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し、しびれる……。こんなの初めて。神様っているのかもしれない(『僕は、死なない。』第37話)


全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則


37 ヒーリングと伊勢神宮


 翌日から3日間、河野さんの独自ヒーリングメソッド、『ビーイングタッチ』を教えてもらった。

「技術を教える前に、私の大事にしている世界観をお話ししたいと思います」河野さんはそう言うと、話し始めた。

「多くの人が、人生は修行の場だと言います。確かに、そんな見方もできると思いますが、私は人生は、基本的に遊びだと思っています。私たちは一生分のパスポートを持って、様々な感情体験というアトラクションに乗るために、この地球というテーマパークに遊びに来たと考えてみるとどうでしょう? すると、地球で体験するどんな困難や試練やトラブルも問題ではなく、どんなにつらい感情や隠したいような弱点や欠点も問題ではなく、私たちの愛を成長させるための課題、挑戦、冒険なのかもしれません。ここに遊びに来ると決めたのは、自分です」

「なるほど、遊びですね……」

 サンスクリット語のLEELAという言葉を思い出した。確か、同じような意味だった。

「深刻になることと、真剣に生きることとは違います。人生観や生命観が気づきによって拡がる分だけ、その人の可能性の枠も大きくなります。実際に、もっと遊んでいいんだよ!と自分に許可するだけで、身体の治癒のスイッチが入る人がいます」

「なるほど」

「私がこれからお伝えする『ビーイングタッチ』は、思考レベルの深刻さや頑張りは必要ありません。専門知識も不要です。むしろそれらをいったん脇に置き、リラックスして今この瞬間の叡智に身を任せてみます。すると、そこに新しい癒しの空間が、別の言い方をすると、創造的な遊びの空間が現れるのです。その空間の中で問題にフォーカスするのではなく、自分の生命力や喜びを上げていくことに集中してみます。するとやがて問題はいつのまにか落ちていきます」

「落ちていくんですね」

「そうです。セラピストやヒーラーを目指す人にとって、テクニックの習得よりも大切なことがあります。テクニックより大切なことって、何だと思いますか?」

「そうですね、Be、自分のあり方だと思います」

「さすが刀根さんです。そう、あり方です。あり方とは、ひと言で言うと存在の質です。ある意味、私たちは精神的な磁石のような存在です。愛、喜び、優しさ、自己信頼をベースに動き始めるか、それとも、不安、恐れ、混乱、自信のなさをベースに動き始めるかで、選択して始める行為は同じでも、引き寄せる結果や、創造する現実は全く異なってきます。どんな健康法や治療法にも不安や恐れをベースに行なっている限り、エネルギー的には不健康な治療法になってしまうんです」

「なるほど、僕もがんの恐怖に駆られながらいろんなことをやりましたもん。やっぱりBe、あり方が大事なんですね」

 その日から数日間、河野さんから様々なヒーリングのテクニックを教わった。ヒーリングなんて特別な人しかできないと思っていたが、河野さんの教える『ビーイングタッチ』は違った。自分の中に流れるエネルギーフィールドを感じ取ることさえできれば、難しいものではなかった。河野さんの教え方がよかったのだろう、僕も妻も数日でできるようになった。

 河野さんがいないとき、妻は覚えたてのヒーリングをしてくれるようになった。それはとても心地よく、身体が自然に癒され、活性化しているように感じた。

 大自然に包まれ、ヒーリングに癒され、僕はどんどん元気になっていった。

 南伊勢に来て5日目の夕方、舟橋さんが訪ねてきた。初日に河野さんに連絡を入れてきた四日市在住の友人だ。

「いや、今日伊勢で仕事がありまして、それを終わらせて来てしまいました。本当は東京にお見舞いに行きたかったんですが……」

「いやー、ここに来ていただけるだけで嬉しいですよ」

「しかし驚きましたよ。河野さんにメールを入れたら、刀根先生がいらっしゃる、まさにその日の朝だなんて。なんというシンクロニシティなんでしょうか」

「ホント、不思議ですよねー、その日の朝ですもんね」その後、数年ぶりの会話ははずんだ。

「明日は最終日ですよね。どこかに行かれるのですか?」舟橋さんが聞いた。

「はい、伊勢神宮の観光に行こうと思ってます。まだ行ったことがないんですよ。ですから伊勢の内宮と外宮は行きたいと思ってます」

「そうですか……」舟橋さんはちょっと考えると言った。

「伊勢神宮と言えば、私がぜひおススメしたいのは瀧原宮です。ちょっと離れたところにありますけど、あそこはいわゆる『氣』が違うんです。私なんか、参道を歩いているだけで鳥肌が立ちますから」

「そうなんですか、そんなにすごいんですか」

 舟橋さんは、瀧原宮で自分が感じたいろいろなことを熱心に話してくれた。そういえば、河野さんも瀧原宮を勧めてくれていたし、以前伊勢に行った姉も瀧原宮はすごかったと言っていた。僕はそれを断って有名な内宮と外宮に行く予定にしていた。

 もしかして、これは瀧原宮に行けってことなのかもしれない。舟橋さんはそれを伝えにきてくれたのかも。僕は決めた。

「ありがとうございます。明日はやっぱり瀧原宮に行くことにします」

 最終日の朝、河野さんに話すと、彼はニコッと笑って言った。

「私も、それがいいと思います。何しろ、エネルギーが違いますから」

 僕は河野さんや妻と3人で瀧原宮へ向かった。車で山道を分け入っていく。瀧原宮は、伊勢神宮からかなり離れた山中にあった。

 山の中にたたずむ瀧原宮はひっそりしていて、参拝者もほとんどいなかった。一説によると、伊勢神宮の内宮は、最初はここにあったのだとか。元々の聖なる場所だからなのか、強いエネルギーを感じた。空気密度が高い気がした。

 左右に巨大な木がそびえ立つ真ん中に、1本の参道が奥に続いていた。神聖な雰囲気の参道をしばらく歩くと、川の流れが聞こえてきた。河野さんが呼ぶ声が聞こえた。先に歩いていた河野さんが川岸に立っていた。

「こちらに来てみてください。実は、この川のエネルギーがすごいんですよ」

 確かに何か見えないものが上流から川の水とともに流れて来ているように感じた。

「ほら、カエルもいるよ」妻の手のひらの上には小さなカエルが乗っていた。

「さあ、本殿はこの上です」河野さんが上を見上げた。

 僕たち3人が川の横の道を上がると、本殿が見えてきた。

 普通の神社と違い、木肌そのままの木材で作られた質素な社は、深い緑の森の中に凜としたたたずまいで建っていた。

 河野さんが僕の肩をちょんちょんと突いた。

「刀根さん、あそこに立ってみてください」

「え?」

 河野さんの指差した先は、何か神聖な雰囲気のする大きな木の根元だった。

「あそこは知る人ぞ知る、パワースポットなんです。刀根さんは今、身体が弱っていますから、エネルギーをいっぱい浴びたほうがいいと思うんです。ぜひ」

 周囲には僕たち以外、人はいなかった。

「はい、そうですね」

 僕は河野さんの指差した大木の根元に立った。

 すると……何かが地面からものすごい勢いでせり上がってきた。ぐおん、ぐおん、と渦を巻くように、エネルギーが身体を登ってきた。

 うわぁー、なんだこれは。これはすごい! 

 スパイラルの渦巻くエネルギーが尾てい骨から頭頂へ突き抜けた。ビリビリと背骨が下から突き上げられるように感じた。

 し、しびれる……。こんなの初めて。神様っているのかもしれない。いや、神様というより、地球のエネルギーってことなのか。

 僕はしばらくこのエネルギーを浴び、本殿にお参りをしてから瀧原宮を後にした。

 瀧原宮から伊勢神宮の外宮に向かう車中、窓から森を眺めていると、山や森たちが僕に話しかけてきた気がした。

「よく頑張ったね、もう大丈夫だよ」

 それは南伊勢の自然たちの声のように感じた。彼らが一生懸命、弱った僕の身体にエネルギーを送ってくれているように感じた。目の前がユラユラとしてきた。

 ありがとう、木よ、山よ、鳥たちよ、本当にありがとう。僕は大自然からも愛されていたんだ。

 僕は、2人に気づかれぬように、泣いた。

 こうして南伊勢での濃密な1週間が終わった。

 南伊勢に行く前とは全く別人になったように、僕の体調は回復していた。


次回、「38 そして……」へ続く

僕は、死なない。POP


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