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論文紹介 中国軍の弾道ミサイル攻撃にどこまで対処できるか? シミュレーションによる分析

米中対立を理解する上で、中国軍が保有する弾道ミサイルは重要な論点の一つです。中国軍は750基から1,500基の短距離弾道ミサイル、150基から450基の中距離弾道ミサイル、そしてごく少数の準中距離弾道ミサイルを運用していると推計され、アメリカ軍の作戦部隊が海上機動、あるいは空中機動で中国に接近することを阻止し、同時に中国の領域に対する侵入を拒否することを目指していると考えられています。

この中国の構想を接近阻止/領域拒否(A2/AD)といい、その実現が現実味を帯びれば、それは有事の際にアメリカが台湾を救援することが困難になると予想されています。つまり、弾道ミサイルをめぐる軍事バランスの動向は、アメリカと中国の指導者が戦略を決定する上で基礎となる判断材料であり、アジア太平洋地域の戦略的安定性を左右する可能性があります。

アメリカは、中国の弾道ミサイルに対処するため、弾道ミサイルの迎撃を目的とするミサイル防衛の態勢を強化してきました。これはミサイル攻撃で発生すると予想される自国の損耗を小さく局限する効果に重点を置き、敵国に対する行動を「反撃」の範囲に留めるものであるため、抑止戦略の類型では拒否的抑止(deterrence by denial)を目指すものです。

ちなみに、相手国から攻撃を受けたとき、相手国により大きな損耗を与える「報復」を予定するなら、それは懲罰的抑止(deterrennce by punishment)の戦略になるので、ミサイルの迎撃に特化したミサイル防衛の整備を重視すべきではないという考え方になるでしょう(メモ なぜ抑止の研究では拒否的抑止と懲罰的抑止が区別されるのか?を参照)。どちらの抑止戦略が政治的、軍事的に有効なのかという論点もありますが、ここで注目したいのはアメリカの中国に対する拒否的抑止がミサイル防衛の有効性に依存しているという点です。

アメリカの拒否的抑止が中国に対してどれほど有効であるかを判断する上で興味深いシミュレーション分析の結果があります。2020年に出た「アジア太平洋のミサイル戦争(Missile wars in the Asia Pacific: the threat of Chinese regional missiles and U.S.-allied missile defense response)」は、中国が対米開戦を決意し、ミサイル攻撃を実施した場合、アメリカとその同盟国の防空網でどの程度の防御が可能なのかを評価するため、シミュレーション分析を行っている研究です。

Sankaran, Jaganath (2020). Missile wars in the Asia Pacific: the threat of Chinese regional missiles and U.S.-allied missile defense response, Asian Security, 17:1, 25-45, DOI: 10.1080/14799855.2020.1769069

中国軍のミサイル戦はどのようなものか

1990年代以降に中国軍はミサイル部隊の運用に関して継続的な検討を行い、大規模な演習を行ってきました。現代のミサイル戦では、異なる方向から発射されたミサイルがそれぞれの経路を通じて同一目標に同時に弾着するように計算した上でミサイルを使用する一斉発射(salvo-firing)が基本となっていますが、すでに中国軍は固定目標に対する一斉発射であれば、事前計画に基づいて中程度の成功を見込めるだけの能力を有しているとアメリカは評価しています。

このような能力に基づき、中国軍は戦力運用に関する教範の中で、戦時に敵の作戦を攪乱するため、軍事目標に対してミサイル攻撃を行うことを述べています。つまり、「敵の防空システムを突破し、敵の後方にある目標を打撃し、将来の局地戦で航空優勢、海上優勢を獲得する」ことを目指しているのです。中国軍のミサイル戦に関する戦略思想の特性としては、政経中枢に対する攻撃よりも、海上作戦や航空作戦を支援できる基地施設に対する攻撃が優先されているといえるでしょう。

著者は、2015年に南シナ海で中国軍が実施した演習に際して、この考え方が中国の軍人や専門家によって表明されたことを指摘していますが、ある軍人は「南シナ海の周囲にある港湾や空港が中国に対する攻撃に用いられ、あるいは島嶼を占領する試みに用いられたならば、中国には第二砲兵(現ロケット軍)でそれら空港や基地を攻撃する権利がある」と述べていることからも、やはり軍事的な価値がある基地設備に攻撃目標が割り当てられている可能性が高いと推測されています。

中国軍が選択すると予想される攻撃目標

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