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戦争の原因を探求した哲学者カントが常備軍と戦時国債の二つを禁止すべきだと主張した理由は?

18世紀にプロイセンで活躍した哲学者イマヌエル・カントは『永遠平和のために(Zum Ewigen Frieden)』(1795)と題する小論を書き残し、平和を維持するための条件を考察したことで知られています。当時はフランス革命戦争(1792~99)でフランス軍がオランダに侵攻し、プロイセンやスペインと相次いで講和を締結するなど、ヨーロッパで大きく戦局が動いていました。

このような国際情勢の推移を眺めながら、カントは戦争を防止する上で最も注意深く対処しなければならない要因として、常備軍と戦時国債を挙げています。今回の記事では、なぜカントがこれら二つの要因を重視していたのか、その理由を紹介してみたいと思います。

イマヌエル・カント『永遠平和のために』宇都宮芳明訳、岩波書店、1985年

先制攻撃のリスクが軍拡競争、そして戦争を誘発する

カントは戦争の道具を軍隊、同盟、戦費の三つに区分して論じていますが(邦訳、カント、17頁)、その議論を詳しく調べてみると、軍隊の存在を一概に否定していたというわけではなかったことが分かります。重要なのは、軍隊が職業軍人で編成された常設の軍隊、つまり常備軍であるかどうかという点であり、民兵であれば国際政治に及ぼす効果がまったく異なったものになると考えていました。

現代世界では常備軍が当たり前の存在になっているので、カントがこのような議論をしている理由は不思議に思われるかもしれません。しかし、当時の世界では常備軍を整備できるのは大国だけでした。少なくとも、現代の軍隊のように、短時間のうちに必要な兵力を動員できる国はなく、戦争が勃発しても直ちに敵地へ侵攻できたわけではありませんでした。常備軍の特性は、このような動員の所要時間がわずかで済むため、開戦から時間を置かずに敵地に侵攻できることです。その意味において、常備軍を持つ国は高い攻撃的能力を有すると見なすことができました。

ここでカントが懸念したのは、現代の政治学者が言うところの軍拡競争(arms race)でした。ある国が常備軍を整備すれば、先ほど述べた通り、平素から戦闘の準備を万全に整え、いつでも他国に先制攻撃を加えることが可能になります。民兵しか持たない国は、隣国が常備軍を整備すれば、防衛が困難であるため、同じような常備軍を整備せざるを得なくなります。もちろん、この常備軍は防衛を目的にした軍備ですが、周辺諸国の視点から見れば、それらも攻撃的能力として受け止められる可能性があります。このような相互作用が続くと連鎖的に軍拡競争が起こり、これが大規模な戦争の原因になってしまうとカントは考えました。

「常備軍が刺戟となって、たがいに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷になり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである」(同上、16-7頁)

誤解されやすい点ですが、カントは、あらゆる軍隊を廃止すべきだと主張していたわけではありません。

カントは自らの道徳哲学の立場に依拠することで、人間を単なる戦争の道具として使用することが非道徳的だと判断しましたが、国民が自発的に武器の訓練を受け、自国を外敵から守ろうとすることを否定したわけではありませんでした(同上、17頁)。カントが常備軍だけを禁じているのは、その攻撃的能力が国際政治の安定性を損なうためであり、軍隊全般にその議論が適用されるわけではありません

戦債の発明が、戦争をより簡単にしてしまった

戦争の道具としての軍隊、同盟、戦費の中で、カントが最も重要な道具だと考えていたのは戦費でした。より厳密な言い方をするならば、カントは戦時において戦費を調達するために発行される公債、すなわち戦債の発行こそが戦争に多大な影響を及ぼすと見ていたのです。

そもそも、戦債とは何でしょうか。通常、政府は道路の建設や倉庫の建設といった公共事業を遂行するために、税金の徴収によって公的支出に充てる資金を調達することができます。しかし、政府が支出する金額が莫大になる場合、それだけでは十分な資金を確保することができないことも少なくありません。戦争はその典型です。このような場合、政府は公債を発行し、投資家に購入させることによって、当面の資金を調達します(同上、17-8頁)。

資金を提供する見返りとして、投資家は将来的に利子を受け取ることが期待できます。これが戦債の基本的な仕組みであり、カントは、この税収の限界を超えて政府が支出することを発明したイギリスを高く評価していますが、その手法が戦費の調達に応用された場合、戦争を遂行するための財政的な制約が取り払われてしまうことを指摘しています(同上、18頁)。

「これは危険な金力、つまり戦争遂行のための宝庫であって、この宝庫はほかのすべての国の財貨の総量をしのぎ、しかも税収の不足に直面しないかぎりは(その税収不測も、借款が工業や商業に及ぼす遡及効果によって通商が活気づくため、ずっと先まで引きのばされるのであるが)空になることもない」(同上)

ここでカントが述べているように、政府が戦債を通じて調達した資金は、いずれ利子をつけた上で債権者に返さなければなりません。そのために充てられるのは将来の税収であり、その財政負担は最終的に将来世代の納税者に配分されることになります。

しかし、戦争という緊急事態においては、将来世代の納税者に負担を配分することの是非を検討する時間的な猶予はありません。政治家の立場から見れば、現役世代の納税者を説得するよりも、戦債を発行する方が、政治的にはるかに容易であるということは見過ごせない利点です。

カントは、こうして戦債による戦費の調達が可能になったことは、戦争を引き起こすコストを相対的に引き下げることに繋がり、開戦のハードルを引き下げていると考えました。

まとめ

現代の国際政治学の立場でカントの議論を読むと、彼が戦争に一定の合理性があると考えていたと解釈できます。戦争に関する政府の意思決定は、財政的負担の大きさや、軍事的能力の優劣によって左右されるものであることが想定されています。そのため、戦争を防止し、平和を維持したければ、政府の意思決定に影響を及ぼす要因を変えなければなりません。

国際政治学の教科書や参考書を読んでいると、カントは「現実主義」ではなく、「理想主義」の思想家として紹介されていることもあるのですが、それはやや単純化しすぎた解釈だと私は思います。

カントは民兵が武器を手にとり、侵攻してきた敵軍に抵抗することは正しいことだと考えていただけでなく、戦争が勃発するに至る政治的意思決定は利害得失に基づいているものとして分析していました。このようなアプローチで議論を展開するカントはある意味において非常に現実主義的だと思います。


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