▶無『意』味・感想〔227〕◀(2024年7月1日)
4月に日本に戻ってきて、現在の勤務校では授業は基本的にプロジェクターにスライドを映し出す形で、板書事項もスライドにまとめて示すようにしています。
そのため今までの私の基本スタイルとは全く異なっています。今までは、その場で板書してキーワードなどのカードを貼っていく形でした。
これまで高校生に対しても、中学生に対しても、小学生に対しても、このスタイルを貫いてきたのですが、現在の勤務校ではスタイルの変更を余儀なくされています。現在はオンラインで授業を受ける生徒が多く、ホワイトボードを横長に使って板書を進めていくと、カメラの役割を持たせている固定PCをその都度動かさねばならないので、PCを動かさないで済むようにスライド1枚に板書事項を詰め込んでいます。
この形は板書が前もって完成しているので、それを示すだけなのは楽なのですが、授業を展開させながら文字を書いていくという躍動感またはライブ感のようなものがありません。それが何となく物足りなさに繋がっている気がします。
去年ラオスで小学生を担当していたときも、容赦なくホワイトボードに文字を書き、カードを貼りというスタイルで、去年の様子をスマホに保存していた写真を見返すと、とても懐かしく感じますし、今よりも躍動感とライブ感があって楽しかったなあと素朴に思います。
そして、合理的で「楽(らく)」であるという理性の側面は、情念の側面においては逆に「楽(たのしい)」にはならないことに気づかされます。
今後の授業スタイルについて考えるとき、「楽(らく)」と「楽(たのしい)」のどちらを優先すべきか非常に迷いますね。
【連続投稿:1016日目】
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