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第2回最恐小説大賞受賞の戦慄ホラー『森が呼ぶ』の冒頭公開

恐怖とは何か。最恐とは何か――。
小説投稿サイト〈エブリスタ〉と竹書房が、恐怖の頂点を求め、ノールール、ノータブーで募集する新たなホラー小説賞【最恐小説大賞】。
その第2回長編部門受賞作となった注目のファウンドフッテージホラー『森が呼ぶ』の発売を記念して、同作品の冒頭を公開いたします。

はじめに

 選考委員様。
 初めて応募させて頂きます、宇津木健太郎と申します。
 本来、小説選考の公募でこうした物を応募作品として送るのは非常識であり、また小説賞を軽んじていると捉えられてしまうのは、無理からぬことと思います。
 ご覧頂ければお分かりと思いますが、同封の原稿は、小説というよりは日記の体裁に近く、小説とは呼べないかもしれません。
 しかし一方で、日々の記憶と思い出を綴るだけの記録としてはあまりにも空想的であり、そのくせとても生々しいのです。
 果たしてこれを小説と呼んでいいか、私には判別しかねます。ですが、大学で私の数少ない友人だった彼女から送られたこの記録は、誰かに共有されねばならない。読了した後、私はそう直感いたしました。それ故に、小説賞を頂き、衆目を集め、より多くの皆様に周知いただきたく。
 ネットのSNSやブログ等では、求心性など得られません。権威ある御社の賞を受賞した上で周知しなければ、意味がないのです。
 この記録が何処まで事実で、何処からが彼女の妄想なのか、判別する手段はありません。何度もこの日記を書いた友人に連絡を試みていますが、一向に応答がないのです。
 もしかしたら、全ては彼女の悪戯で、私は踊らされているだけなのかも知れません。
 それでも、私はこの可能性としての真実を、もっと多くの人に知ってほしいと思い、この度応募させていただきました。
 尚、お送りした原稿ですが、元々友人から送られてきた文は誤字・脱字が多く、かなり慌てて書いた様子でした。特に後半は判別が難しい箇所も多かったのですが、なるべく拾える限りの文字を私が書き起こし、文章にして印刷しています。
 また、この原稿の内容を裏付けるための、友人が記した日記を同封できればよいのですが、彼女と私はお互い速記を習得しており、日記や観察記録は漢字を除くほとんどを速記文字にて書いておりますため、同封に意味はないと判断致しました(この共通の特技のお陰で、私達は友人になれました)。
 それでは、ご確認をお願い致します。

八月七日 十三時三十四分 大学構内

 実験室を後にして遅めの昼食を食堂で摂っている時、阿字蓮華からスマホにメッセージが入った。
 今年の三月に修士課程を卒業して以来、数度しか連絡をやり取りしていなかった彼女だが、危惧していた通り、あまり芳しい状態ではないらしい。
 メッセージには、故郷に帰った彼女が自身の置かれた環境を憂う悲壮な文章が記されている。私は、自身の不甲斐無さを感じながら労いの返事を送った。
 ……今年の三月に、私と阿字はS大学の修士課程を卒業した。阿字も私と同様、院生として研究を続ける予定だったが、昨年の丁度この季節、阿字の姉が急逝した。何でも、山で崖から落ちたらしい。棺の中を見ることも敵わなかったそうだ。
 だから、本来姉が継ぐはずだった家督を阿字が受け継ぐ運びとなり、故郷を出て自由を約束されていたはずの阿字は、帰郷を余儀なくされた。この問題は彼女の家族のみならず、故郷の村全域に影響の及ぶ話になるからだと言う。
「私の村、複雑な事情があるの」
 落胆して彼女は言った。無粋な興味が湧いて少し話を聞こうとしたが、多くは聞き出せなかった。それというのも、姉の桜さんが生まれた時から、村で阿字家の担うその役割は、全て姉が『当主』となって担うものとされており、その英才教育を受けて桜さんは育ったそうだ。
 だから妹である阿字には、家が取り仕切る村の神事(確かに神事、と言った)にまつわる話はあまり聞かされてこなかったし、その手伝いを要求されたこともなかったという。
 自分の好きなように生きることができると思っていたのに、と彼女は暗い顔で愚痴を溢した。帰郷を強要する故郷からの連絡に、電話越しで丸一日口喧嘩をしたらしい。それでも、何世代にも亘って続く村の儀式と伝統に一個人は決して逆らえない、の一点張りで、まるで話にならなかったらしい。かろうじて、卒業までは大学に残ることを許してもらったものの、それで精一杯だった。
 逃げてしまえばいい、と気安く口にするのは簡単だったが、現実はそうもいかない。今の時代、アルバイトだけで院生の学費を稼ぐのは無理がある。実家の庇護を得ずして大学での研究を続け、学問に身を費やすことはできない。
 助けられないことに歯がゆい思いをしたが、それでも阿字は笑ってくれた。会える機会は減るかも知れないが、それでも連絡を取り合っていこうと。
 そうして友人達や研究生達と目一杯思い出を作り、今年の三月に阿字は帰郷した。
 当初こそ頻繁に連絡を取っていたものの、阿字が地元で家督を継ぐ『修行』を詰め込まれ、そして私も研究の過渡期が訪れていたため、ここしばらくはほとんど連絡が取れていなかったのだ。
 そんな中で、阿字は私に疲労困憊している旨の連絡をしてきた。
 曰く、姉が今まで二十年以上の歳月の中で教え込まれてきた全てを一気に、一族が自分に教え込もうとしている。所作や礼儀作法に始まり、私生活と精神の在り方についてまで。
 何でそんなことを、と呆れると、近く村全体で大きな予定があるのだ、と曖昧に返事をされた。
 メッセージのやりとりではその全体像をぼんやりとしか掴めないが、阿字家が担っている村での役割とは、土着信仰に関わるものらしい。
 彼女の故郷には仏教とは違う信仰があり、その神事や祭事の一切を取り仕切るのが阿字家の役目であることは分かった。だが、仔細はようとして知れない。何せ、阿字自身が全てを把握しきれていないのだ。
 だがそれでも、この四ヶ月で強要される膨大な情報のインプット・アウトプット作業が過度なストレスになっていることは想像に難くない。しかも、全ては彼女自身の望んでいなかったことなのだ。
 夏休み期間中も短時間開放されている食堂で味の薄いカレーを食べながら、阿字と幾度かメッセージのやり取りをし、食器を片付け終えてから、私は電話を掛けてみる。だが、電波の届かないところにいる、という自動メッセージばかりが流れた。
 メッセージを送って改めて確認をすると、村には電波が届かないらしい。今までのメッセージはどうやって送受信していたのかを尋ねると、アプリをパソコンにインストールし、そちらから送受信のやり取りをしていたと言われた。
「Wi‐Fiもないのよ。なくても不便じゃないからって、近代化しようとしない。呆れる」
 フィールドワークには最悪ね、と愚痴をこぼし、私は苦笑した。
 せっかく急ぎ食事を済ませて食堂を後にしたが、手持ち無沙汰になってしまった。研究室に戻ってもいいのだが、急いで取り掛かるフェーズでもない。なんなら、他のメンバーに任せてしまっても問題はない程度のデータ観測しか、今はすることがなかった。
 私はベンチに腰を下ろし、真夏の木漏れ日と蝉時雨の中で放心した。私の愛すべき虫達は、この夏にこそ最も活発になる。私が最も好きな季節だ。
 だが、一方の阿字にとっては今、憂鬱この上ないだろう。
 オンライン通話はできるかと訊くと、パソコンの前に座って話をする時間が作れないという。何より家族が、ディスプレイに向かって独り言を言っている様子を気味悪がり、その都度邪魔をしてくるらしい。冗談みたいな話だったが、阿字達の親の世代から見てネットワーク技術というものはそのレベルの存在であるようだ。
「特に、この村の祖父母の世代は、未だに土着信仰を信じてるくらいだから。流石に、一部では形骸化が始まってるけど」
「何ていう村だっけ」
「犬啼村」
 いぬなきむら、と私は繰り返す。どのような所以があってその名前になったのだろう。そう考えていると、阿字が本題を切り出した。
 頼みは他でもない、どうか少しの間でもいいから、自分の村に来てはくれないか、と。
 本人はやや軽い調子で、できたらでいいよという風に口にしたものの、その言葉の裏には、縋るような懇願の色があることがひしひしと伝わってきた。
 無理もないだろう。閉鎖的な村から抜け出したと思えば、一転して強制送還。そして家と村のために生きろと言われ、開けたはずの未来と自由を奪われたのだ。例え現実的な解決手段を得られないとしても、誰かに傍に居て欲しいと思うのは自然なことだ。
 分かった、と返信して、私は嘆息した。燦々と照る太陽の光は木々の葉を通し木漏れ日となり、人気のないキャンパスに放り出された私の孤独を明瞭に浮き彫りにする。夏真っ盛りな晴天の清々しさに反比例して、私の心は憂鬱だ。親友が、自分の人生に苦しんでいるのだ。悩みもしてしまう。
 大学は、そろそろ盆休みに入る。この期間ばかりは、学校も開放されない。幸い、研究室に行かねばならない用事もない。実家暮らしの私には、そもそも帰省する必要もなかった。
 どうせ私は、学校でも家でもそれほど重宝される存在ではない。阿字とは違って。
 迎え火も送り火も、今年は弟に任せよう。そう決断して、私は日程を伝える。かなり忙しいと思うが、お盆休みに向かっては迷惑だろうか、と。すると彼女は、すぐに返事を送ってきた。
「うちの村、仏教じゃないから大丈夫」
 さっき言った大きな予定ってお盆の時期に重なるから、丁度いい。阿字はそう言って、私に来るべき予定の日を教えてくれた。
 決まりだった。
 私は、個人的なフィールドワークも兼ねてしまおうと決めて、記録帳と日記を持っていくことにした。
(宇津木注・彼女の場合、毎日日記を書く習慣はありません。しかしイベントや印象的な出来事、事件が起きた、またはこれから起きると予感した場合に限り、事細かに記録をつける趣味があります。彼女にとっての写真アルバムが、この日記でした)

……続きは書籍にてご覧ください。

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著者プロフィール

宇津木健太郎(うつぎ・けんたろう)
埼玉県越谷市出身。本に囲まれた家に育ち、気付いたら小説を書き始めていた。各賞への小説の応募や投稿を当たり魔的に繰り返し、ようやくエブリスタ×竹書房「第二回最恐小説大賞」長編部門にて本作『森が呼ぶ』が大賞受賞。プロフィール欄で遊ぶことを目標の一つにしていたので遂に夢が叶ったと歓喜するも、何を書こうか迷っているうちに一時間が経過している。カフェイン中毒。

書籍情報

『森が呼ぶ』
宇津木健太郎・著
装画:アオジマイコ
2021年7月15日発売

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