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❖ビエンチャンを見てんじゃん(119)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2024年6月8日)◆あまり考えることもなく受け入れていた「当たり前」は、処変われば「全く当たり前ではない」のだと気づいたときに生まれる空虚な気持ち◆

【記事累積:2060本目、連続投稿:993日目】
<探究対象…ラオス、ビエンチャン、当たり前、カオニャオ、ラオス料理>

♪サバイディー(ສະບາຍດີ、こんにちは)

2024年3月初め、ラオスを離れるまであと2週間くらいになったとき訪れたラオス料理のお店です。勤務校の先生方と一緒に行きました。

こういったお店でも屋台でも、料理を注文すると「当たり前」のように出てくるのが「カオニャオ」という「もち米」でした。日本でよく食べていた「うるち米」を頼みたい場合には、きちんと伝えないと、「カオニャオ」が出てくるのがラオスの「当たり前」だったのです。ここ数年はタイとラオスに住んでいる時間が長かったので、「カオニャオ」を食べる機会が多く、その粘りが色々な食材とうまくマッチして非常に気に入っていました。

そんな慣れ親しんだラオスを離れ、日本に戻ってきてから2カ月半くらいが経ちました。累積すると9年間海外に住んでいた私ですが、一時帰国もけっこうしていたので、そこまで戻ってきてから日本の「当たり前」に戸惑うということはありません。

しかしお店で料理を注文したときに出てくるお米が「うるち米」だと分かったとき、「そうか、ここではカオニャオが当たり前ではないんだ」と改めて感じるわけです。ラオスやタイに住んでいて、あまり深く考えることもなく受け入れていた「当たり前」というものが、日本に戻ってきて「全然当たり前ではない」と気づいたとき、ラオスを懐かしむ思いが心の中に広がります。

そして、今自分がいる場所からだとちょっと出かける感覚ではラオスには行けないし、「当たり前」にカオニャオが出てくることはないんだなあと思うと、大きく膨らんでいた懐かしい思いの中はぽっかりと空洞になっていることにも気づかされます。そのうち、何も入っていない空洞には寂しさや悲しさが流れ込んでくるようです。それによって、せっかくの懐かしさはくすんだ色を帯びて、頭の中をグルグル回ります。

懐かしさはいつもポジティブに思える色に映るわけではないのですね。この状況を打開するためには、グーグルマップでラオス料理やタイ料理のお店を探し、積極的に「カオニャオ」とつながる必要がありそうです。ということで今日の夕食は決まりました。

それでは今日はここまで。
♪ポップ・カン・マイ(ພົບກັນໃໜ່、また会いましょう)

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