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❖ビエンチャンを見てんじゃん(118)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2024年6月7日)◆小さな橙によって「ゆらぎ」と「隙」が生まれたという勝手なる解釈◆

【記事累積:2059本目、連続投稿:992日目】
<探究対象…ラオス、ビエンチャン、仏教寺院、お経、勝手な解釈>

♪サバイディー(ສະບາຍດີ、こんにちは)

2024年3月末にラオスから日本に戻ってきておりますが、ラオスの色々な気づき・学びについては、こちらのシリーズ、「無『意』味感想」シリーズ、「一人で勝手に旅気分」シリーズなどを併用しながら気まぐれに投稿していこうと思います。

2024年3月頃のWat That Phounです。この頃はいよいよラオスを離れて日本に戻ることが現実味を帯びてきていたので、その迫りくるタイムリミットに抗うように、たくさんの仏教寺院を散策していました。

以前に訪れたことのある寺院についても、再度行ってみると以前には気づかなかったり見逃したりしていたポイントがあるかもしれないと思って、できるだけ回るようにしていました。

私が寺院内に入ったとき、遠くからお経が聞こえてきました。時間帯は夕方で、ちょうど僧侶の方々が本堂に集まってお経を唱えていたのです。その場面を見てみたいと思い、近づいていきました。

しかし物珍しそうにその様子を見たり撮影したりすることには抵抗感はあったので、本堂に向かう階段を登れずに遠目から眺めているだけでした。すると、一人の僧侶が急ぎ足で本堂に向かう階段を上り始めたのです。小中学生くらいの年齢で、おそらく遅刻をしてしまい急いでいたのだと思います。

彼はこれから本堂に集まっている僧侶に合流することになるわけです。すると現在の本堂の集団というのは全員がそろっておらず、不完全な状態ということになります。

もし本堂の集団が既に完全な状態であるならば、そこには一分の隙もありませんが、遅刻してこれから合流しようとする彼の存在は、一種の「ゆらぎ」のようなものだと私は勝手に解釈し、その隙をついて本堂に近づいてしまおうと考えたのでした。

そうして遅刻して合流する彼を追って、本堂へ。彼は集団の最後尾に座りました。周りには同じくらいの年齢と思われる僧侶がいて、遅れてきた彼の方をキョロキョロと見ていました。

そのようなまだ完全体とはなっていない集団の様子を少しだけ撮影させていただき、すぐにその場を立ち去ったのでした。都合の良い勝手な解釈ではありましたが、多くの僧侶が唱えるお経は本堂の天井や横壁に跳ね返り、響きの広がりが感じられ、厳かな雰囲気を作り出していました。

非礼な行動であったことは反省しております。しかし同時に神秘的な世界を垣間見させていただきとても貴重な経験となりました。

それでは今日はここまで。
♪ポップ・カン・マイ(ພົບກັນໃໜ່、また会いましょう)

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