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脳に転移⁉ 自分の名前が書けなくなった…(『僕は、死なない。』第19話)


全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則

19 死の覚悟


 数日後の4月12日。妻と新宿御苑に花見に出かけた。

 電車を乗り継ぎ、新宿御苑前で降りる。地下から地上へ出る階段が辛い。100メートル歩くと、息が切れた。でも、横に妻がいる。妻は僕の手を取ると、優しく引いてくれた。

 目の前に広がる満開の桜。・今、ここ・で命の輝きと喜びを全身で表していた。

 きれいだ。本当にきれい。ここに来てよかった。いや、ここに来られてよかった。

 今年の桜を見ることはできないかもしれないと何度思ったことだろう。でも、来られた、見られたんだ。

 ピンクに咲き乱れる桜の花が僕を祝福しているようだった。

 よし、来年も来るぞ、ここに。新宿御苑に桜を見に来る。必ず来るんだ。僕は歩く妻の横顔を見ながら心に誓った。

 花見から帰って数日後のある朝、布団の中で強く咳をした。

 バキッ、胸の真ん中でいやな音がした。瞬間、刃物で刺されたような痛みが全身に走った。

 なんだ、何が起こった?

 動けなかった。まるで全身が固まったように動くことができなかった。

 まずい。何かが起こった……もしかして咳の衝撃で肋骨が折れたのか?

 脂汗をかきながら、1時間ほど横になっていたが、なんとか身体を動かした。体勢を変えるたび、胸の真ん中に激痛が走った。薬箱から痛み止めを取り出し、口に含んで数十分、なんとか動くことができるようになった。

 用事があるとき以外は、常に寝ていたくなった。

 まるで胸に鉄板が入っているかのように呼吸ができなくなってきた。息が大きく吸えない。

 胸の中に常に異物感があった。何か得体の知れないものがゴロゴロと詰まっている感じだ。肺は風船の塊だから基本的に軽い。その中に密度の濃い、重い塊がいくつも感じられた。身体を動かすと重い塊が体勢と一緒に動き、あきらかに何か別のものが体内で育っていることがわかった。

 取りたい、切り取りたい、吐き出したい、でも、どうすることもできなかった。異物感は日ごとに大きくなっていった。

 おかしいな、治るって意図してんのに。

 立川のクリニックでの診察の帰り、漫画『進撃の巨人』の22巻を買った。ストーリーは大きなひと区切りを迎えていた。久しぶりにがんを忘れてワクワクした。次はどうなるんだろう? 次巻の発売日は8月だった。まじかよ、生きてるかな? 僕にはその自信はなかった。

 5月になった。3人のボクシングの教え子たちが心配して訪ねて来た。

「刀根さん、大丈夫ですか? 体調はどうですか?」

「大丈夫だよ、僕治るから、心配しないで」笑いながら返した。

 しかし話を始めると咳と痰が止まらなくなった。ゴホゴホと苦しそうに咳き込む僕を、教え子たちは心配そうに見ていた。

「僕はね、引き寄せってあると思うんだ」

 僕は先日来てくれた長嶺選手と土屋選手にした引き寄せの話をまた始めた。もしかすると、引き寄せというものが僕にとっての最後の砦と感じていたのかもしれない。

 話をしているうちに、あっという間にポケットティッシュが空になった。教え子の1人がすかさず「使ってください」と自分のポケットティッシュを渡してくれた。

「ありがとう」

 ティッシュは血痰で真っ赤だった。真っ赤に染まったティッシュの山を見て、教え子たちは何も言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。

 ある日、宅配便のお兄さんがやってきた。

「お届けものですー」

 それは頼んでおいたサプリだった。

「ありがとうございます。お疲れ様です」嗄れ声で玄関に出た。

「サインお願いします」お兄さんは紙とペンを僕に渡した。

「ここですね」

 僕はペンを受け取って自分の名前を書き始めた。

 刀…根…っと。あれ? ペンが止まる。

 根ってどういう字だっけ?

「木」の横がどうしても思い出せない。おかしい、何十年も書いてきたのに何で思い出せないんだ。

「ちょっと待ってください」僕はごまかすと、表札を見上げた。そっか、思い出したぞ。

 木の右側を書いた。しかし思い出しながら書いたせいか、その字は初めて漢字を習った小学生の書いた文字のようにバランスがおかしかった。

「ありがとうございますー」お兄さんは紙を受け取ると、足早に去って行った。僕は呆然とした。自分の名前が書けなくなった!」

 なんだ? 何が起こってるんだ?

 しばらくするとひらがなも忘れてしまった。「く」はどっちに曲がっているのかが一瞬わからなくなる。「き」がどっちにふくらんでいるのか覚えていない。いちいち思い出しながら文字を書いていたので、文章を書くのに時間がかかるようになってしまった。それ以降、なるべく文字を書くのはやめた。文字を忘れてしまった自分に直面するのが怖かった。

 スマホの打ち込みも極端に遅くなった。指の動きと文字の関係を忘れてしまったのだ。

 そしてやがて、動物園のナマケモノのように、全ての動きがスローになった。

 5月下旬、咳をした衝撃でぎっくり腰になった。立ち上がるとき、歩くとき、何かにつかまっていないと体勢が維持できない。よろよろと30m歩くだけでひどい息切れがする。股関節は常にズキズキと痛み、坐骨は座ってもいないのにジンジンとうずいていた。胸の中は常にチクチク・ズキズキと痛み、もう深呼吸もあくびもできず、浅い呼吸しかできなくなった。声を出そうとすると声帯の横から空気がスカスカ漏れていき、息苦しくなる。したがって、単語しか話せなくなったのでジェスチャーが多くなった。

 漢方クリニックに行くとき、地下鉄銀座駅から地上に出るのがかなりキツくなった。手すりにつかまりながらよろよろと階段を登り、途中で何度も休み、地上に出てからは息を数分整えないと歩けなくなった。もう、階段は無理かもしれない。弱気になった。

 急に気道が閉じて呼吸困難に陥る回数も増えた。血痰がひどくなり、痰の中に血が混じるというレベルではなく、もはや赤黒い血の塊を吐き出すようになった。

 右手が痺れてきた。指先が常にピリピリとしている。明らかに左手よりも右手が重く、動かしにくい。この痺れはなんなんだ? 僕は無意識に左手を使うようになった。

 この頃から、肋骨の痛みで横を向いて寝られなくなった。体重は52キロ台に突入した。10キロ以上減ったことになる。歩くことも不自由になり、階段を登ることは諦め、エスカレーターを探すようになった。身体がだるくて起き上がることもおっくうになった。それは掛川医師が言っていた通りの状態だった。

 5月21日の朝、右眼の上半分に黒っぽい幕が降りている。やけに視界が狭い。左手で両眼に代わる代わる手を当ててみる。右眼の視界が明らかにおかしかった。

 いや、これは気のせいだ。明日になれば治ってるさ。動揺しながらも自分に言い聞かす。しかし翌日も同じように視野は狭かった。いや、前日よりどんどん狭くなっていた。まずい、本当にまずい。

 慌ててスマホで調べてみる。視野欠損。緑内障の症状だった。

 なんだ、緑内障か、よかった。ホッとした。しかし説明の一番下にこう書いてあった。

『脳腫瘍でも同じような症状が出る可能性があります。至急病院に行ってください』

 脳腫瘍だと? 脳に転移したのか? いや、そんなことはないだろう。きっと明日になったらよくなってるさ。しかし、よくなることはなかった。

 これは何か起きている……。そろそろ調べなくちゃいけないかもしれない。

 僕は肺がんの経過観察は受けていなかったが、心臓・循環器の定期健診は3カ月ごとに受けていた。そこで心臓の主治医である松井先生に話してみることにした。

「先生、お願いがあるのですが」

「何?」松井先生は愛嬌のある目をクリクリさせて言った。

「実は肺の経過観察を全然していないもんで……前の大学病院ではもう来るなって言われまして」

「ひどいね、そこ」

「ええ、まあ。で、あれから半年以上経ったので、この病院で肺のCTを撮ってもらうことってできますか?」

「いいよ、もちろん、お安い御用です」

「ありがとうございます!」

 数日後、撮ってもらったCT画像を見ながら松井先生は言った。

「画像診断医っていう人がいてね、画像を見る専門の医者なんだけど、その人のコメントによると……」

「はい」

「肺がんは以前より増殖していて、肝臓にも転移している可能性が高いって書いてある」

「肝臓もですか?」

「ええ、そう書いてありますね」

「でも、それくらいなら問題ないです。前のとこなんて、脳にも転移してるって脅されましたから」

「いや、脳も怪しいって書いてあるんだ」松井先生の声が沈んだ。

「脳も、ですか?」

「うん」

 松井先生は画像診断医のレポートを印刷して僕に渡してくれた。

「これは専門のところで、ちゃんと診てもらったほうがいいよ」

 5月下旬のある日、長男と次男を呼んだ。

「知っての通り父さんは肺がんステージ4だ。1年生存率は3割って言われてから9カ月経った。頑張っているけど、今年の冬、父さんはいない可能性が高い」

 長男も次男も僕の目を見つめ返した。

「父さんが死んだ後、母さんを頼む。2人で母さんを助けてくれ」

 覚悟を決めたかのように、2人とも無言でうなずいた。

 しばらくして妻が買い物から戻って来た。

「僕が死んだ後のことを話し合っておこう。僕が死んだら保険金で毎月おおよそ15万円くらいは出ると思う。子どもたちはもうすぐ社会人になるからもうちょっとの辛抱だと思う。最悪は家を売ればいい。安いアパートを借りれば当面はなんとかなるだろう。子どもたちの学費は僕の死亡保険金が200万円くらい出るから、それでなんとかなる。葬式は金がかかるから一番安いのでいい」

「うん、わかった……。でも……」

 妻はうつむいた。

「いや、ひとりにしないで。ひとりになりたくない」

 そう言って、泣いた。

「ごめんね」

 僕も泣いた。


次回、「20 悲しみよ、こんにちは」へ続く

僕は、死なない。POP


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