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【映画コラム/考察】アンドリュー・ヘイ監督の脱"男らしさ"の眼差し 『WEEKEND ウィークエンド』/『荒野にて』

『荒野にて』(2017)/ 『WEEKEND ウィークエンド』(2011)

 11月19日は、"国際男性デー"で、男性の心身の健康やジェンダーフリーの価値観を推進するために設立されたものです。その中には、保守的"男性らしさ"を強制しない社会の実現が含まれます。この国際男性デーに関連して実施された各種調査やアンケートから、多数の男性が、"男らしさ"に対して、何らかのストレスを感じていることが明らかになっています。

そんな"男らしさ"に、焦点が当たっている、国際男性デーにおすすめの映画が、アンドリュー・ヘイ監督の『荒野にて』と『WEEKEND ウィークエンド』です。

  "男らしさ"をめぐる考察については、あとで詳しく説明しますが、まずはこの2つの映画の魅力について語ります。

 まず第一に、『WEEKEND ウィークエンド』、『荒野にて』ともに、撮影風景が凝っているため、映像自体が美しく、シアタールームなどで見ると一層、至福の映画時間を過ごせる映画の一本です。

  そして、第二に、主人公を演じる俳優たちが、魅力的です。『WEEKEND ウィークエンド』では、トム・カレンの優しい丁寧な語り口調を始めとした、演技だけではない、トム・カレン自身の人間性がこの映画を魅力的にしています。『荒野にて』では、ヴェネチア国際映画祭新人俳優賞を、獲得したチャーリー・プリマーが、繊細な少年役を、見事に演じています。そして、カメラを通した、優しい視線を感じさせるアンドリュー・ヘイ監督の手法が彼らの魅力を、さらに大きくしています。

 また、特に『WEEKEND ウィークエンド』は、2日だけの恋愛を描いたもので、個人的に好きなリチャード・リンクレイター監督の『恋人までの距離(ディスタンス)』=『ビフォア・サンライズ』を連想させりる良作で、その後をそれぞれに想像させるような余韻を残してくれる映画です。


そして、LGBT映画としての『WEEKEND ウィークエンド』についても言及しておきます。

 まず、監督のアンドリュー・ヘイと主演のトム・カレンは、ゲイであることをカミングアウトしています。

また、『WEEKEND ウィークエンド』は、2011年公開のアンドリュー・ヘイ監督のデビュー作ですが、日本では、『荒野にて』の後の2019年に一般公開されています。

この間に、バリ―・ジェンキンス監督の『ムーンライト』やルカ・グァダニーノ監督『君の名前で僕を呼んで』など、話題のLGBT映画が公開されています。

また、『WEEKEND ウィークエンド』の日本での配給は、ファインフィルムズが行っていますが、この間に、同じファインフィルムズが配給する『ゴッド・オウン・カントリー』が話題になっています。

そして、ハリウッドを中心に、"me too"運動などが起こり、"ジェンダー・フリー"の機運が高まる流れの中で、「男らしさ」についての内容を含んだアンドリュー・ヘイ監督の『荒野にて』も高い評価を受けることになります。

『さざなみ』についても、「女性らしさ」の役割の上に立つ、妻としての存在が、主人公の中で崩れるストーリーとして見ることもできます。

 これらの追い風を受けて、やっと、上記の作品と比べても遜色のない『WEEKEND ウィークエンド』が、日本で公開されることになります。


※『荒野にて』は、現在、Netflixで視聴できましす。

※以下は、ネタバレを含む解釈を含みます。

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1 『荒野にて』における、「男らしさ」を求める父性社会に適応できなかった少年

『荒野にて』で、特に引っ掛かったのは、次々に過酷な試練が、主人公チャーリーに与えられるストーリーでありながら、ラストでも明らかなように、決して少年の成長や克服を描いたストーリーではない点です。

代わりに、『荒野にて』おいて、物語の中心になっているのは、主人公の少年チャーリーが、保守的な「男らしさ」を求める父性社会に適応することができず、最終的に、心優しい繊細な少年を受け入れてくれる叔母の所にたどり着き、安住を決意するストーリーです。

ラストのシーンで、ジョギングをするチャーリーが、立ち止まって、振り返る場面には、それらを象徴するような意味合いが込められている気がします。

そして、そこには、古典的なステレオタイプの「男性らしさ」を否定すると言うよりは、そうではない生き方を描くことで、そのような生き方を、多くの人たちと共感したいというアンドリュー・ヘイ監督の眼差しを感じさせます。

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2 アンドリュー・ヘイ監督の撮影方法とゆったりと見守る視点


  それを可能にしているのは、アンドリュー・ヘイ監督の撮影方法です。少し離れた場所から、さらに、画面中央から外れた、水平方向にカメラを固定した、長回しが特徴的です。アンドリュー・ヘイ監督の作品で共通するのが、このようなカメラを通して、主人公をそっと見守る視点です。


 これらの眼差しや視点は、『 WEEKEND ウィークエンド』にもより強く感じられるもので、『WEEKEND ウィークエンド』を観ることでさらに確認できます。

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3 『WEEKEND ウィークエンド』における、「男らしさ」を求める父性社会の片隅で、幸せを探す主人公


『荒野にて』の少年チャーリー以上に、「男らしさ」父性社会の中心から離れた場所に生活しているが、ラッセルです。ラッセルは、孤児で施設で育っている点、ゲイである点において、『荒野にて』よりさらに、明確です。しかし、チャーリーにも、ラッセルにも、母親が不在ですが、本心を打ち明けられる存在としてのラッセルの叔母と同様に、ゲイであることを言える存在として、同じ施設で過ごした親友が登場します。

そして、ラッセルは、ある金曜日の夜、偶然クラブで出会ったグレンと、一夜を共にします。

ラッセルに対して、グレンは、とても対照的な人物です。ラッセルは、ゲイとして、父性社会の中で目立たないように、ささやかな日常を懸命に生きている人物です。それに対して、グレンは、ゲイとして、「男らしさ」を求める父性社会の中で、主張しながら挑戦的な生き方をしている人物として描かれています。

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そして、一夜を共にした翌朝、グレンは、昨晩のことをラッセルに話させて、それをカセットテープレコーダーに録音します。実は、このカセットレコーダーが、アンドリュー・ヘイ監督がこの作品で最も伝えたかったメッセージを託す、重要な装置(記号)なっています。

そして、二人は心地よい土曜の一時を過ごし、わずかな時間で絆を深めていきます。しかし、グレンが夢を叶えるために日曜日にこの街をでなければならない事実をラッセルは知ることになります。

この事もあって、対照的なお互いの価値観が原因で、言い争いが起きます。そこで、「男らしさ」を求める父性社会で生きていくために、恋人を求めることに懐疑的なグレンに対して、ラッセルは、「幸せになりたいだけの人もいるんだ」と語りかけます。映画の中で、最も、観ている側の心を揺さぶる場面の一つになっています。


そして、アンドリュー・ヘイ監督がこの映画を通して、伝えたいことが、この一言に集約されていると思われます。そこには、脱父性(「男らしさ」)的な生き方に対する肯定の眼差しが存在します。

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4 『WEEKEND ウィークエンド』における、「男らしさ」を求める父性社会とカセットレコーダーに込められた意味


そして、最も心を打つのが、ラッセルがグレンを見送る駅のホームで、普段は恐れて決してしない、人前での、愛情表現をする場面です。この場面が、とても秀逸で、前述の通り、少し離れた場所から固定された視点から撮られた絶妙なアングルで、マンションの窓からグレンを見送るアングルと同様に、アンドリュー・ヘイ監督の優しい眼差しを感じるとともに、私たち観客の感情移入をしやすくしています。『君の名前で僕を呼んで』のラストシーンも同様な絶妙なアングルで、同様の効果を生んでいます。


そして、そこでグレンは、涙を流し、例のカセットテープレコーダーをラッセルに託します。グレンが、自身の芸術に役立てるためと言って、ラッセルのインタビューを録音したカセットレコーダーは、実は、グレンの心を傷付ける父性社会から、自身を守るための武器だったわけですが、ラッセルの心からの愛で、武器を背負った重荷から解放されます。
これは、グレンが「男らしさ」を求める父性社会への抵抗から解放されたことを意味します。

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