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▼哲頭 ⇔ 綴美▲(17枚目とバーナード・ショー)

(哲学を美で表現するとしたら?美を哲学で解釈するとしたら?そんな思いをコラムにしたくなった。自分の作品も含めた、哲学と美の関係を探究する試み。)

【記事累積:1965本目、連続投稿:898日目】
<探究対象…哲学、美、創作、海、霹靂、決意、バーナード・ショー>

今日の1枚は、大学3年の前半にペイント機能で作った絵である。当時の自分がこの絵につけたタイトルは『霹靂』であった。なぜ当時の自分はこのようなタイトルにしたのだろうか、そしてこの絵からどのような思想を読み取ることができるのだろうか、今日はそんな考察をしてみようと思う。

この絵はかつて12枚の絵を使って作成したカレンダーを彩る1枚であり、「4月」の絵に位置づけていた。私にとって大学3年生のこの時期には、大きな転機となる二つの出来事が重なるのである。その出来事の渦中、大学3年から所属することになった国際法ゼミの新歓合宿が伊豆方面で行われ、その夜に散歩に出て眺めた伊豆の海の印象と当時の心境との重なり合いがこの絵の材料になっている。

大きな転機の一つは、所属していた卓球部の代替わりである。大学3年が名実ともに部の運営の中心である幹部学年になるのは、5月終わり頃に開催される春季リーグ戦が終わったあとである。ただ年度が変わった4月5月というと大学4年生は就職活動の真っ只中であり、形式的にはまだ4年生が幹部ではあるものの、実質的には3年生への引継ぎが進んでいた。

幹部学年の構成としては、主将と主務という役割が中心になる。前者はプレイヤーとして部を鼓舞したり牽引したりするような役割、後者はマネージャーとして部内の運営や部外との渉外などを担う。監督がかなり目をかけてくれていたにも関わらず、私はプレイヤーとしては芽が出ず、同期には私よりも戦績が良かった者がいたので、そちらを主将とし、私は主務になるのが妥当ではないかという流れは、大学2年の途中くらいからできていたように思う。

主務という役割は、マネージャーと呼ばれるものの、歴代の主務はプレイヤーも兼ねていて、マネージャー業務に専念するというわけではなかった。だからプレイヤーとしても頑張りたい気持ちがあった自分としては、二足の草鞋にはなるが、そのような流れについてさほど異論はなかった。しかし新年度になったくらいに、主将候補の人物が部を継続するかどうか悩むという事態が発生する。

最初は一時的なものかと思っていたが、何週間もその状態が続いた。そのため、もし彼がいなくなったならば、自分が主将を務めなければならないのではないかと真剣に考えるようになっていったのである。ただ主将となると、プレイヤーとして試合で勝つことを今まで以上に求められるという思いになり、「すこぶる勝負弱かった」自分としてはかなりのプレッシャーだった。

絵は夜の海であり、空のいくつかの星や遠くの灯台の明かりがわずかに輝くだけなので全体的に暗い。しかし空から一筋の白い線が海に向かって落下し、海面とぶつかってしぶきをあげている。ここには、おそらく主務になるだとうと考えていた自分に訪れた衝撃だけでなく、春季リーグ戦が迫っていたので、主将という重責を担うプレッシャーはあるものの、主将になるべく腹をくくってプレイヤーとして頑張ろうと決意した心境が表現されていると考えられる。

大きな転機のもう一つは、国際法ゼミそれ自体である。私の大学の国際法ゼミは毎年、国際法模擬裁判大会(国際法学生交流会議ILSEC主催で当時はJAPAN CUPと呼ばれていた)に出場していた。私は国際法には興味があったが、模擬裁判にはそれほど前向きではなく、ゼミ選考の面接でも模擬裁判では弁論担当ではなく、筆記担当で参加したいと主張していたと思う。しかし実際に大会に参加する大学3年生のゼミメンバーの人数が多くなく、また他に筆記をしたいという人がいたので、何となく私は弁論担当になる流れが生まれていた。

そしてゼミ合宿の前に何度か模擬裁判の練習が行われたときも、私は試しに弁論担当でやってみるように勧められていた。筆記担当になるつもりで入ったにもかかわらず弁論担当を勧められる状況は、予想外の出来事で大きな衝撃だった。そして自分の考えを文字や図に表すのは上手くいっても、それを口頭で表現するのは別問題に難しいことを痛感し、自信が生まれる余地はなかった。それでも合宿中にゼミの仲間と熱く語る中で、この仲間一緒ならば頑張れるかもしれないという気持ちになり、そんな状態で夜の海を眺めていたので、先の見えない不安のような暗い海ではあるものの、そのときの決意が一筋の光となってその闇を切り裂いたのである。

「変化なくして進歩は不可能であり、自身の考えを変えることができない人は、何も変えることができません」
これはアイルランド出身の文学者・劇作家・教育者で、イギリスの社会改革を進めたフェビアン協会の活動にも携わったジョージ・バーナード・ショーの言葉とされている。

この言葉からは、単なる継続では変化は生まれず、それでは或る軸におけるプラス方向には向かっていかないことが分かる。この言葉では個人について言及しているが、それは集団についても、そして国家についても当てはまるものだと思う。

今回の絵の材料となっている伊豆の海を眺めていたときの自分の状況や心境は、このバーナード・ショーの言葉と繋がる。あの海を眺めるまでの私は、現在の自分の延長線上にあるようなパフォーマンスで満足しようとしていた。しかし自分に求められる役割が変わる中、それを仕方なく請け負うのではなく、正面から向き合って受け入れようと決意したのである。わが身に起こった出来事は望んでいたものではないので、「青天の霹靂」ともいえるものだった。しかし腹をくくって受け入れようと決意したことで、私はそれまで閉じこもっていた殻から抜け出すことができたのである。

ただ卓球部についてはその後、主将候補だった同期が戻って来れたので、彼が主将となり私が主務になったが、一度決意をした後の私は、主務を単に全うするのではなく、主務の仕事は当たり前でどれだけプレイヤーとしても頑張れるかを考えられるようになっていた。また国際法ゼミの方も、弁論担当になることの決意によって、真剣に論題と向き合い準備をしたことで、ありがたいことに書面の部で第1位、弁論の部で入賞という結果をいただくことができたのである。もしどちらの出来事についても、大した決意もなく後ろ向きに捉えていたならば、素敵な経験も自分の成長もなかったと思う。

今日の1枚には、そんな「予想外の衝撃」と「変化に向き合う決意」という大きなインパクトが表現されていたことが、今見直してみるとひしひしと伝わってくる。

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