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▶無『意』味・感想〔59〕◀(2023年12月28日)

(気楽で無責任なシリーズ。純粋に何となく綴った短文の塊。ほとんど意味はない感想。)

バス停にあるスクリーンの下の表示。
「THIS IS NOT A TOUCHSCREEN(これはタッチスクリーンではありません)」

おそらく色々な人が触るのでしょう。そしてタッチスクリーンだと思って画面をタップして圧力を加えるものだから、その衝撃でスクリーンが故障してしまうのではないでしょうか。

バスをしばらく待っていましたが、スクリーンには何も映っていませんでした。故障を直したとしても、また誰かがタッチパネルだと思って触ると、すぐに故障につながるので、もう使うのをやめたのかもしれません。

それにしても私が子どもの頃だったら、表示の文章は違っていたでしょうね。
おそらく「触らない」、英語ならば「DO NOT TOUCH IT」のようになっていたと思います。
当時はタッチスクリーンというものがなかったわけで、目の前にある画面が触って操作できるものなのか、それとも操作できないものなのかという区別がそもそもなく、画面を触るとすればそれは「いたずら」の部類だったと思います。

しかし現在はスマホにしてもタブレットにしても、画面をタップして操作するのが当たり前になっています。特に小さな子どもであるならば、当たり前を通り越して、タッチスクリーンではないものの存在すらほとんど知らないという状態かもしれません。

そのためデジタルネイティブともいわれる子どもたちからしてみると、画面を触ることには「いらずら」の要素などなく、「日常的に行っている何気ない動作」として画面を触ってしまうだけなのです。それだけ画面をタップして操作する機能が一般化したことを表している出来事だと感じます。

その何気ない動作の影響は、デジタルネイティブではない私にも及んでいます。時折、PCの画面をタップして操作しようとすることがあります。しかし自分のPCはタッチスクリーンではないので、液晶の色が微妙に変わるだけで、何らかの操作ができるわけではありません。特にジャパ中で教員をしていた頃と、数年前に東京の私学で教員をしていたときは、この「うっかり空振り」が頻繁にありました。そのときはそれぞれの学校でiPadが教員に貸与されていたため、それを使って授業をすることもあり、iPadの感覚で「うっかり空振り」をしていたわけです。

私が生まれてからの半世紀であっても、コンピューターの操作はボタンからタッチスクリーンに変わり、主流は「押すから触る」となっています。さらに非接触のものも普及してきており、これからは「触るから翳す(かざす)」にますます向かっていくことでしょう。こうして綴っていると、技術革新というものの凄さと魅力を改めて感じます。

このような技術革新のスピードから考えると、さらに「翳すから念じる」になって、一見すると物理的な働きかけがないのに様々な操作が可能になる世界もそこまで遠くはないかもしれませんね。こうしてかつては魔法とか奇跡とか信じられていたものが、どんどんと科学技術の助けを借りて当たり前になっていくことに思いを巡らせるとき、どうしても私が敬愛する漫画『鋼の錬金術師』の世界観と繋がってしまいます。

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