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▶無『意』味・感想〔135〕◀(2024年3月27日)
ビエンチャンの勤務校で私が利用させてもらっていた教室にあった地図です。日中はラオス語を母国語とする生徒たちが学習する教室のようで、教室内にはラオス語の絵本や、ラオス語の文字や数字の一覧などが置いてあります。
そこにラオスの地図もありました。ある日この地図を見ていると、ラオス北部と接しているベトナム側の地名に目が留まりました。
ベトナム語で「Điện Biên Phủ」と書かれています。私はベトナム語を勉強したことがないのでよく分かりませんが、この地名は読むことができました。この地名はカタカナで表記すると「ディエンビエンフー」です。
私がなぜこの地名を読むことができたのかというと、昨年度は対面、今年度はオンラインの形で関わっていたバンコクの在外教育施設で高校の世界史を担当していたことが関係しています。これまで社会科教員としてインドシナ半島の歴史を扱うことはありましたが、昨年度と今年度はタイやラオスに住んでいたので、関心が特に強くなっていたのだと思います。
そのため以前よりも時間をかけてインドシナ半島の歴史について授業をしました。そして第二次世界大戦の終結後すぐに勃発したインドシナ戦争(第1次インドシナ戦争)を扱った授業で「ディエンビエンフー」という地名が登場したのです。
インドシナ戦争(第1次インドシナ戦争)は、この地域の支配を再強化しようとしていたフランスとベトナム独立同盟(ベトミン)との戦いで、1946年から続いたこの戦争を終結させるきっかけとなったのが「ディエンビエンフーの戦い」でした。
フランス軍はこの「ディエンビエンフーの戦い」で1954年5月にベトナム独立同盟(ベトミン)に敗れたことで、フランス国内では戦争に否定的な声が高まり、戦争継続に反対する内閣に代わりました。その結果、1954年7月にはジュネーヴ休戦協定が調印されることになります。
そんなインドシナ戦争(第1次インドシナ戦争)において重要な地名の「ディエンビエンフー」だっただけに、ラオスの地図の周辺に書かれていたにも関わらず気づくことができたわけです。このように、或る場面での学びが、別の場面での気づきになると、とても得をした気分になれますね。
【連続投稿:920日目】
#この街がすき #旅のフォトアルバム
#ラオス #ビエンチャン
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