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【一人で勝手に旅気分】145

(過去の旅についての振り返りです)
★ 「2月15日」に寄せて(2012年から2018年の間)
2月15日の今日は、週3で生徒に配信している社会コラムは、シンガポールの歴史に関わるものにしました。そして、シンガポールの「血債の塔」や、「旧フォード工場記念館(Former Ford Factory、リニューアル前はMemories at Old Ford Factoryという名前だった)」、セントーサ島にある「シロソ砦(Fort Siloso)」の展示資料)の写真も共有しました。

(以下が社会コラムです)
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【学びは「文化」 ~社会「で」学ぶ~:第20回】(2023年2月15日)
(~社会「で」学ぶ~シリーズはインプット中心なので文章は長めです)
★インプット(先哲の言葉から考える)★
「我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。(We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place.)」
これは「the Civilian War Memorial(市民戦没者記念碑)」の式典(起工式)で、シンガポール建国の父であるリー・クアンユーが述べた言葉です。

この「the Civilian War Memorial(市民戦没者記念碑)」は、別名「血債の塔」と呼ばれています。この塔の落成式は1967年2月15日で、シンガポールにとって2月15日という日は非常に重要な日です。

この言葉は、日本とシンガポールの歴史的関係を表現するときに、かなりの頻度で使用されるフレーズで、「Forgive, but never forget(許そう、しかし忘れない)」という短いフレーズが有名です。ただ、この言葉の本来意図していた内容というものは、前後の文脈の中で考える必要があります。ニュースなどでも、発言の一部分が切り取られ、そこだけがクローズアップされて、偏った印象になってしまうことがあります。この言葉も短いフレーズを中心とした解釈が独り歩きしてしまっています。

スピーチの前後の文脈を見る前に、「シンガポールの2月15日」にまつわる歴史をみてみましょう。アジア・太平洋戦争の真っ只中、1942年1月終わり頃、日本軍は当時イギリスの統治下にあったシンガポールに侵攻しました。そして1942年2月15日にフォード自動車工場という場所で降伏交渉を行い、イギリス軍は正式に降伏したのです。ここから3年半ほどの期間、シンガポールは「昭南島」として日本の支配下に入りました。その日本軍による支配の中で、多くの華僑(中華系の人々)が粛清されたことから、この期間は暗黒時代と呼ばれています。

その後、戦争が終わり1961年末になって、当時粛清された華僑の遺骨が大量に出土するという出来事がありました。これをきっかけに「日本占領時期死難人民記念碑募捐委員会」が発足し、記念碑建設の動きが本格化したのです。そのため「the Civilian War Memorial(市民戦没者記念碑)」の落成日でありかつて降伏した日である2月15日は、シンガポールにとって忘れてはならない日なのです。

現在2月15日は、「Total Defense Day(国防の日)」となっています。毎年2月15日になると、イギリス軍が正式に降伏した夕方の時刻に合わせてサイレンが鳴ります。やはり、シンガポールは「忘れていない」のです。ただ何を忘れていないのか、短いフレーズだけを見ていては、本来意図している内容は分かりません。

リー・クアンユーの言葉について、前後の文章を確認してみましょう。「dedicating the ground to the memory of all races and religion who died in Japanese-occupied Singapore, was part of the process of making the past less unbearable. We cannot forget, nor completely forgive, but we can salve the feelings that rankle in so many hearts, first in symbolically putting these souls at rest, and next in having the Japanese express their sincere regret for what took place. It is in this hope that I officiate at today's ceremony.(日本のシンガポール占領時代に亡くなったすべての民族と宗教の人を覚えていることは、過去を乗り越える過程の一部だ。我々は忘れることはできない。完全には許すこともできない。しかし、最初に魂に安らぎを与え、次に日本人が誠実に謝罪をあらわしている中では、多くの人の心にある苦しみを救うことができる。今日の式典で私が責務を果たすにあたって、この希望の中にいる。)」

「出来事に対する行為責任について許した」ということと、「出来事に対する対日感情について忘れた」ということは同じではありません。出来事に対する思いがリセットされたわけでは決してないということです。それどころか、「許そう、しかし忘れない」というフレーズによって強調されてしまう「許す」という部分についても、本来は「完全には許すこともできない」となっているわけで、「『許す』というものが完了しているわけではない」というのが本来の意味です。

ただしシンガポールは過去の方ばかりを見て立っているわけではないことが、リー・クアンユーの言葉から分かります。「過去を乗り越える」というのは、過去だけに囚われるのではなく、過去を礎に未来へ踏み出すための意志の表れではないでしょうか。そして、後半に「希望の中にいる」とあるように、憎しみのようなネガティブな感情を持ち続けるということではなく、過去を正しく認識した上で両国がこれからの関係性を積み上げていくことこそ目指すべき関わり方で、それが理想的かつ現実的な関わり方のはずだと考えていると思います。リー・クアンユーはこのような前向きでポジティブな感情によって歴史を見つめようとしていると私は考えていますね。

そしてリー・クアンユーの演説について考えるとき、いつももう一つの演説の言葉が思い浮かびます。
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」
こちらは、1985年当時、西ドイツの大統領であったリヒャルト・カール・フライヘア・フォン・ヴァイツゼッカーが、1985年5月8日のドイツ敗戦40周年記念日において行った演説の一節です。第二次世界大戦においてナチス・ドイツが行ったホロコーストに代表されるような行為を時間と共に忘れてしまうと、再び同じことが起こる危険性があるとヴァイツゼッカーは指摘しています。ただし、彼の演説もさきほどと同様に前後の文脈を含めて考えなければ、本来意図しているものが理解できません。しかし、今日は長くなったので、またの機会にお話ししますね。

(社会コラムでは毎回、考えを「文字化・見える化」してもらうようにしています)

★アウトプット(この内容を読んで、あなたはどんな考えを持ちましたか)★
A)自分のこれまでの経験の中で、今回の話と類似した思い当たること(主観から考える)
B)世の中の出来事で、今回の話と類似していて当てはまると思うこと(客観から考える)
AかBのテーマで100字~200字の文章を書いてみましょう

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歴史を単なる過去として捉えていては、未来に向けて正しく前進することはできませんね。

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