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ガンになる前、僕は「生きて」いなかった。
ガンになる前、僕は「生きて」いなかった。
いやいや、ちゃんと生きてたでしょ。
毎日仕事して、ボクシングもやって、ご飯食べて、寝て、生きてたでしょ。
もちろん、そうです。
でも、それは「肉体的」に生きること、そして「エゴ」として生きることでした。
「エゴ」は自分の外側に「何か」を求めて走ります。
「エゴ」は自分のことを「足りない」「足りない」と思っているので、常にその「足りない」部分を埋めようとして、外側にその「埋める」ための何かを探し、見つけ、補填しようとします。
男性の場合は「地位」や「お金」「ステイタス」「車」「家」や「時計などの高級品」などが代表されます。
女性の場合は「美しさ」「スタイル」「宝飾品やブランド品」「他人からの評価」などでしょうか。もちろん「お金」もあります。
共通しているのは、それを手に入れると一瞬満たされるのですが、しばらくすると次の「何か」がまた欲しくなってしまうことです。
ガンになる前の僕は、いまから思い返すと、「他人からの評価」を求めていたように思います。
一言で言うと「すごいね」って言ってほしい。
それだけです。
裏を返せば、自分のことをいつも「すごくない」「足りない」「まだまだ完璧じゃない」と感じていたので、それを埋めるような評価が欲しかったのでしょう。
自己評価の低さが、それを作り出します。
もちろん、そんなこと自分では気づいていませんでした。
自分は成功者だと思っていましたからね。(アホです)
でもそれは、「成功した自分」「うまくやった自分」「評価された自分」という光の部分だけを認めて、そうでない影の部分「うまくいっていない自分」「自信のない自分」「不安や恐れにおののく自分」から眼をそらして、見ないように無意識の中に押し込めてしまう生き方でもあったのです。
僕のようにしつこい性格(笑)のエゴは、執着・固執しますから、相当な強度で「すごいねって言って!」に粘着していたんだと思います。
ある意味、それまでの僕の人生は、「すごいね」って誰かに言ってもらいたい、それだけに駆り立てられてきた人生だったと言えます。
これじゃ、ガンにだってなりますよ(笑)。
この「駆り立てられる人生」って、ほんとうの自分が生きたい人生だったのか?
いえいえ、それはノーです。
気づいたら、駆り立てられていて、もうネズミ車の中から出られなくなっていたのです。
そもそも、気づいてさえいなかったんですが(笑)。
ガンになったとき、どうしてガンになんてなったんだろう?
と振り返りました。
するとそれまでの歪んだ生き方が、思い起こされたんです。
「すごいね」って言ってもらうために、ずいぶん無理をしてきた。
その「無理」がストレスになって、ガンを作り出したんじゃないかってことです。
ガンをはじめ、病気はメッセージを伝えてくれることがあります。
「生き方が歪んでいるよ」
「もっと自分を大切にしようよ」
「ほんとうの自分を、生きていないよ」
そう、僕はエゴの作り出した「僕は足りない」という幻想に飲み込まれて、外側にばっかり何かを追い求めて病気になったのです。
エゴの作り出した「ニセモノの自分」を生きるのではなく、もっと心の奥底、魂の部分から感じるものを大切にして生きる。
それが「本当の自分を生きる」なのでしょう。
ガンになって死にそうになって、僕はやっと「ニセモノ」の自分から脱皮することが出来たのでした。
そういう意味でも「ガンよありがとう」ですね。
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