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恐怖の中で生きるということは、幻想の中で生きることと同じ意味なのだ。この幻想に気づくこと、幻想を見抜くこと、それがほんとうの自分への、ほんとうの自由への第一歩なのだ。「さとりをひらいた犬/ほんとうの自分に出会う物語」無料公開/第15話

主人に仕える勇敢な猟犬・ジョンが主人や仲間から離れ、「ほんとうの自分」「ほんとうの自由」を探しに、伝説の聖地・ハイランドを目指す物語。旅の途中、多くの冒険、いくつもの困難を乗り越えながら、仲間や師との出会いを通じて、聖地・ハイランドに導かれていく。そして、ついにハイランドへの到達を果たすことになるのだが、そこでジョンが見た景色とは…。

【第15話】


 「お前が最初に私に会いに来たのは、何日前だ?」


 「五日前です」


 「そうか五日間か…。その五日間、お前は何をしていた?」


 僕はゾバックに出会ってから五日間、“恐怖”におびえてベレン山付近をうろついていた自分を思い出した。


 「何も…何もしていない。ただ、怯えて歩き回っていた…」


 「そうか、五日間、お前は自分の創り出した“恐怖という幻想”に支配され、“恐怖という幻想”によって無意味に動かされていたということだ」


 「僕は…“恐怖という幻想”に支配されていた…」


 「そうだ。その五日間、お前の『魂の声』は聴こえたか?」


 「いいや…全く…」


 「ひとつ、いいことを教えてやろう。『魂の声』…この声を聞こえなくするものがいくつかある。その一つが“恐怖”だ」


 「恐怖…」


 「そうだ。お前の『魂の声』は見事に“恐怖”によってかき消されたということなのだ」


 「 “恐怖”が『魂の声』をかき消す…」


 「自らの心の中にある“恐怖”が『魂の声』をかき消し、お前を支配し怯えさせ、何もさせなかったのだ。いいか、恐怖を感じながら、恐怖とともに恐怖に支配され生きるということは、奴隷として生きることと、同じことなのだ」


 僕はマフィーたちのことを思い出した。“恐怖”に囚われて、進むこと戻ることも出来ずにベレン山の周辺で野犬になって生きる、四匹の犬たちのことを。


 恐怖の奴隷…
 僕もこの数日間、そうなっていたんだ!


 「恐怖は奴隷の牢獄だ。自らの“恐怖”に囚われ一生を送るものもたくさんいる。いや、そういう者の方がはるかに多い。人間に飼われている連中など、みな、恐怖という牢獄に自ら入っている奴隷だ。自ら進んで奴隷になる者の、なんと多いことか。そこには良き奴隷と悪しき奴隷しかいない。どのみち奴隷なのだ」


 僕は、ハリーを思い出した。
 外の世界は弱肉強食。だから外では生きてはいけない。ご主人様という塀の中で、安全に生きていくしかないんだ…。眠っていた方が幸せなんだ…。無知の幸福、恐怖の牢獄…奴隷の人生…。


 「“恐怖”など存在しない」


 「 “恐怖”など存在ない…?」


 「恐怖と危険は違う」


 「どういうことですか?」


 「“危険”は『いま、ここ』で対処すればいいものだ。その“危険”を恐れ、未来を憂い、未来を不安視して心の中に作り出す影、それが“恐怖”だ。したがって、“恐怖”というものは実在しない。幻想だ。目の前には危険しかない。恐怖などないのだ」


 「恐怖は、幻想…」


 「そうだ。大勢の者たちは“危険”でなく、自らが創り出した“恐怖”という影によって未来におびえながら生きている。恐怖は自分の思考が創り出した幻想だとも気づかずに。恐怖の中で生きるということは、幻想の中で生きることと同じ意味なのだ。この幻想に気づくこと、幻想を見抜くこと、それがほんとうの自分への、ほんとうの自由への第一歩なのだ」


 「ほんとうの自由…」


 そこまで言うと、ゾバックは僕の目をじっと見た。


 「お前はなぜ、戻ってきた? なぜ、もう一度私のところに戻ってきたのだ?」


 「五日目の晩、どこからともなく、ダルシャの声が聞こえたんです。自分の“恐怖”や“不安”、ほんとうじゃない自分と向き合って、そして対決し、見抜けと」


 「そうだ。“恐怖”はほんとうのお前ではない。何度も言うが、幻想だ。そして “恐怖”や“不安”という幻想と対決し、それに勝利する力、それがなんだか知っているか?」


 「……」


 僕が黙っていると、ゾバックはゆっくりと、しかし確信に満ちた声で言った。



 「それは“勇気”だ」



 「 “勇気”…」


 「そう。“勇気”。そして“勇気”を持った者を“勇者”と言う」
 そして、ニヤリと笑った。


 「そうかダルシャの声か…なるほど。やつの言いそうなセリフだ。お前はダルシャの声を聴き、“恐怖”と“不安”を、ほんとうじゃない自分自身を“勇気”で乗り越えたのだ」


 「ダルシャを知っているんですか?」


 「知っているとも。古くからの知り合いだ。しかし、お前が聞いた声はダルシャの声ではない。お前自身の『魂の声』だ」


 魂の声…あれは、そうだったんだろうか?


 ゾバックは聞いた。


 「…ダルシャは…死んだのか?」
 「なぜ、分かるんですか?」


 「その声の主が本当にダルシャであれば、お前と一緒に私のところに来るだろう。ダルシャは余計な手出しはしないが、いつも横に寄り添う。そういうやつだ。今、ダルシャがここにいないということは、あいつに何かがあったということだ」


 僕はゾバックに、ダルシャの最後を話した。


 「そうか…あいつも向こうの世界に行ったか…。まあ、悔いのない一生だっただろう。いずれは全ての存在が、誰ひとり例外なく向こうの世界に行く時が来る。この世界の存在は、すべて生まれ、変化し、そして消滅していく。私も、お前もな、ジョン」


 ゾバックはそう言って、今ではもうとっぷりと日が暮れ、満天の星空が輝いている夜空の遠くを見つめた。
 きらめく星たちが今にも落ちてきそうだ。まるで僕たちの話を聞いていたかのように、流れ星がひとつ、夜空をすぅっと流れていった。


 しばらく黙っていたゾバックは、おもむろに僕を見て楽しそうに言った。


「お前は特別だ。私の話を聞かせてあげよう。これは誰にも話したことはない。無論、ダルシャにも、だ」


第16話(第3章・公開最終話)へ続く。

僕の肺癌ステージ4からの生還体験記も、よろしければ。



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