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【映画】是枝裕和監督『DISTANCE』(2001) 【映画監督の初期作品】

  

是枝裕和監督は、言うまでもなく、日本を代表する世界的な監督の一人です。フランス映画の『真実』に続き、現在、韓国映画の『ブローカー』を制作中だそうで、期待して待っているところです。そして、是枝監督の初期作品の中で、個人的に印象に残っているのが、今回取り上げる『DISTANCE』(2001)です。


 ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』が、アカデミー賞作品賞などを獲得し、アメリカで旋風を起こしましたが、同様の貧困層の家族をテーマにした、『shoplifter』(万引き家族)が、前年度、アメリカの批評家の間で高い評価を受けていました。 

     このカンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲得した『万引き家族』にも通じる、是枝監督作品の底流にあるものの原点が感じられる作品が、本作の『DISTANCE』(2001)です。

是枝監督作の特徴として、最近のダルデンヌ兄弟やケン・ローチ監督同様に、社会問題を切り口にした人間ドラマがしっかり描かれていますが、その一方で、理性だけでは理解できない人間の本質的なものを強く感じさせる作品が多いように感じます。『DISTANCE』(2001)は、その特徴が顕著である作品です。

 この作品の内容は、オウム事件を連想させる、バイオテロを起こした教団の、遺された加害者家族と寝食をともにしていた元信者側から描かれた加害者のストーリーです。事件についての直接的な描写はほぼなく、加害者との思い出を語り合いながら、加害者の人物像(物語)が靄がかかったまま、浮かび上がる物語構成になっています。

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しかし、物語が進むにつれて、加害者と加害者の家族の2つの現実(物語)が、並行していることが徐々に明らかになります。

加害者たちは、ポスターの白いユリが示す通り、とても繊細で、虚構で歪んでいる社会(現実)から目を背けることが出来なかった純粋な人たちです。否応なしに、真の実存について、考えを巡らしてしまった人たちです。そして、その結果、現実社会を支配する善悪を越えた結論に達してしまった人たちです。

大きな視点から見れば、システムを維持するために、一部で、終わりと始まりの再生を繰り返す自己言及的な摂理に矛盾しないわけですが、大切な人が、突然、加害者になってしまった家族にとっては、現実として受け入れることができず、苦しみ続けます。

それは、家族にとって大切な人である加害者の表象(イメージ)と社会がつくる加害者の表象(イメージ)が、大きく異なるからです。そのことを確認するために、集まった人たちだったのではないでしょうか。

しかし、現実の社会に生きていかなければいけない家族やかつての仲間は、事情聴取のシーンのように、彼らを否定しなければならない人たちです。そこには、確実に、近い場所にいたのに、いつの間にか遠い向こう側に、消えてしまったディスタンスが存在しています。
 

 井浦新さんが演じる代表の息子と思われる人物が、ユリを捧げ、水辺に架かる橋を燃やす場面は、象徴的かつ印象的な場面です。

 この映画には、もう一つ重要な要素があります。この映画は、どことなくぎこちない会話が、多くみられますが、脚本には、台詞がなく、今も活躍する個性派俳優たちによって紡ぎだされた言葉で成立しています。

(以前書いた記事の一部を編集し、書き直したものです。)


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