還暦前の気付き ③ お布施

幼少の頃の絵本か何かの挿絵の印象だと思う。

「お布施」と言うと、贅沢な衣服を纏ったお金持ちが、若干、見下ろす感じで、ボロを着たやせ細った者にお金を「あげて」あげる光景を・・・。もし、タイやミャンマー等の若い僧侶が托鉢している情景をリアルに見ていたらそんなことはなかったかもしれないが、もっぱら喜んでいるのは、お布施を受け取り御辞儀をしている僧侶の方だと確信していた。

しかし、お布施は、実は、お布施をした人の心を豊かにするものなのだそう。「善行の最大の報酬は、もう1つの善行ができること」で、外資系企業でボランティア活動を「強制」された時に、それを痛感した。例えば、オフィスがある一定区域のゴミ拾いを社員一同とした際の気付きや清々しさ・・・。初めは、「俺さまの一分一秒で幾ら稼げると思うんだよぉ~」と嫌々だったが、ゴミ拾いが終わった時は、「是非、次回も何らかの形で参加させて頂きたい」とお願いしていた。(路上のゴミにタバコの吸い殻は想定内だったが、意外とタバコの箱を包むセロファンなどが多く植栽の中にも投げ入れられたりしているのにはビックリし、人間の見えない影の部分をちょっと垣間見れた気もした。)

似て非なるのかもしれないが、今回のコロナ禍で、「寄付」も、「助け合い」(つまり「助ける側」も心理的に「助けられる」)的要素が強くなり、「お布施」的になってきている様な気がしてきている。(2024年度前半から1万円札の顔になる「資本主義の父」と呼ばれている渋沢栄一を祖父の父とする渋澤 健さんの共著、「寄付をしてみよう、と思ったら読む本」(日本経済新聞社出版社)も新たなる視点を学べるお薦めの文献である。)最近、話題のクラウドファンディングもそれに近い。自分が応援したい活動に、身の丈にあった額を寄付し、それがテクノロジーの恩恵で、刻々と、その増加額と総額をチェックでき、一緒に喜べるのだから。これは、もはや金銭の「モノ」ではなく、心が豊かになる「コト」なので、その「モノ」ではなく、「コト」の視点でみると、やはり、お布施は、お布施する方が頂いているのではないであろうか。

「モノ」視点で判断する習慣が身に付いてしまっている自分に猛省し、絶えず色々な視点で物事をみれる大切さを特に今後は気を付けたい。












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