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19世紀から20世紀までの小部隊戦術の変遷を辿る『戦闘に向けて前進』の紹介

イギリスの軍事著述家パディー・グリフィス(Paddy Griffith)の『戦闘に向けて前進:ワーテルローからベトナムまでの戦術(Forward into Battle: Fighting Tactics from Waterloo to the Near Future』(初版1981;2011)は19世紀から20世紀に小部隊戦術がどのように変化したのかを解説した著作です。軽妙な語り口で、研究者向けの専門書ではなく、一般向けの教養書として読むべき一冊だと思います。

1980年代にそのようなテーマをわざわざ小部隊戦術というテーマを取り上げた理由は、著者が現代戦において小部隊戦術の重要性が増していくはずだという認識を持っていたためです。

19世紀の戦闘では、歩兵大隊が戦列を組んだまま整然と前進し、50メートルから100メートル先に視認した敵部隊に銃を向け、指揮官の号令で一斉に射撃を加えるという方法で交戦していました。しかし、このような戦い方は20世紀の初頭における第一次世界大戦の戦闘を通じて新しいものに改められました。

第一次世界大戦以降では、小部隊戦術の運用の単位は中隊、さらには小隊へ移行していきました。部隊指揮官は兵士に一定の隊形をとらせなくなり、敵の一撃で複数名が同時に死傷しないように、間隔を広く保たせるようになりました。部隊ごとの移動の統制も緩められ、防護の観点から個人の偽装や隠蔽が徹底されるようになりました。敵と交戦する距離も200メートルを超える場面が増加し、指揮官が部下の射撃を完全に統制することはできなくなりました。そのため、部下は従来以上に自主的、自発的に戦闘に参加することが求められるようになったのです。

このような小部隊戦術では戦闘部隊が機動力を発揮することが何よりも重要であり、戦場機動の効率こそが勝敗を分ける要因であると著者は主張しています。この説には火力の発揮こそが戦闘の結果に大きな影響を及ぼすと考える当時の研究者に対する批判という意味合いがありました。例えば、ナポレオン戦争におけるイギリス陸軍の戦列歩兵は射撃の能力に秀でていたと主張するイギリスのチャールズ・オーマンの説に対して第1章で詳しく反論しました。

著者は19世紀のイギリス陸軍の戦列歩兵は正面火力を最大化できるように戦列歩兵を2列の横隊に展開し、敵と向かい合って銃撃戦を行うことができるように訓練されていたことを認めています。しかし、著者がイギリス軍のウェリントン公爵が実際の戦闘で用いた戦術を調査してみると、彼がこのような型どおりの戦い方をほとんど採用していなかったことが分かりました。ウェリントン公爵が得意としていたのは、敵部隊を巧みに至近距離に誘い出し、猛烈な射撃を加えて敵部隊を攪乱してから、銃剣突撃によって撃滅するという戦い方だったと著者は述べています。この議論はおそらく本書で多くの議論を巻き起こした部分だったと思います。

もちろん、本書の議論はナポレオン戦争の小部隊戦術だけに限られていません。第4章では第一次世界大戦を通じて歩兵の装備は次第に多様化し、昔ながらの銃と銃剣に加えて、迫撃砲、機関銃、火炎放射器、手榴弾が使用されるようになったこと、それに伴って小部隊戦術の火力運用が非常に複雑になったことを述べています。しかし、この時期においても小部隊戦術が成功するために重要だったのは、火力の優越ではなく、機動の適否であったと著者は述べています。

1916年以降にドイツ軍において突撃歩兵の戦術が発達したのですが、これは攻撃機動の方式として浸透(penetration)を採用していました。それまでの正面攻撃では前もって砲兵が十分な時間をかけて砲撃を加えた後に、大部隊をもって敵の防御陣地に突撃を仕掛けていました。しかし、浸透では敵の抵抗が激しい場所を小部隊で柔軟に迂回し、敵の後方地域に深く入り込むことを重視します。こうすれば、敵部隊間の連絡を絶ち、孤立させ、組織的な戦闘力を発揮できなくなります。

著者はこのような観点からベトナム戦争でアメリカ軍と戦った北ベトナム人民軍の戦術能力を高く評価しています。ベトナム戦争におけるアメリカ軍の小部隊戦術は航空機や火砲などによる火力の優越に多くの面で依存していました。しかし、熱帯雨林が広がるベトナムの戦場では十分な視界、射界を得ることが困難であり、北ベトナム人民軍を正確に捕捉することは困難でした。著者はアメリカ軍の部隊が北ベトナム人民軍の待ち伏せを受けた事例を紹介しながら、小部隊戦術における機動の意義を説いています。

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