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メモ 核保有国はどのような戦略で他国を従わせようとするのか?

自分の要求を相手に押し付けるためには、自分が相手より能力で優れているだけでなく、その能力を戦略的に活用する方法を知らなければなりません。この視点は、あらゆる種類の軍事力の運用で必要ですが、核戦力を運用する場合には特に重要な意味を持っています。核戦力で敵に優越していたとしても、核戦争で勝利を追求することは共倒れになる危険があるためです。

そのため、戦略の研究では、かなり早い時期から核戦力と通常戦力を切り離して運用することを念頭に置いた核戦略の理論が発展してきました。その先駆者の一人がトーマス・シェリングであり、彼の古典的著作『軍備と影響力(Arms and Influence)』(1966)は核保有国が他国を従わせるためには、どれだけ自分の脅しに信憑性を持たせることができるかが重要だと論じました。

シェリング著、斎藤剛訳『軍備と影響力:核兵器と駆け引きの論理』勁草書房、2018年

シェリングは、2か国の核保有国が対峙する場合に展開される交渉の特徴を次のような想定で説明しています。頑丈なロープで繋がれたAとBという二人が断崖絶壁の上で距離を置いて向かい合っていると想定します。AがBに自分が今から断崖から飛び降りて自殺するつもりだと伝えました。もし予告した通りAが断崖から飛び降りたとすれば、Bも巻き込まれて死に至ることは確実なので、それを止めようとします。

すると、飛び降りると伝えたAは、自分が飛び降りることを思いとどまる代わりに条件を提示し、それをBが受け入れなければ、やはり自分は断崖から飛び降りると知らせます。このような場合、Bは死を避けるため、相手の要求を受け入れる方が得策かもしれません。しかし、BはAに最初から飛び降りるつもりがないと推定するかもしれません。飛び降りて二人とも死に至れば双方ともに不利益しか被らないので、そのような宣言を真に受けるべきではないのかもしれません。

ここでは飛び降りると伝えたAの立場に立って状況を理解してみましょう。もしAがBに対する交渉を成功させるためには、Bに自分が飛び降りる意図が真剣なものであると信じさせなければなりません。しかし、これは容易なことではありません。例えば、自分から断崖へ近づく、ロープを強く引っ張り、危険を感じさせるなどの行動をとることも戦略的に有効だと考えられるでしょう。Bに自分が不利益を顧みずに自殺を図ろうとしていると考えさせることができれば、Bは自分の脅しを真剣に受け止め、要求を受け入れる可能性が高くなるためです。

この発想を核戦略に置き換えるならば、核保有国は他の核保有国に対して核戦争という共倒れを恐れていない意図を積極的に伝えることによって、交渉における優位を強化しようとすると考えられます。緊張状態をあえてエスカレートさせる軍事行動をとることは、外交の用語で瀬戸際政策(brinkmanship)と呼ばれていますが、これは脅迫者の核戦略という観点から見れば合理性があります。相手が核戦争の勃発を恐れるようになればなるほど、脅迫者は交渉過程で譲歩を引き出しやすくなるためです。

ただし、現在の研究者の間では、核戦力を駆使した瀬戸際政策があまり有効ではなく、少なくとも抑止ほどの効果が期待できないと指摘されています。SechserとFuhrmann(2017)は、『核兵器と強要外交』で核戦力を保有していたとしても、過去のケースで瀬戸際政策によって自国の要求を強要できたことはなく、一般的に想定されているよりもはるかに効果が乏しいと主張しています。少なくとも過去のケースで核戦争に突入することを覚悟しているという自国の決意を交渉の相手に伝えることは非常に困難なことでした。

Sechser, T. S., & Fuhrmann, M. (2017). Nuclear Weapons and Coercive Diplomacy. Cambridge University Press.

今後、欧米諸国の軍事援助を受けたウクライナをロシアが攻めあぐねる状況になれば、軍事援助を途絶させるため、欧米諸国に対してロシアが軍事的な圧力をかけることも予想しておく必要があります。

すでにロシアはウクライナに多大な通常戦力を投入しているため、通常戦力を使った脅迫では実効性が確保できないので、核戦力を使った瀬戸際政策を検討するかもしれません。しかし、そのような戦略は過去の例を踏まえれば、成功する確率があまり高くない戦略です。このような研究成果を知っておけば、今後の事態を考える上で参考となるでしょう。

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