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▶無『意』味・感想〔73〕◀(2024年1月13日)
(気楽で無責任なシリーズ。純粋に何となく綴った短文の塊。ほとんど意味はない感想。)
使ったことがないのに印象に残っているお店って、なぜだかあります。
シンガポールだとジャパ中の近くのアヤラジャフードセンターの辺りのお店がその1つです。
ワッフルとかタピオカミルクティーのお店で、付近の学校の生徒が並んでいるのをよく見かけていたので、通りすがりではあったものの印象に残っています。ジャパ中の先生の中にも、ここのタピオカミルクティーが好きで買っておられた方がいました。
早稲渋時代(シンガポール第1期、2012年4月~2016年3月)はアヤラジャの存在は知っていましたが、たまに利用する程度だったので、そのときからこのお店があったのかは分かりません。
そのためこのお店の印象は、ジャパ中時代(シンガポール第2期、2017年4月~2019年3月)からのもので、その後のラオス第1期やタイ時代にシンガポールを訪れたときに、ジャパ中の近くまできたときには、何となくこのお店を撮影していました。
今回の訪問でも同じようにアヤラジャやこのお店の様子を撮影しようとしたところ無くなっていました。単なる営業時間外ではなく、看板が剝がされていて、シャッターには「FOR RENT」という紙も貼ってありました。
一度も利用したことがないのに、こうして無くなったことを知ると寂しい気持ちになるのは不思議といえば不思議です。この寂しさは一体何に対するものなのでしょうか。
利用した思い出はないわけですから「触覚的・味覚的な繋がり」とか「時間的な繋がり」とか「質的な繋がり」といったものに対してではなく、店が姿を消したことによってかつての情景が変わってしまったという「視覚的な繋がり」「空間的な繋がり」「量的な繋がり」などに対してなのでしょう。
他にもよく見てみると変わっている所はたくさんあるでしょうね。
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