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▶無『意』味・感想〔129〕◀(2024年3月20日)

この前、メコン川沿いの仏教寺院を散策していました。
ビエンチャンの中心部の方だと川沿いの河川敷は屋台やアトラクションが設置されていて、さらに陸側に展開するナイトマーケットなどとともに、人為的な賑わいを創り出しています。

その中心部から空港方面に向かうと、屋台もナイトマーケットもなくなり、川沿いには湿地や草などが広がっていて、自然的な賑わいを創り出しています。

どちらの賑わいも素敵ですが、中心部から友好橋方面へ南下していく川沿いはそれら2つの賑わいとは異なる賑わいを創り出していて、個人的にはこの場所が気に入っています。

南下した川沿いには仏教寺院が点在しています。中には寺院の敷地と川が直接繋がっているものもあって、寺院の厳かな雰囲気を楽しみながら、メコン川の雄大さも享受できる贅沢な時間を過ごすことができます。そのため人為的な賑わいと自然的な賑わいが見事に融合しているのです。

しかも人為的な賑わいといっても、屋台やナイトマーケットなどの世俗的かつ物質的な賑わいとは一線を画しています。こちらは「仏(ブッダ)」を心に留め、仏の教えとしての「法(ダルマ)」従い、修行に専念する「僧侶とその集団(サンガ)」によって創り出されているものです。それは一見すると穏やかでありながら、しかし心の内側から湧き出してくるような盛り上がりであって、神秘的かつ精神的な賑わいと表現することができると思います。

そんな賑わいの最高段階ともいえるようなシーンに幸運にも遭遇することができました。おそらく近くの寺院で修行をしている僧侶だと思いますが、川沿いに一人佇んでいたのです。周囲には他に人はいません。仏のことを考えているのか、法のことを考えているのか、それとも自分たちの修行のことを考えているのかは分かりませんが、メコン川を見つめながら佇むその人の姿に引き込まれてしまいました。

しばらくしてこの方は歩き始めて、私の視界からしだいに遠ざかっていきました。しかし不思議なことに、その方がいなくなったあとも、そこには僧侶の精神みたいなものが留まっているようで、川を眺めていると、依然として自然と人為が見事に融合した賑わいが伝わってきていました。

「雄弁は銀、沈黙は金」という言葉がありますが、静かに川を見つめる僧侶の姿は、まさにそれを体現していました。私もそんな生き様に憧れることがあるものの、こういったコラムの場合は、文字として語らずにいると言いたいことは伝わりません。ということで、相も変わらずダラダラ綴っていこうと思います。

ダラダラと綴ることも「雄弁は銀」の一種だと思っているので、私はこの「銀ダラ」を続けていきます。

#この街がすき   #旅のフォトアルバム
#ラオス   #ビエンチャン

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