配者の権力を抑制することはできていません。権威主義国で裁判所が政府に歯向かうことは極めて危険であり、極端な事例としては1971年にウガンダでクーデターにより権力を掌握したイディ・アミンが最高裁判所の裁判官を銃殺したことがあります。

たとえ現時点で民主主義国であっても、裁判所の制度、特に人事制度が操作されると、司法手続きが政略的、党派的に利用される危険は高まるので、特に注意して、その影響を評価することが必要でしょう。

参考文献

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