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戦争で軍隊を動かすには、いつでも兵站線を確保しておく必要がある

腹が減っては戦はできないと昔から言われていますが、これは戦争の歴史を研究する上で最も注意を払うべき格言です。兵站支援が不十分だと、最新鋭の武器を装備した大軍であっても戦地で飢え、弾薬を使い果たし、戦闘不能になります。

表面的に大規模な兵力を保有していても、長期にわたって外国の領土で活動できるだけの兵站支援能力を持っていないなら、国際政治的な意味でその国の攻撃能力はないに等しいと言えます。

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このような観点から見れば、兵站が軍事力に与える影響を理解することは重要な意味を持っていることが分かります。19世紀の軍人アントワーヌ・アンリ・ジョミニの著作『戦争術概論』の特徴は、兵站線を確保しながら軍隊を戦略運用する場合に、どのような制約が課せられるのかを明らかにしたことです。19世紀前半以前の戦争では後方支援が河川水運に依存していたので、ジョミニは河川の流路によって軍隊の機動がどのように制約されているのかを考察しました。

ジョミニの基準によれば、48時間以内に合流して相互支援が可能な距離にある部隊は、同じ兵站線を持つ部隊として考えられているので、25km/24hの行軍速度を想定すると、50km以上の距離で離れた部隊には別系統の兵站線を割り当てなければなりません。兵站線を1本だけ確保する場合と、2本確保する場合とでは、兵站支援のコスト、つまり野戦倉庫の建設や輸送に必要な舟艇の配備のコストが2倍になるので、軍司令官は兵站線をできるだけ1本に限定したいところです。

ところが、敵地に侵攻するような場合では、兵站線を組み替えなければならない場合もあります。例えば、以下の状況図で、赤色で表示した画面左下の敵軍がメッツ(メス、メッス)から出発し、画面右上の青軍が占領するマインツに前進を図る状況を考えます。

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この作戦地域ではマインツの北西に位置するコブレンツがライン川の分岐点となっています。コブレンツからマインツを経由して南にライン川が流れており、コブレンツからルクセンブルク、メッツへ流れるのがモーゼル川です。

赤軍は、メッツに陣取っているので、モーゼル川に兵站線を依存しています。つまり、モーゼル川の流路から外れるために、マインツまで最短距離で移動することはできません。まずルクセンブルクまで北進し、そこから北西に進路を変え、コブレンツに移動します。そして、コブレンツからライン川沿いに南進してマインツに到達します。この行軍計画だと、赤軍の行軍距離はメッツからマインツの直線距離180km(7日の行程)を上回る250kmになり、一日に25kmの速さで移動できたと想定すると推定の所要日数は10日です。

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もし何らかの事情で南からマインツを攻撃する必要があるならば、メッツから南進してストラスブールに出て、そこでライン川沿いに自軍の兵站線を再設定し、北進してマンハイムに迂回する行軍計画を考えることもできます。しかし、赤軍の移動しなければならない距離は300kmに伸びます。理論的に12日の行程ですが、兵站線の切り替えで追加の業務が発生するので、12日以上を見込む必要があります。

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ジョミニの分析を踏まえれば、地図で見る以上に、メッツからマインツへの進軍が難しいものであることが分かります。19世紀の戦争で存在しなかった鉄道や自動車が兵站支援に利用されるようになったことで、20世紀以降の陸上作戦ではより大規模な兵力を機動的に運用することが可能になりました。しかし、それでも軍の作戦行動に兵站線を確保すべきであるという状況は本質的に変わってはいません。

兵站線を確保できるかどうかが地理的環境によって大きく左右されることを認識すると、ある国が攻撃能力を発揮しやすい方向が多くの場合で地理によって規定されることが分かります。これは交通地理の問題であると同時に、政治地理の問題でもあります。交通が発達し、輸送費が抑制されるほどに、国家は自国の兵力を機動展開しやすくなり、それが勢力圏の拡大、領土の拡大に寄与すると考えられます。


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