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論文紹介 安全保障学はどのようにして発展を遂げてきたのか?

安全保障学(security studies)とは、対外政策の目的を達成するため、軍事的手段を管理する方法を研究する学問であるといえます。1945年に核兵器が登場したことを踏まえて発達した政治学の学問領域の一つであり、アメリカの政治学者であるスティーヴン・ウォルトはその学問の特徴を歴史の側面から考察しています。次の論文は、アメリカの研究史を中心とした叙述ですが、安全保障学の振興を考える上でも参考になります。

Walt, S. M. (1991). The Renaissance of Security Studies, International Studies Quarterly, 35(2): 211-239. https://doi.org/10.2307/2600471

この論文の主題は安全保障学であるため、まず安全保障学とは何かという問いに答えなければなりませんが、著者はそれが戦争の問題を扱う学問であることを端的に述べています。

「学問領域の境界には曖昧さがあるため、安全保障学の厳密な範囲を描き出そうとすれば、何らかの恣意性がどうしても生じてくる。しかし、安全保障学の焦点であれば、これを簡単に特定することができる。すなわち、安全保障学の焦点は戦争に関する事柄である。安全保障学は国家間の紛争が常に発生する恐れがあり、また軍事力は国家と社会に絶大な影響を及ぼすものと想定している。したがって、安全保障学は軍事力の威嚇、使用、管理に関する学問として定義できるかもしれない。安全保障学は武力を使用しやすい条件や、武力の使用が個人、国家、社会に与える影響、また戦争を準備し、予防し、実施するために国家が採用した特定の政策について検討する」

(Walt 1991: 212)

著者は政治学の一領域として安全保障学を位置づけますが、「安全保障学は基本的に政治学を基礎とするものの、それは常に学際的な研究であった」とも述べているように、隣接する学問分野とも深い関連があるとされています(Ibid.: 214)。20世紀初頭の第一次世界大戦がその成立と深く関係しており、その経験から人々は戦争の問題は「将軍だけに任せておくには、それは重大すぎる」と認識するようになりました(Ibid.: 214)。また、第二次世界大戦の末期には核兵器が登場し、戦場の部隊だけでなく、都市を丸ごと破壊することが技術的に可能になったことを踏まえて、新たな運用の研究を推進することが急務とされるようになりました(Ibid.)。

そのため、安全保障学は核兵器の問題を分析するところから出発し、抑止(deterrence)、強制(coercion)、そしてエスカレーション(escalation)といった重要な概念が続々と導入され、核戦略に対する理解が深められていきました(Ibid.: 214)。著者はこの時期に活躍した研究者としてバーナード・ブローディ、ヘンリー・キッシンジャー、アルバート・ウォルステッターなどの名前を挙げてています。

この世代の功績は大きなものでしたが、著者は次の世代の博士号保有者を適切に養成することができなかったことを指摘しています。また、安全保障学の研究があまりにも核戦略の問題に偏っていたことも問題でした。アメリカは1965年からベトナム戦争に地上部隊を派遣し、本格的に戦争に介入するようになりましたが、これは従来の研究の枠組みを超えた複雑な戦争でした(Ibid.: 216)。1970年代に研究者の関心は大きく広がり、「安全保障学のルネサンス」と呼ばれる発達期に入りました。著者は、ベトナム戦争の末期になると新しい世代が台頭するようになり、安全保障学の研究を牽引するようになったと述べています。彼らの研究にはそれまでにはない特徴がありました。

・歴史の活用:安全保障上の問題を理解する上で歴史上の事例を参照するアプローチが発達
・合理的抑止論への挑戦:歴上の事例を駆使し、合理的選択理論に基づく抑止論を批判的に考察
・核政策:研究に必要なデータや分析手法が一般的に利用可能となり、核政策の研究が発達
・通常戦争:通常戦力の運用が持つ戦略的な重要性が再認識され、戦略、戦術の研究が活発化
・アメリカの大戦略:軍事的手段だけでなく、政治的、外交的、経済的手段などを駆使し、安全保障を追求する方法への関心が増大
・安全保障学と国際関係論:リアリズム、リベラリズムのような古典的なモデルだけでなく、期待効用理論や同盟理論あど数理的モデルが導入されていた国際関係理論の領域に接近
・大学の役割の拡大:安全保障の研究で主導的な役割を果たした研究者の多くはシンクタンクに所属していたが、この時期からは大学における研究が活発化

この「安全保障学のルネサンス」が可能になったことで、アメリカの学界では多くの研究者確保できるようになり、その成果は世界中の研究者から注目されるようになるのですが、これはアメリカを取り巻く安全保障環境が変化して研究者の関心が高まっただけで生じたわけではなかったと著者は指摘しています。安全保障学を専門的に取り扱う媒体が増加し、研究の資金が確保しやすくなったことは重要な効果をもたらしました。

(1)ベトナム戦争の終結に伴って若い世代が米国の政策的、戦略的失敗に関心を持ったこと
(2)米ソ間のデタントが崩壊し、新冷戦の下で改めて問題関心が高まったこと
(3)研究者が利用できる公式、非公式の関係資料が入手可能になったこと
(4)定期刊行物、特に学術誌が増加したこと
(5)フォード財団等が研究に出資したことで研究財源が拡大したこと
(6)社会科学の一分野として安全保障学が位置付けられたこと

特にフォード財団の資金によって創刊された『インターナショナル・セキュリティー(International Security)』の影響力は大きく、この媒体を通じて多くの研究成果が世に送り出されることになりました。アメリカの情報公開制度に基づく史料の公開により、アメリカとソビエトの核時代の外交や戦略に関する調査が可能になったことも興味深いところだと思います。社会科学の一分野としての地位を確立し、その理論や方法を整備したことによって、安全保障学は長期的に発展することが可能になったと著者は論じています。アメリカと日本では研究を取り巻く環境に大きな違いがあるものの、どのような方向に向かって安全保障学を発展させるべきかを考えるときに、著者の視点は参考になるものだと思います。

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