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★我楽多だらけの製哲書(35)★~「自分が教師であること」とアリストテレス~

はじめに

「教師」と呼ばれる職業に就いて19年目になる。今年度は1年目以来の非常勤講師である。しかしそのときと違うのは、今年度は企業と業務委託契約を結んで、教師とは異なる立場で週3日仕事をしているということである。不思議なことに、フルタイムで教師をしなくなった今年度の方が、「自分が教師であること」について考える機会が多い。それは自分がどの方向を向いているのか、どちらに向かおうとしているのかについて、渦の中に身を置いているよりも、そこから離れている方がよく分かるのと同じかもしれない。教師だけをしていたときにはあまり考えなかった「自分と教師という職業との繋がりは何か」という問いが、企業の方々と仕事をしている中では、結構な頻度で頭をよぎる。それは健全な問いではないかもしれない。この問いが頭をよぎるのは、企業との仕事で思い通りにいかないときである。仕事がうまくいかないのは、自分の努力不足であるにも関わらず、素直に認めたくないという気持ちがあり、それが「自分は企業人ではないから」という言い訳を作り出しているように思える。そして、「自分は教師だから」という場所へ逃げ込もうとする。そんな不純な動機だから、私がそこに足を踏み入れることを歓迎してはくれない。「自分と教師という職業との繋がりは何か」という問いに対して、容易には答えを受け取ることはできない。だから、企業人から逃げたのに、逃げ込んだ先の教師からも拒絶されるという宙ぶらりんの状態になってしまう。

宙ぶらりんであることは、私自身とても不安である。それ以上に、宙ぶらりんで仕事をしてその影響を受けることになる他の人々に失礼なので、年末年始のインターバルのうちにこの問いについて考えるべきだろう。ただし「自分と教師という職業との繋がり」が、偶然の産物だという結論になってしまっては、教師としてこの先は明るくないだろうし、企業の仕事がうまくいかない理由もその偶然の繋がりに依拠することになり、非常に危険である。だから私としては、必然の繋がりにたどりつくことが急務である。

問いをもう少しシンプルにしてみると、「自分がなぜ教師であるのか」となり、自分が教師という職業に就いている理由・動機がポイントであることがはっきりする。現代は、家柄などで自動的に職業が決まるものではない。職業は自分が選択した結果である。それでは私が教師という職業を選択した理由・動機はどういったものだったのか。

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【1】4つの理由・動機

例えば、「教師になりたかったから」などは真っ当な理由・動機であろう。私の場合はどうかというと、そのような純然たるものではなかった。私は普段からSNSで様々な考察を投稿しているが、その中には自分のこれまでを振り返って分析するものも多い。それらを見てみると、大別して4つの理由・動機が浮かび上がってきた。端的に表現すると、①「覚えたり、情報整理したりするのが比較的得意だったから」、②「授業で試行錯誤することがゲームのように思えて没頭していたから」、③「自分のいじめ体験から思うところがあったから」、④「自分と教師との繋がりについて真剣に考える後押しがあったから」となる。

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まず「覚えたり、情報整理したりするのが比較的得意だったから」について詳しく見てみる。私は小さいころからクイズが好きで、あるクイズ王が実践していた「クイズノート」に感化され、私も問題や答えをノートにまとめていた。それによって知らず知らずのうちに、物事を覚えるための情報処理のスキルがトレーニングされたと思う。また、絵を描くのも大好きで、黒板の文字をそのまま写すというよりも、どのようなデザインで黒板の情報をまとめるかを楽しんでいて、やはり知らず知らずのうちに情報整理のスキルのトレーニングになっていたと思う。これは積極的に情報を収集し、処理・整理するものであり、学校で取り組むそのような活動のスキルが上達していくことは、学校と関わる仕事・職業に適性があるのではと思うことに繋がったと感じる。この理由・動機は能動性と結びついているので、「アクティブな理由・動機」と呼びたい。

次に、「授業で試行錯誤することがゲームのように思えて没頭していたから」について詳しく見てみる。小さい頃、私は人気のテレビゲームを買ってもらえていなかったので、ゲームをするためには友人の家に行き、居候のような肩身の狭さでゲームの順番を待つような状況であった。そのため、ゲームのような楽しい時間をもっと自己本位で過ごすことはできないものかといつも考えていた。そのとき白羽の矢が立ったのが、学校の授業内容であった。クイズ好きでもあった私は、「授業内容を一種のクイズやゲーム」と捉えて、それをどうやってクリアするかを考えることの中に楽しさを見出していた。だから私にとって学校は、勉強をする場所というよりも、クイズやゲームを楽しめる場所になっていたと思う。これは学校という場所を肯定的に捉えることとなり、学校と関わる仕事・職業に対しても同様に肯定的なイメージが結びつくことになったので、これを「ポジティブな理由・動機」と呼ぶことにする。

続いて、「自分のいじめ体験から思うところがあったから」について詳しく見てみる。私は小学校6年生のときにいじめられたことがある。転校して間もなく、当時ニュースで取り上げられていた犯罪者のあだ名をつけられた。周囲の子どもたちは、面白がって私をその名で呼んだ。そしてそれ以外の場面では、こちらがアプローチしても無視されていた。中学校になりそのようないじめはなくなったが、小学校のメンバーがそのまま同じ中学校に上がってくるため、私にとっては中学校も決して心地の良い空間ではなかった。そのため、「言葉の暴力」や「仲間外れ」が、どれだけ人を苦しめるかについて人一倍強い関心を持っていた。だから、学校生活で大切にしたいこととして、「『コトバ』づかいを考えて『カイワ』をしよう」というオリジナルのスローガンを考えるに至ったのだと思う(詳しい意味については【3】で話をしたい)。このスローガンの根底には、自分のいじめ体験という否定的な要素があり、学校と関わる仕事・職業にもその要素が影響を及ぼしているので、これを「ネガティブな理由・動機」と呼びたい。

最後に、「自分と教師との繋がりについて真剣に考える後押しがあったから」について詳しく見てみる。私は教師になりたいという思いを抱いて大学生となり、教職課程も履修した。ただ、入学してからは他にも研究者になりたいとか、外交官になりたいとかといった思いも出てきて、教師という仕事・職業への思いは選択肢の一つに変わっていった。そのうちに修士2年となり、研究者や外交官を目指す上ではそれらに対する真剣さが足りず、実現可能性は先細りの状態であった。そのような中で、ひとまず就職活動もしておいた方がいいだろうと思い、金融機関、飲食店、システム開発など様々な企業の面接を受けた。その中の一つの面接が、心の中で埋没しつつあった本当の気持ちを掘り起こすきっかけとなったのである。本当の気持ちとは「教師になりたい」というものであり、面接という外部刺激の力を借りて、私はその気持ちと向き合うことができた。これは学校と関わる仕事・職業について自ら進んで考えたものでなく、面接がきっかけの受動的なものなので、「パッシブな理由・動機」と呼ぶことにする。

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これら4つはいずれも、私が教師という職業を選択した理由・動機として欠かせないものであるが、それぞれ異なる役割を担っている。

【2】理由・動機と先哲の思想との繋がり

「我々が或る物事を知っていると言いうるのは、我々がその物事の第一の原因を認識していると信じるときのことだからであるが、原因というのにも四通りの意味がある。すなわち、我々の主張では、そのうちの一つは、物事の実体であり、『なにであるか〔本質〕』である。…つぎにいま一つは、ものの質料であり基体である。そして第三は、物事の運動がそれから始まるその始まり〔始動因としての原理〕であり、そして第四は、第三とは反対の端にある原因で、物事が『それのためにであるそれ』すなわち「善」である。というのは善は物事の生成や運動のすべてが目ざすところの終り〔すなわち目的〕だからである。」

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これは古代ギリシアの哲学者アリストテレスの著書『形而上学』の一節である(アリストテレス『形而上学(上)』出 隆訳、岩波書店、p.31)。アリストテレスは、物事が生じる原因が4つに分けられると考えた。まず本質に関わる原因があり、一般に「形相因」と呼ばれている。それから、素材や物質に関わる原因は「質料因」、動きの起源に関わる原因は「始動因」と呼ばれている。そして4つ目は生成や運動の根本に関わる原因で、「目的因」と呼ばれている。

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私が教師という職業を選択した理由・動機の4つそれぞれは、このアリストテレスが説いた4つの原因と結びつけることができるのではないか。まず、「形相因(本質に関わる原因)」は、「『コトバ』づかいを考えて『カイワ』をしよう(【3】で後述)」というスローガンを大切にする教師像と結びついている。このスローガンは「ネガティブな理由・動機」によるものだが、その中にある負の要素を打ち破るような教師であることが、私にとっての「教師に求める本質」なのである。次に、「質料因(素材や物質に関わる原因)」は、積極的に情報を収集し、処理・整理するという経験と結びついている。これは「アクティブな理由・動機」であり、これまで蓄積された経験が教師の適性を感じる判断材料となっているので「教師を成り立たせる素材」ということになる。続いて、「始動因(動きの起源に関わる原因)」は、教師になりたいという気持ちと真剣に向き合うことができた経験と結びついている。これは「パッシブな理由・動機」で、面接という外部刺激をきっかけに自分の本当の気持ちが明確になったという「教師に近づく動き」である。最後に、「目的因(根本に関わる原因)」は、学校が楽しみを見出せる場所だと捉えていることと結びついている。これは「ポジティブな理由・動機」で、かつて自分が享受した「学びの楽しさ」と関わり続けたい「教師を目指す素直な思い」なのである。

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ここまでの考察を通じて、「自分と教師という職業との繋がり」がはっきりしてきたが、4つの理由・動機をうかがい知ることができる具体的なエピソードが綴られた過去の記事も振り返ってみたい。

【3】「形相因」「教師に求める本質」に関わる記事

まず、「形相因」「教師に求める本質」に関わる記事は、2020年6月3日のものである(抜粋)。
❖久しぶりの直接的なHRと松尾芭蕉❖
勤務校でも対面授業・分散登校が始まった。ただ、東京都は感染者が30人を超え、東京アラートが発動されるなど、第2波の到来を予感させるデータが出てきている。それでも2カ月ぶりの対面授業の今日は、午前と午後でクラスの生徒全員に会うことができ、大きな成果があった。

2カ月ぶりの直接的なHRは、どうしても対面で伝えたいことがありすぎて、オーバーフローだったと反省しつつも、一番伝えたい根幹の部分は伝えられたのではないかと思っている。

ZOOMのHRのときから毎日何かしらの目標を示しているのだが、今日の目標はE組ということもあり「E顔で生活する」にしてみた。「E顔」の読み方は、くだらないが「えがお」または「いいかお」である。やはり久しぶりの対面授業で、仲間と会えるという楽しみ・期待がありつつも、きちんと学校生活が再開できるものなのかという不安もあっただろう。そこで、ジェームズ・ランゲ説に従い「笑顔・いい表情」を意識的に作ることによって、心を楽しい・嬉しい状態に誘導できればと思い、この目標にした。

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生徒にしてみれば、久しぶりの対面授業なのに、理念的なこと、哲学的なことが伝えられて大変だったと思うが、本当に伝えたいことを持っているのだという姿勢は示せたのではないかと思っている。

私は新しい職場で、いきなりの担任で、学校の教育方針や理念のようなものを十分に理解できているわけではないが、自分の根幹にある教育観とつなげて教育方針を解釈し、なぜその方針が大切なのか、一つの見方を伝えることはできたと思う。

そして、職場が変わったとしても、自分の根幹にある教育観を土台にしなければ、血が通ったメッセージにならないと思い、この学校でも「コトバ」と「カイワ」について話をした。

「コトバづかいを考えて、カイワをしよう」のカタカナ部分を漢字に置き換えると、コトバは「言刃と異場」、カイワは「皆和と快輪」となる。

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便利な情報伝達手段である言葉は、その影響力の大きさゆえに、人を傷つけてしまうような力を持っているので、使い方を気をつけなければならないというのが、「言刃づかいを考える」の意味である。そして考え方も個性も一人ひとり違いがあり、それぞれの異なる立場を理解しながら、関わり合うことが大切であるというのが、「異場づかいを考える」の意味である。

次に、全員が和む雰囲気づくりを大切にしてほしいというのが、「皆和しよう」の意味である。そして、輪という外見上の繋がりを超えて、快い繋がりを本質として大切にしてほしいというのが、「快輪しよう」の意味である。

一般に、いつまでも変わらないものは「不易(ふえき)」と呼ばれる。これに対して、時代の流れに応じて変化するものは「流行」と呼ばれる。そして、この不易と流行は必ずしも二律背反の概念ではない。

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」
これは江戸時代に活躍した俳人の松尾芭蕉は『奥の細道』の中で、不易と流行の関係性について述べたものである。この言葉は、普遍的なものを理解していなければ基礎は成り立たないし、世の中の流れというものを把握していなければ物事が進展することはないという意味を持っている。ここから芭蕉は普遍性のある不易を重視し揺れ動く流行を軽んじているわけではなく、不易と流行が組み合わさることによって素晴らしい成果を得ることができると考えていることが分かる。

私の教育観の場合も、不易として「コトバ」と「カイワ」にこだわることによって、大きな方向性はぶれずに安定するが、コトバとカイワが具体的に示す意味を職場によって変えようとしなければ、現在の状況にとって有意義なものではなくなってしまう。だから、コトバとカイワで変換される漢字は常に同じものではなく、状況に応じて柔軟に変えていけば良い成果を生み出すことができるのである。自分の教育観は絶対ではない。そういった盲信のような不易は有害なものとなる。やはり現実を踏まえた新陳代謝はどんなものでも必要である。

なお、HRでのメッセージの発信方法は昔から画用紙に書いて貼り出す形で、不易のままである。今後はメッセージの発信方法についても不易流行を考えていくことが課題である。

【4】「質料因」「教師を成り立たせる素材」に関わる記事

次に、「質料因」「教師を成り立たせる素材」に関わる記事は、2021年12月7日のものである(抜粋)。

❖学びは知識との出会いにも、別れにもなるが、接した時間に意味・価値あり❖
時折、学校で学んだことは大人になってから役に立たないのかどうかというテーマが取り上げられることがある。そのまま使えるかどうかという意味に限定してしまうと、不要論の説得力が増しそうである。確かに、例えば「桶狭間の戦い」という語句を知らないと致命的になる場面は稀だろう。ただ、何かの例えとして、会話の相手がそれを用いたとき、自分がそれを覚えていれば、そこから話が広がっていき関係性を築くきっかけになるというメリットはある。その語句が大抵の人から見て、それくらいは知っていないとなあと思われるような部類(「世間的な常識」)ならば、知らないと印象が悪くなるかもしれない。ただし、こういう「世間的な常識」のほとんどは、学校でなければ学べないかというとそうではないし、大人になってから本人の心掛け次第で学べるだろう。

さて、学校での学びに話を戻すと、「学ぶ」という行為は「知識と正しく繋がる(知っている、覚えているから出発して理解を深めていくこと)」だけではなく、「活用の経験を得る(例えるという行為については、例える側としても、例えを受け取り理解する側としても、活用の一つと考えられる)」を含むと考えられる。クイズ的な話題でなければ、前者が活躍する場面は少なく、大人になって役に立つかどうかを決定づけるのは、むしろ後者だろう。私の場合、中学校や高校のまとめノートは、その活動の直接的な効果とされる「理科や日本史の知識との正しい繋がり」よりも、どのようにまとめると上手く内容が収まるかという「情報整理」や、どういう示し方だと印象に残るかという「表現力」といったスキルを、繰り返しトレーニングしたようなものである。

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だから、大人になっても、プリントやスライドを利用して他者に何かを伝えるとき、それに関わるスキルとして活きているように感じる。私は高校時代、古文・漢文が苦手だったし、好きではなかった。しかし時折耳にする「古文・漢文不要論」に加担する気はない。好きではなかったが、古文・漢文の学びで、助動詞の見極めを通じて「規則性を意識する思考回路」が鍛えられた。それは古文・漢文でなければ鍛えられないというものではないが、日々の学びの中に、「直接的な効果(知識と正しく繋がる)」と「思考回路またはスキル(活用の経験を得る)」が常に併存していて、学びというのは両者を享受する活動である。

後者だけに特化してトレーニングできれば、その方がわざわざ興味のない科目の知識と関わる必要がなくなって良いと思われるかもしれないが、「思考回路またはスキル(活用の経験を得る)」というのは、それに主眼を置いた活動では、活用の地力・基礎力を鍛えることはできても、活用の実践力を鍛えることはできない。活用の実践力は、実態が分からないとか、無関係に思えるとかといった場面においてこそ、躍動感を伴って力強く鍛えられていくものである。

また古文・漢文の授業は、それらの知識と正しく繋がる大切な機会であり、その出会いから専門の道に進む者もいれば、自分が進むのはこの道ではないなと自覚して転進する者もいる。古文・漢文に限らず、様々に授業が用意されている意味または価値は、まさに「知識との出会い」である。そして、様々な知識と出会い、それなりの時間をかけて向き合ってみて、その知識との相性を確認していく。相性が悪かったとしても、関わった時間には確実に意味・価値がある。知識と正しく繋がろうとしたが、それが最適解ではないとの自覚を得たこと自体、出会わなければ気づかないことなので、大きな意味・価値がある。また関わった時間の中で、もう一方の学びである「思考回路またはスキル(活用の経験を得る)」のトレーニングもしているのである。この「思考回路またはスキル(活用の経験を得る)」のトレーニングについて、もう少し続けるならば、数学の授業では、「物事を抽象化・一般化・単純化する思考回路またはスキル」や、「定義を厳密に捉える思考回路またはスキル」などが関わってくる。それから数学を苦手としていればしているほど、「訳が分からない内容であっても諦めず、粘ろうとする思考回路またはスキル」が身につくと思われる。学びは「知識との出会い」であると同時に、相性を見極める「知識との別れ」の機会でもあり、また、主目的ではない学びにも繋がるので、接した時間全てに意味・価値がある。こういった学びの姿と「探究学習」は結びついていると私は考えている。

【5】「始動因」「教師に近づく動き」に関わる記事

続いて、「始動因」「教師に近づく動き」に関わる記事は、2021年11月16日のものである(抜粋)。

❖今も忘れぬ面接試験❖
日高屋の一号店が閉店するらしい。一号店を利用したことはないが、何度となく日高屋は利用させていただいている。学生のときは「ラーメン日高」という店舗名が主流だったように記憶している。いまやどんな街でも見かける「日高屋」。これらの店舗を経営するのが株式会社「ハイデイ日高」である。この企業と私の関わりは、単にお店を利用しているだけではなかった。実は修士2年のとき、私は一般企業の就職活動をしたことがある。そのとき、この「ハイデイ日高」の採用試験を受けたのであった。

筆記試験や集団面接をクリアした後、個人面接となった。志望動機を聞かれたときに、大学のゼミ時代の模擬裁判大会で鍛えた弁論術で、非常に薄っぺらい動機をペラペラと述べた。それを聞いたあとの面接官の方の言葉が今も胸に刻まれている。私の薄っぺらい動機に対して、やや語気を強めて、「あなたはこれからはラーメンの時代だと言っているけれども、あなたの言葉からそれは伝わってこない。あなたは資格の欄に教員免許を記載しているけれど、教員採用試験に受かるまでの腰掛けのつもりで我が社の採用試験を受けているんじゃないか」。

図星だった。教員採用試験を受けながら、とりあえずどこか内定がもらえたらラッキーという生半可な気持ちで面接を受けていたのが正直なところである。一瞬、沈黙したことで、図星であることが伝わってしまったのだろう。続けてその面接官はこう言った。「俺たちは真剣にラーメンをやっているんだ」。これだけならば、いい加減な気持ちを見抜かれて怒られたという記憶だが、この後の一言が今でも胸に刻まれている。「それぞれ真剣になる世界がある。俺たちはラーメンだけど、あなたは教員なんじゃないか。だから教員を真剣に頑張りなさい。」

そして、そのあと非常に不思議なシチュエーションだが、なぜ教員を目指したいのかなどの質問を受けた。その面接官は「教育って大変だよなあ。でも本当に大切だよなあ。」

もちろん面接の結果は不合格だったが、このやり取りは私にとってとても勇気づけられるエールとなった。そのあと教員を目指す気持ちがより明確になり、おかげさまで大学院修了後、私立校の非常勤講師に採用され、現在まで教員を続けている。あの言葉は今でも忘れない。今でも感謝している。だから今でも日高屋を見かけると恩返しのつもりで利用させていただいている。お気に入りはニラレバ炒め定食である。

【6】「目的因」「教師を目指す素直な思い」に関わる記事

最後に、「目的因」「教師を目指す素直な思い」に関わる記事は、2020年5月31日のものである(抜粋)。

❖オンラインHRでの働きかけとアンドリュー・カーネギー❖
オンラインHRでの一つの取り組みで私が行っているのが、「様々な国の文化の紹介」である。

自分が7年間の海外生活で得た経験・情報が、これから国際社会へ羽ばたいていこうとしている生徒たちの動機づけに少しでもなってくれればと思い、HRで紹介をしているわけである。

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インド3

ネパール3

ラオス3

これが彼らの進路選択にとって決定的な影響を与えるものになるなどと偉そうに思ってはいないが、私だからこそ彼らに提供できる経験・情報というものはあるはずであり、それが何らかのきっかけにつながればうれしいと思っている。

「ごく些細なことに、人間の運命をきめる最も重要なことがかかっているかもしれないのである。」

これはスコットランドで生まれ、その後アメリカで実業家として成功したアンドリュー・カーネギーが残した言葉とされている。彼はカーネギー鉄鋼会社の創業者であり、その会社を成功に導いて「鋼鉄王」と呼ばれるまでになった人物である。

彼の言葉が示すように些細なこととの関わりが、その人の運命に大きな影響を与えることがあるという実感を私は持っている。

私の場合は中学2年生の頃の経験が、教員を目指す重要なきっかけだったのではと感じている。きっかけは2つある。一つは、中学2年の理科の授業で、ブドウ糖(C₆H₁₂O₆)の分子構造がどんな形になるか考えてみようという働きかけだった。それが一種のパズルに挑戦するようなものに思えて、どうやって4つの手をもつCと、1つの手をもつHと、2つの手をもつOがきれいに結びつくか夢中で考えるようになった。この働きかけによって、私は自分で試行錯誤して考えることの面白さを体感することができたわけである。

もう一つは自分の理科のノートを学校の先生に褒めてもらったことがとてもうれしくて、それからどの教科でもまとめノートを作ることにこだわった。この「まとめノート」という情報整理のスキルは、現在でも自分のアイデンティティとなっている。最初はただラインマーカーによって大きな字で書いただけのノートだったが、それを褒めてもらったことでやる気になり、楽しみながら学ぶこともできるようになった。

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私の働きかけも生徒たちに何かしらのきっかけとなってほしいと思いつつ、今日も過去の写真を見直し、何を紹介しようか楽しみながら編集をしているわけである。

おわりに

この考察での「気づき」を新たな原動力にして、2022年も「自分がなぜ教師であるのか」を問い続け、教師としての自分のさらなる成長につなげていきたい。

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