見出し画像

がんが消えるなら、尿だってウンコだって、飲んでやるよ!(『僕は、死なない。』第17話)


全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則


17 転げ落ちるように……


 2017年の年が明けた。

 よし、今年こそいい年にしよう。今年は上がるのみ。がんを完治する。完治すれば自然に道は開けてくる。頑張るぞ、僕はやる、僕はできる。頼むぜ、僕の身体よ!

 正月に家族で里帰りをした。両親は僕の体調をとても心配していた。僕はつとめて明るく振る舞った。

「大丈夫、絶対に治るから」

 かすれ声でそう言って笑ってみせた。

「食事はどうなの?」母が聞く。

「うん、今回は野菜中心で行くよ。みんなはおせち料理を遠慮なく食べてね。自分の分は持ってきてるから大丈夫」食事制限をしている僕専用に、妻が野菜中心の食事をタッパーに入れてくれていた。

 大学3年の長男がチェロをケースから出した。彼は高校時代に弦楽部に所属して、チェロを弾いていた。母がウクレレを弾いていたので、彼と母のアンサンブルを聴いてみたかった。

「ね、2人で弾いてくれる?」

 昼食後、僕は2人にリクエストをした。

「いいわよ」

 母が楽譜を長男に渡すと、長男がたどたどしく弾きはじめた。赤とんぼや夕焼け小焼けなどの童謡だった。母がそれに合わせてウクレレで伴奏しながら歌い始めた。

 来年、僕はもうここにいないかもしれない。もう二度とこの光景を見ることはできないかもしれない。僕は写真だけになって仏壇に飾られているかもしれない。そう思うと目頭が熱くなった。

 今日ここに来れて、2人のアンサンブルを聴くことができて、本当によかった。いいものが見れた。僕は誰にも気づかれないように涙をぬぐった。

 実家から帰って来た後、長男が言った。

「父さん、治ったら美味しいものを食べに行こうね。何食べたい?」

 また、涙が出そうになった。ここ最近、妙に涙もろくなっていた。

 そして里帰りの後、胸の痛みが激しくなり、声も完全に嗄れ、スカスカの声しか出せなくなった。

 体感的な病状は一進一退といった感じだった。胸は相変わらずチクチクやズキズキと痛みを発してはいたが、山中さんのヒーリングを受けた後はすっきりと治まるのだった。僕は山中さんのヒーリングの回数をもっと増やしたかったが、いかんせんいつも予約がいっぱいで思ったほど行くことができなかった。僕が大富豪なら彼を大金で個人的に雇って、毎日何時間もヒーリングしてもらうのに……なんてことを思ったりした。

 1月下旬、首の左側に米粒大のしこりがあることを発見した。

 なんだろう? 左首の下部のリンパの部分だ。

 焦ってネットで調べる。がんがリンパに転移するとこの部分にシコリができやすいと書いてあった。ウィルヒョウ転移というらしい。

 まじかよ、転移したのかよ。

 しかし、ある書籍に・転移は原発がんが最後の悪あがきで、外に逃げ出すときに起きる症状です・と書いてあった。

 おおそうか、これは治っていく過程に違いない、治っている証拠なんだ。僕は意識をポジティブに持っていった。数日後、食事療法のドクターに聞いてみた。

「ここにシコリができているみたいなのですが……」

「うん、ありますね」ドクターは僕の首を触ると言った。

「転移って、原発がんが逃げ出す悪あがきって本で読んだんですが……」

 彼は冷たく言い放った。 

「そんなことはありません。転移は転移です」

 もうちょっと、優しく言ってほしかった。

 その後しばらくしてから、今度は左のお尻が痛くなってきた。硬い椅子に座ると左の坐骨がズキズキする。

 きっと痩せてお尻の肉がなくなったからだろう。自分で自分にそう言い聞かせた。

 しかし、次第に電車やバスの座席でも痛みが激しくなってきた。家では使い古した座椅子では耐え切れなくなり、厚めの低反発クッションのものに買い替えた。

 2月に入ると少し息苦しくなりはじめた。湯気の充満した浴室ではあきらかに呼吸が苦しい。肺の容量が小さくなってしまったのだろうか? 時折、身体がだるく感じられるようになってきた。

 いやこれは、きっと好転反応だ。がんが消えていくときに身体に負担をかけているに違いない。だってがんを治したと言われている治療を、あれもこれもたくさんやっているじゃないか、がんが進行するなんてこと、ありえない。自分に言い聞かす。

 左足の股関節もズキズキと痛み始めた。体重をかけると鈍痛が走る。なんだろう? 関節炎か? いやこれはきっと、関節の病気に違いない。僕はよくなってきてるはずなんだ。

 クリニックに通う電車の中で立っているのが辛くなってきた。左足に重心をかけるとズキズキと鈍痛が走る。そういうときに限って席は空かない。

 誰か、席を代わってほしいなぁ。

 肺がん患者と言っても、僕はまだまだ外見上は普通だった。数カ月前までボクシングなんてやっていたから、どちらかというと健康的な痩せ型の人にすら見えたかもしれない。優先席の前に立っても、当然譲ってくれる人はいなかった。

「私はがん患者で、体力が低下しています」みたいなマークがあればなぁ。赤い十字の「ヘルプマーク」があると知ったのは随分後になってからだ。

 電車で立っていると股関節が痛い、座っても坐骨が痛い、そんな状態になってきた。もう、我慢するしかない。大丈夫、治療の効果は絶対に出ているはずなんだから。弱気な自分をすぐに打ち消す。

 電車に乗っている人たちの顔を見渡して不思議な気分になった。僕の目の前に座っている人はかなり太っていて、顔色も悪かった。

 この人、これからも普通に生きていくんだろうな。生きるという時間が普通にあるんだな。それに比べて、おそらく僕はもう長くは生きることができないだろう。

 僕はいったんネガティブにつかまると、暗い穴に引きずり込まれてしまうのだった。

 どうして僕なんだろう? タバコも吸わないし、酒も飲まない。食べ物だって気をつけてきたし、運動だってきっとこのオジさんよりはずっとやっていたはずだ。仕事だって楽しかったし、ボクシングも楽しかった。ストレスで毎日削られるなんてこと、なかった。それなのに……なんか不公平だ。どうして、どうして僕なんだ? どうしてこのオジサンじゃなくて、僕なんだ?

 オジサンの横では、老人が眠っていた。

 すごいな……。この年まで生きているんだ。

 今まで、長生きするだけじゃ意味がないなんて思っていた。それは単に長く生存しただけなんだって。そうじゃなくて・どう生きたか・が大切なんだって。そんなカッコいいセリフを本当のことだと思い込んでいた。

 でも違う。それは大間違いだった。そうじゃない、生きるだけで、生きているだけで、それはもう本当にすごいことなんだ。少なくとも、僕よりよっぽどすごい。

 僕は眠っている老人を尊敬のまなざしで見つめ、心の中でつぶやいた。

 すごいよ、あなたは。本当にすごい。その年まで生きていることができるなんて、本当にすごい人です。

 大学3年生の長男が就活用スーツを買いにいくと言うので、妻と一緒に3人でショッピングモールへ出かけた。スーツ売り場で長男と妻が僕の前を歩く。2人の後ろ姿を見ていて、ふと思った。

 あの子がスーツを着て働く姿が見たかったなぁ。

 ああ、彼が社会人になる姿は見られないんだな……。

 歩く2人の姿がうるんでぼやけてくる。いや待て、気持ちを強く持つんだ。大丈夫、絶対に見るんだ。

 気を晴らすために小説を読もうとして本を開いた。しかし文字が全く入ってこない。文字を目で追っても、内容が全く頭に入らなかった。ダメだ……小説は読めない。僕は小説という架空の世界に入れなくなった。

 それではゲームをやってみようと思い、久しぶりにゲーム機に電源を入れ、以前はまっていたゲームをやってみた。すぐだった。頭が割れるように痛み出した。手足が冷たくなり、いやな汗がコントローラーを湿らせた。まずい、ゲームをすると死ぬ。

 頭の中はがんに囚われていた。痛みや体調に人一倍敏感になり、少しでも痛むとがんが進行したのではないかと不安になる。そして次の瞬間、無理やり意識をポジティブに持っていき、自分を奮い立たせる。常にがんに心をわしづかみにされていた。不安や恐れを打ち消すために、その逆のよいところを必死で探す毎日。

 ああ、今日はここの痛みが薄くなった。今日は呼吸が昨日より楽だぞ。股関節が昨日よりも痛くない……。だから、きっと、がんは治ってきてるんだ……。毎日、そう自分に言い聞かせていた。

 思考や感情が暴走するので、100円ショップで買った写経を始めた。何も考えずに筆ペンで般若心経を書く。

 無心。

 書くという作業に集中すると、他に何も考えられなくなった。ひとまずがんから解放され、心がふっと落ち着くことができた。そうか、これが写経か、これがマインドフルネスなのか。スッキリしたぞ。しかし、しばらくするとまたがんが僕の心の中を占領するのだった。

 ある日、ボクシングの世界で有名なジョー小泉さんから荷物が届いた。彼は海外の外国選手の試合解説をしているボクシング界の生き字引みたいな人で、僕が高校生の頃から尊敬している人だった。僕がトレーナーになってから、試合会場で何度か話をした程度の関わりだったが、グループメールの関係で僕は彼にがんになったことを伝えていた。

 何だろう?

 荷物を開けると、がんの治療に関する本と、モハメド・アリのTシャツが出てきた。ほんのわずかの関わりしかない僕に、ここまでしてくれるなんて……。

「頑張ってください」メモにはそう書いてあった。僕はメモを見て、泣いた。

 体調は少しずつ悪くなっているような感じがした。呼吸は苦しくなり、歩いていると息が切れた。立っていると股関節が痛み、座ると坐骨が痛い。まずい、このままでは……。よし、サプリだ。試しにサプリを短期間に大量に飲んでみよう。僕はノニジュースを1日1本飲むことにした。

 とりあえず、2週間続けてみよう。2週間飲めば、効果が出るはずだ。お金は相当かかるけど、ケチってはいられない。なんたって、命がかかっているんだから。

 しかし、毎日1本2週間ノニジュースを飲んでも、目に見えた効果は上がらなかった。

 毎月の治療費はサプリ代も入れて30万円近くに達していた。命が尽きるのが先か、貯金がなくなるのが先か、ギリギリのチキンレースを走っている気分だった。

 3月になると左の坐骨が痛くて、ついに座席に座れなくなった。もう立ってるしかない状態だ。座ったら痛い、立っても痛い、どうすればいいんだ。

 道では人にどんどん抜かれていく。早く歩けない。はぁはぁとすぐに息が切れる。呼吸が浅くなり、息苦しいのが普通になった。スムーズな呼吸がどんなものか思い出せなくなった。

 血痰がひどくなった。咳をして痰を出すと必ず血が混じっている。

 息を深く吸い込めなくなった。あくびもできなくなった。横に向いて寝られなくなった。横を向くと、肺が締め付けられて息苦しくなるのだ。深呼吸をすると肺に何かが絡みつき、咳き込むようになった。

 身体が重く、だるくなった。普通に立って動くことがおっくうになってきた。

 気に入って観ていたテレビドラマ「精霊の守り人」が3月に終わった。続きの最終編は予告編では11月から再開とのこと。

 まじか、11月か……それじゃ観られないな。瞬間、脳裏をよぎった。

 いや、大丈夫、大丈夫、観られる、観るんだ、すぐさま自分に言い聞かせた。

 ひすいこたろうさん、阿部敏郎さんといった方々の心を励ます本をたくさん読む。

 そうだ、全ての出来事はベストなんだ。ベストのことが起こっているんだ。だからがんになったことも、ステージ4だってことも、きっと僕にとってベストのことなんだ。

 頭の中で自分に言い聞かせるが、それは本当だろうか? 肺がんステージ4が自分にとってベストなんてこと、あるんだろうか? いいや、ありえないでしょ、そういう声も同じくらいか、いやそれより大きな声で聞こえてくるのだった。

 思い切って飲尿療法を試してみた。自分の尿を飲むのだ。飲尿療法では、尿は身体の状態を記録している最高の情報源だという。その情報を再び体内に入れることで、身体が自身の悪い部分を自動的に修復し改善して行くのだという。調べてみると実際に様々な疾患が改善したという情報もあった。朝一番の尿がいいらしい。

 黄色の生暖かい液体を口に近づける。尿独特のにおいが鼻をつく。

 むむむ……これ、勇気いるな。いや、四の五の言ってられないだろう。飲むんだ!

 鼻を指でつまみ、強制的に口に流し込む。生ぬるい液体が口に入ってきた。変な味だ、うわーお。

 飲め! 味わうな!

 ごくりと飲み干す。

 うえーっ、あたり前だけど、まずい。

 がんが消えるなら、尿だってウンコだって、なんだって飲んでやるよ!


次回、「18 分子標的薬と引き寄せの法則」へ続く

僕は、死なない。POP


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?