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❖正義だけで秩序は維持できないのが悲しい現実、力だけで秩序を塗り替えてしまえるのも悲しい現実❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年2月26日)

❖ The sad reality that order cannot be maintained only by justice, and the sad reality that order can be rewritten only by power ❖ (February 26, 2022)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆正義だけで秩序は維持できないのが悲しい現実、力だけで秩序を塗り替えてしまえるのも悲しい現実◆

戦後の国際法だけでなく、伝統的な国際法も崩れつつあり、国際法秩序が根底から変わりつつあることを私たちは自覚しなければならない。

We must be aware that not only postwar international law, but also traditional international law is breaking down, and the international legal order is fundamentally changing.

冷戦が終わったはずなのに、拒否権の恣意的な行使により国連安全保障理事会が実質的な決定を下せずに機能不全に陥るということは、戦後の国際法が想定していた秩序は再び暗礁に乗り上げてしまったことを意味している。また安保理が機能不全の状態において、各国の個別の経済制裁を中心とした歯止めでは、短期決戦で現状変更を進め、既成事実にしてしまおうというパワープレイに対して、余りにもお粗末であり、国際連盟の脆弱性と変わらないものになってしまう。

私は大学時代に経済制裁について研究していた。そこには、国際社会で許容されない行為に対して、強制力を及ぼしつつも、軍事的措置に頼りすぎる集団安全保障システムからの脱却を目指したいという思いがあった。そして、何とか経済制裁を集団安全保障システムの中心に据えることはできないかと、無い知恵を絞って考えた。ただ学生の分際かつ努力不足の私は、経済制裁を十分に輝かせるような考察をすることができず、考えれば考えるほどに経済制裁という手段の脆弱性ばかりが目につくようになっていた。

この問題について振り返る時、いつもケヴィン・コスナー主演の映画『パーフェクトワールド』の一場面を思い出す。映画でケヴィン・コスナーが演じる主人公で脱獄犯のブッチは、一緒に脱獄したテリーに対して「貴様の鼻をつぶすぞ」と伝える。そして「これは脅し」と話す。しかしその直後、ブッチはテリーの鼻を実際に殴るのである。するとブッチは「今のが事実だ」と話す。殴られて鼻血が出ているテリーは、「ぶっ殺してやる」と伝えるが、それに対してブッチは「それは脅しだ」と言う。

ここから分かることは、「実行に移すことができない状態の攻撃的な意思表示は『脅し』」であり、「攻撃的な意思表示とともに何かしらの行動が示されるのが『事実』」ということだろう。経済制裁そのものは性質上、非友好的なものである。しかし国際社会のパワーゲームにおいて、経済制裁はそれが表明だけでなく実際に行われた状態であっても、『脅し』の域を超えないものなのではないだろうか。これに対して、経済制裁とともに軍事的措置を発動する準備が整っていて、最終的には軍事的措置も辞さない覚悟の下で経済制裁の表明をするならば、『脅し』以上の攻撃が起こるという『事実』を相手に突きつけることになる。現在のロシアの行動を見る限り、国際社会の表明は『脅し』にしか映っていないから、足元を見られて、侵攻が続いてしまっていると言える。

もちろん軍事的措置に頼らない形で、紛争解決ができればそれが理想的である。だが悲しいかな、現実の国際社会はパワーゲームの妙によって動くものである。

ここ数日、ウクライナ情勢がメディアに取り上げられているのは当然のことである。ロシアの拒否権によって実現しないだろうが、本来ならば、今回のウクライナ侵攻は国連憲章39条で認定されるような国際社会の平和と安全を否定する行為になるはずである。

国連憲章39条では「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する。」と規定されている。この「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定」は一般に「違法性認定」と呼ばれ、この認定がなされると、国連による強制措置として41条の非軍事的措置(主なものが経済制裁)や42条の軍事的措置が発動されることになる。しかしロシアが拒否権を行使する限り、このパターンは起こり得ない。

このようなインパクトのある出来事と、先日まで熱戦が繰り広げられていた北京冬季オリンピックの影に隠れてしまっているが、ウクライナ情勢と同じくらい見過ごしてはならない出来事が中国で起こっていた。

2月25日に配信されたFNNプライムオンラインによれば、北京オリンピックの閉会式翌日に中国当局によって日本大使館職員の身柄が拘束されたということなのである。外国の警察などに身柄が拘束されるということ自体は、十分に起こり得ることなのであるが、大使館職員のような外交官という立場の者は国際法で身柄の拘束は認められていないのである。このようなルールを定めたものが「外交関係に関するウィーン条約」である。この条約の第29条では「外交官の身体は、不可侵とする。外交官は、いかなる方法によつても抑留し又は拘禁することができない。接受国は、相応な敬意をもつて外交官を待遇し、かつ、外交官の身体、自由又は尊厳に対するいかなる侵害をも防止するためすべての適当な措置を執らなければならない。」と規定されている(ただし、現行犯などでは身分の確認までの間、拘束されることはありうるが、原則として外交官は不逮捕特権を有しているのである)。

報道によれば、中国当局は「身分不相応な活動をしていたため、法に基づき調査、尋問した」と述べているが、身分が判明してもなお身柄を拘束し続けたことは、国際法違反と考えられる。しかも、外交関係に関する国際ルールの歴史は古く、国際慣習法として各国が尊重してきたものであり、19世紀にはヨーロッパ諸国の間で成文化され、1961年に「外交関係に関するウィーン条約」が国際社会全体に通用するものとして採択されている。

それにも関わらず、中国当局が外交官を拘束したことは、戦前から尊重されてきた伝統的な国際法の流れを汲む外交関係のルールがないがしろにされたことを意味している。そして、現在進行中のウクライナの問題は、戦後の国際社会が築いてきた法秩序をないがしろにしているものと言え、国際社会は新たな局面を迎えていることを自覚しなければならない。

伝統的に築き上げられてきたはずの「法の支配」、二度の大戦の悲惨さを教訓として作り出したはずの「戦争の違法化」であるが、そういった様々な法秩序が「実力行使」によって破壊され、不当な力が正義の仮面をかぶろうとしている。

The "rule of law" that should have been traditionally built up, and the "illegalization of war" that should have been created as a lesson from the misery of the two wars, but such various legal orders are destroyed by the use of force. And unjust power is about to put on the mask of justice.

しかし、私たちはパスカルの言葉を再確認すべきである。

「力なき正義は無能であり、正義なき力は圧制である。なぜならば、つねに悪人は絶えないから正義なき力は弾劾される。それゆえ正義と力を結合せねばならない。」

実力行使によって法秩序を破壊し、都合の良い現状変更を既成事実にしようとするのは「正義なき力」に他ならない。それは弾劾されなければならない。しかし正義の名の下で弾劾が行われるためには皮肉なことに力が必要であり、正義だけで弾劾はできない。しかも正義とは何か、古代から人間はずっと正義の絶対的意味を十分に見つけられないままである。それゆえ、誤った正義の名の下で、誤った形で力が行使されてきたのも事実である。

But we should reaffirm Pascal's words.

"Justice without power is incompetent, and power without justice is oppression, because the bad guys are always impeached, so the power without justice must be combined."

It is nothing but "power without justice" that tries to destroy the legal order by exercising force and make a convenient change of the status quo into an established fact. It must be impeached. However, ironically, power is required for impeachment in the name of justice, and justice alone cannot impeach. Moreover, what is justice, human beings have not been able to fully find the absolute meaning of justice since ancient times. Therefore, it is also true that power has been used in the wrong way in the name of wrong justice.

ただ、中国で起こった外交官拘束も、ロシアによる自衛という詭弁での侵攻も、「正義と力が本来目指すべき在り方で結びついてはいない」ことだけは間違いない。

私は危機感を持っているが、街で通り過ぎる人々の表情にも、テレビでのニュースの扱い方にも、どこか遠くで起こっている他人事という雰囲気が満ち溢れている。ウクライナ情勢を報じた後に、住みたい街ランキングとか人気のお店などの話題で普通に盛り上がっていることが全てを物語っているかもしれない。あのときもっと声を上げていれば良かったという最悪の状況に世界が向かわないか非常に心配である。(まあ、この投稿と並行して以前の旅行を懐かしむ記事を書いている私も大して変わらないかもしれないが、油断している平和な状態は失われるので、それを守るためにも現在の国際情勢に危機感を持つべきことは強く主張しておきたい)

(写真は、私が学生時代に経済制裁について稚拙ながら試行錯誤した断片である)

(写真は、私が学生時代に経済制裁について稚拙ながら試行錯誤した断片である)

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