グサ、グサ、グサ。痛い!痛い!痛い! このまま死ぬのか……ちょっと、待ってくれ!(『僕は、死なない。』第15話)
全身末期がんから生還してわかった
人生に奇跡を起こすサレンダーの法則
15 ついに来た、痛み
あの掛川医師に会った日から、明らかに体調がおかしくなった。再び頭の中に掛川医師の声が響き渡るようになった。
「胸が、痛ーくなります」
「咳が止まらなくなります」
「痰に血が混じります」
「水が飲めなくなります」
「だるくなります」
「寝たきりになります」
うわーっ、黙ってくれ!!!
ふと気づくと、頭の中が掛川医師に占領されてしまっていた。その都度頭を振って掛川医師を追い出そうとしたが、すぐに彼は例の眉間にシワを寄せた表情で、再び僕に向かって語りかけてきた。
「胸が、痛ーくなります」
「咳が止まらなくなります」
「痰に血が混じります」
「水が飲めなくなります」
「だるくなります」
「寝たきりになります」
僕は彼に取り憑かれてしまっていた。
そのうち、研修で話している最中に咳が頻繁に出るようになった。喉に痰が絡むようになった。
まずい、ヤツの言った通りになるのか? 不安が胸に押し寄せてきた。
そんなある日、11年飼っていた犬が死んだ。夏に少し具合が悪くなり、しばらく体調不良が続いていたので、妻が病院に連れて行ったら、その日の夜にあっけなく逝ってしまった。
連絡を受け病院に到着し、亡き骸を抱きしめると涙が出てきた。彼の顔、彼の声、彼の姿、全てが愛おしい。しかし目の前の彼はもうピクリとも動かない。まだ温かさが残る身体は、不思議と命のエネルギーが去って行ったことを示すように生気がなかった。
「僕の代わりに逝ってくれたのかもしれない……」ポツリとつぶやいた。
「そうかもね……」妻が目を伏せた。
僕も死んだら、こうなるのか……。僕は彼の亡き骸を抱きしめながら、自分の死体がまぶたに浮かんできた。いや、僕は死なない。死ぬもんか! すぐに頭を振って打ち消したが、青白く生気のない自分の顔が消えることはなかった。
11月28日のことだった。午後3時頃から左胸がズキズキと痛み出した。原発のがんがあるところだ。すぐにカラーブリージングを行なう。痛みは治まり、ほっとした。
その頃、毎晩寝汗をびっしょりかくようになっていた。一晩でパジャマを3回替えたこともあった。その日もぐっしょりと寝汗をかいて目を覚ましたときだった。左胸のがんがある場所がズキズキと痛み始めた。
痛い……。
痛みはすぐに強くなってきた。あまりの痛みに息が吸えない。
ううっ息が……。まずい、どうなるんだろう。
まずい、まずい、まずい。この痛みはおそらく、がんの痛みだ。がんがついに胸膜に達したのか? 掛川医師の言った通りになったのか? がんがどんどん広がっているのか?やばい、やばい、やばい。
「寝たきりになります」掛川医師の渋い顔が浮かぶ。うっ、うるせえ!
痛みはどんどん強くなり、刺激がズンズンと激しくなる。
いててててっ……痛てぇーっ!
若い頃、ボクシングの練習でパンチを顔面にくらって意識が飛んだときも、こんなには痛くなかった。ボディブローで肋骨をへし折られたときも、これほどじゃなかった。
まるで錆だらけの五寸釘を1秒おきに打ち込まれているようだ。1回ぐらいなら我慢もできるかもしれない。しかし……1秒おきにずーっと刺され続けるんじゃ、たまらん!
グサ、グサ、グサ。痛い、痛い、痛い! 一定のリズムで五寸釘が打ち込まれる。
グサ、グサ、グサ。
ううっ、このまま死ぬのか……ちょっ……ちょっと、待ってくれ!
グサ、グサ、グサ。痛い、痛い、痛い!!!
グサ、グサ、グサグサ、グサグサ……。
し……死ぬぅ……。死ぬときってこんな感じなのか?
僕は生まれて初めて「痛み」で死を意識した。
このまま死ぬかも……どうする? 救急車呼ぶ? でも、病院でなんて言うんだ?
「僕、がんです。ステージ4です」
「はあ、それはお気の毒に」だけじゃん。どうしようもない。
痛みはどんどん強くなる。息が、息ができねえ……。
呼吸を浅くするんだ。深く胸を動かすと痛みが激しくなる。なるべく胸を動かさないように、浅く、小さく空気を吸い込むんだ。浅い呼吸を素早くするんだ。そうやって酸素を取り込むんだ。とにかく現状に冷静に対処するんだ。
はぁはぁはぁはぁ、はぁはぁはぁはぁ。
呼吸に意識を集中する。しかしグサグサという刺すような痛みは変わらない。
うぐぐっ、い、痛ってぇー!
脂汗にまみれた額を手でぬぐったとき、急に思いついた。
あっ! そうだ、そうだ、薬だ! 薬を飲んでみよう!
がんが見つかってから今まで、食事指導を受けているドクターの指示で、合成的な化学物質は身体に入れないようにしてきた。それが頭の中にこびりついていたのか、薬のことはすっかり忘れていた。ドクターの顔が目に浮かんだ。
「薬は絶対飲んではいけません、風邪薬もやめてください。それは逆に命取りです」
じゃああんたはこの痛みに耐えられるのか? 今はそんなこと言ってる場合じゃない。もう耐えられないんだ。
ふらふらと布団を抜け出し、居間の薬箱に向かった。妻がそこにいなかったのは好都合だった。彼女に苦しんでいる姿を見せたくなかった。
「おおっ、あった!」
効くかどうかはわからない。でも、効いてほしい、頼む、効いてくれー!!
午前1時15分、急いで水と一緒に口に放り込む。
飲んでから約20分、だんだんと痛みが薄らいできた。痛みの質が、グサグサからズキズキに。
おおーっ、効いてきたー。
痛みは次第に、ズキズキからチクチクへと変わっていった。
午前2時20分、痛みはほとんどなくなった。チクチクも消えた。
はぁー……た、助かった。僕は自然と両手を合わせた。
この薬を開発してくれた人たち、ありがとう。
この薬を作ってくれた会社、ありがとう。
家に買い置きしてくれた妻よ、ありがとう。
助かった。本当に死ぬかと思った。
しかし、今は薬で痛みを感じなくなってはいるが、薬の効果が切れたらまた・あれ・が始まるんだろうか? これからずーっと、痛み止めを飲み続けることになるのか? 毎日毎日、永遠に飲み続けることになるのか? マジで? いやでも、今それを考えても仕方ない。とりあえず、寝よう。
僕はぐっしょりと汗ばんだパジャマを着替え、もう一度布団にもぐりこんだ。
翌日、1週間ぶりに会社に出勤した。
電車の中で昨晩の激痛を思い出した。昨日は最悪だったな。
昨晩にはできなかった深呼吸を、思いっきりしてみる。胸が大きく動く。新鮮な空気が肺に入ってくる。痛くない。全然痛くない。ああ、なんて幸せなんだろう。痛みなく空気が吸えるって、なんて幸せなんだろう。
電車の窓から、太陽の光が降り注いでいた。僕の顔に、僕の手に、暖かいエネルギーがじわじわとしみ込んでくる。なんて暖かいんだろう、なんて綺麗なんだろう、なんて美しいんだろう。気づかなかった。世界はこんなにキラキラしてたんだ。息するだけでこんなに幸せなんだ。
生きてるだけで充分じゃないか。息をするだけでこんなにも嬉しいんだ。ほら、人生は喜びに満ちているじゃないか。生きている、それだけでも『奇跡』なんだ。生きてるってこと、それだけで、素晴らしいじゃないか。
僕はもう働けなくなった。いつ始まるかわからない、こんな痛みと不安を抱えて働くことはできなかった。ついに仕事を頑張れなくなった。僕は会社を完全に休職した。
次回、「16 本当に大切なもの」へ続く
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