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ビジネスの不正解を論ずるなかれ



お仕事をしていると常々思うことがある。

ビジネスにおいて絶対的な『不正解』などない。
法を犯している場合は論外として、仮にこの中で "どれが絶対悪だ" なんて言えるだろうか。

① 消費者第一を掲げる企業が原価割れゆえの損失により従業員の給与を下げる。
② 従業員に1円でも多く給与を還元したいので利益を担保するため原価を抑えたものを売る。
③ 自身の子どもの養育費を担保するため現状経営が厳しい取引先の商品を買い叩いて商いを行う。


当然、理念や志向として個人的に好まないものは各々あって然るべきだと思う。もちろんわたしにだってある。

一方で、世の中の経済活動においてそれぞれが守るべきものを守っている。
そして各々が守るべきものが偏り過ぎないよう、バランスを保った結果で経済が成り立っていると思うのだ。


その前提で言えば組織の肩書きを背負って他者のビジネスを誹議してしまうのは美しくない。つまり、昨今あちこちで目にする『A社の事業はおかしい』とB社の責任者が声高に言ってしまえるあれがあまり得意ではない。

一個人の見解というのなら十分に理解できる且つ全く問題が見当たらないと思う。
一方で、経営者や事業責任者の立場をとって発言するのであればそれはポジショントークに過ぎない。そしてそのポジションは、批判対象である事業者も含め様々な形態の様々な事業があってこそ築かれている。
だとするならば、事業責任者の立場におりながらいち側面を取り上げて他者のビジネスに対し正解・不正解を語ってしまうことは少しばかり視野が狭くなっているかもしれない。

正解などないビジネスにおいて、こちらが正解あちらが不正解なんて言ってしまった日には、宗教戦争が始まる。
事業においてのビジョンなんて『わたしたちは〇〇します』で十分なのだ。自身の事業を肯定するためになにかを否定することが必須なわけがないのだし、経済が回って初めて各々の思う正解が成立している。
そしてそれは特定の誰か"だけ"の成果では決してない。

どんなに高い理想を掲げようと浴びるほどの泥水を啜ろうと、事業やビジネスは他者があって初めてそこに在れるのだ。その事実を放棄して、どこぞの責任者が他者のビジネスの不正解を指摘演説してしまうことは、まわりまわって自身の築いた立場すら否定することじゃないかしら。

もちろんこれは特定の誰かに宛てたものではないので、そんなことは心に留めておきなよという声が聞かれるかもしれない。
まったくもってその通り。

自分の胸に手を当ててみれば『わたしも事業や組織について真剣に考えたりするんだぴょーん』とアピールしたい邪心があった。
人間って、いいよね。


何はともあれ、公の場でお見かけするそういった発言について手放しに尊敬出来たものでないというのがわたし個人の率直な感想である。



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