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ひと言でいいから『お前は俺の自慢の息子だ』って言ってほしかったんだ(『僕は、死なない。』第23話)

全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則


23 悲しみよ、さようなら


 翌日の6月10日には、以前から母と会う約束が入っていた。

 さおりちゃんの宿題が僕の脳裏に引っかかっていた。本当は父と話なんてしたくなかった。父に本当のことなんて言いたくなかった。でも、入院したらそのまま退院できないかもしれない。入院したらどうなるかわからない。ゆっくり話なんてする機会は、もうないかもしれない。

 言うしかない。

 やるしかない。

 やるなら、明日しかない。父にも来てもらおう。

 僕は覚悟を決めた。

 中野から帰った晩、僕は実家に電話を入れた。

「明日、お父さんにも来てほしいんだけど」

「ちょっと待ってね」

 パタパタと足音が遠ざかり、しばらくすると足音が戻ってきた。

「うん、お父さんも行くって言ってる」

「ありがとう」

 僕は長男も同行させることにした。おそらく父親としての時間は少ないだろう。ならば僕がボロボロになる姿を、僕の情けない姿を、ありのままの姿を見せることが、今の僕にできる最後のことだった。

 6月10日、僕は長男と2人で、待ち合わせた喫茶店に向かった。

 しばらくすると両親がやってきた。

「大丈夫?」母は心配のあまり白髪が多くなっていた。

「痩せたな」父も心配そうに僕を見ていた。

「今日は来てくれてありがとう。今日はね、入院前にぜひ話しておきたいことがあるんだ。父さんに」

 父は緊張気味にうなずいた。

「実はね、この前カウンセリングを受けて、自分の感情を外に出すことが必要だってアドバイスされたんだ。僕の話を聞いていろいろ反論したり、それは違う、とか言いたくなることもあると思うけど、最後まで黙って聞いてほしいんだ」

「わかった」

「実はね、僕は、父さんからずーっと認められてないって感じてたんだ。褒めてもらった記憶がない」

「……」

「いつもああしなさいとか、こうしなさいとか、ここがダメだ、これが足りない、まだまだ、まだまだって言われ続けて、すごく苦しかったんだよ」

「そうなのか」

「でもね、お父さんはそれがあなたにとっていいと思って……」

 横にいた母が父を気遣うように言った。

「うん、それはわかってる。でも今日は僕の気持ちを外に出すことが大事なんだ。だから最後まで黙って聞いてほしいんだ」

 僕は話を続けた。

「僕は、いろいろ強制されて、本当にイヤだったんだ。あれしろ、これしろ、あれするな、これするなって」

 子どもの頃の記憶が鮮明に蘇ってきた。

「小学生のとき、父さんに通知表を見せるのは本当にイヤだった。なんだこれは、ちゃんと勉強してんのかって言われることがわかってた。こんな成績じゃちゃんとした職業につけないって言われたし、これがダメ、あれがダメって……。ま、確かに体育以外は3ばっかだったから仕方なかったかもしれないけど、でも死刑台に向かう囚人の気分だった」

 父は、無言で話を聞いてる。横にいる母が、心配そうにうなずく。

「今でも覚えてるけど、小学1年生の夏休み、宿題ができていないからって、『マジンガーZ』の最終回を見せてもらえなかった。・宿題を終わらせてからにしなさい・って。説明したのに聞き入れてもらえなかった。たった30分だよ、30分。宿題、必死で頑張ったけど間に合わなかった。ほんとに毎週楽しみに見ていたのに、結局、最終回が見られなかった。本当に悲しかった。あの当時は再放送なんてなかったから、見ることはできなかった。あれから40年以上経ってるけど、結局見てない。これは一生忘れられない。絶対に忘れない」

「それは、すまなかった」

 父は小さくつぶやいた。

「他にも小学校6年生のとき、持ってたマンガを手塚治虫以外全部捨てられたこと。小遣いを貯めて買い集めたマンガも全部捨てられた。ある日家に帰ったらマンガがなくて、本棚がスッカラカンになってた。あの空っぽの本棚は一生忘れられない。他にもテレビを押入れに隠されたこと。あの日学校から帰ってみたら、テレビ台しかなかった。テレビが消えてた。ショックだった。何が起こったんだと思った。おかげで見ていた番組の続きが全部見れなかった。学校の成績でも、習ってた剣道でも、褒めてもらった記憶が一つも、1回もない」

 僕の心の奥底に住んでいる小さな子どもが声をあげていた。

 お父さんはどうして僕を愛してくれないの?

 僕はそんなにダメな子なの?

 テストの点が悪いから?

 落ち着きがないから?

 学校で叱られてばかりだから?

 忘れ物が多いから?

 父はうつむきながら言った。

「そんなに褒めてほしかったのか。でも、私も親父から褒めてもらった記憶はないけどな……」

 父は言った。確かに祖父も厳しい人だった。

「まあ、時代的なものもあるかもしれないけど、これは僕の気持ちの話。まあ、僕もカウンセリング受けて初めて気づいたんだけどね。僕はね……」

 熱いものが胸の奥からせり上がってきて、言葉に詰まった。

「『大好きだよ』って言ってほしかったんだ」

 口にしたとたん、涙があふれた。

 父が驚いて顔を上げ、僕を見た。

「ひと言でいいから『お前は俺の自慢の息子だ』って言ってほしかったんだ。それだけ、それだけだったんだよ」

 もう声にならなかった。

 頭をよしよしってしてほしかったんだよ。

 ぎゅっと抱きしめてほしかったんだよ。

 褒めてほしかったんだよ。

 認めてほしかったんだよ。

 なんでかって?

 ……そう、僕は……。

 父が……お父さんが、大好きだったんだよ!

 父を大好きだった無邪気なときの気持ちがよみがえってきた。

 そう、小さな僕は、お父さんが大好きだったんだよ!

 だから、だから、お父さんに褒めてもらえなくて、認めてもらえなくて、悲しかったんだよ!

 深い心の中に隠されていた気持ちが、渦を巻いて噴き出していた。

 僕はぐちゃぐちゃになった。嗚咽で肺が苦しくなった。涙で父の顔が見えなくなった。涙が喉に入り、むせて咳が止まらなくなった。横から長男がティッシュを渡してくれた。

「ただ、ただ、愛しているよ、そのままでいいよってひと言でいいから、言ってほしかっただけなんだよ」言葉に詰まりながら、やっとのことで僕は言った。

 父は僕の目を見て言った。

「健のことはもちろん、愛しているに決まってるじゃないか。そんなこと聞かれるまでもない。今回だって……」

 そこで父は、言葉を詰まらせた。

「私が身代わりになりたいって、何度思ったことか……」

 父の目が赤く染まった。初めて見た父の涙だった。母も横で泣いていた。

 そっか、僕は、愛されていたんだ……。

 暖かいものが胸に流れ込んできた。

 父は目を赤く染めながら言った。

「認めてたんだよ。仕事だってなんだって、ほんとに認めてたんだ。たいしたもんだ、っていつも母さんと話していたんだよ」

「そうなんだ……今日は話を聞いてくれてありがとう、本当にありがとう」

 最後に僕は言った。

「僕は父さんを許します。僕が前に進むために」

 父だって反論したいこともあっただろう。

 それは勘違いだよ、と言いたいこともあっただろう。

 しかし、父は何も言わなかった。最後までひと言も反論しなかった。

 僕を全て受け止めてくれた。

 帰っていく2人の背中を見ながら感じた。

 出ていった……。

 何かとてつもなく重く、苦しく、痛いものが、身体から出ていった。

 そして、その空っぽになった空間に、暖かいものが流れ込んでいた。胸が、身体が、信じられないくらいに軽かった。

 これか……。

 これが、さおりちゃんの言っていた病気の元になった感情を外に出すってことなんだ。

 そして再び、心の奥深くから声が聞こえてきた。

「うん、僕は治るな。もう治るしかないじゃん」

次回、「24 過去生」へ続く

僕は、死なない。POP



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