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❖ギョウザはみんなを幸せにするだけでなく、平和へのヒントも与えてくれる〜Gyoza not only makes everyone happy, but also gives hints for peace.〜❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2022年3月14日)

(長さも中身もバラバラ、日々スマホメモに綴る単なる素材、支離滅裂もご容赦を)

◆ギョウザはみんなを幸せにするだけでなく、平和へのヒントも与えてくれる◆

多分、人生で初めてだったと思うが宇都宮に降り立った。以前シンガポール日本人学校中学部で同僚だった人が宇都宮に住んでいるので、日本を離れる前に久しぶりに会ってギョウザランチをしようということになった。

集合時間より少し早く到着したので、お決まりの散策をすることにした。さすがギョウザの街ということで、歩いているとギョウザのお店が多い。駅前には人気店があり、長蛇の列であった。しばらく歩いていると、宇都宮貞綱・公綱の供養塔を発見した。

宇都宮貞綱(さだつな)は元寇の際、執権の北条時宗から総大将に任命され、6万の大軍を率いたとされている。ただ、彼の軍勢が九州に到達する前に、要因は諸説あるものの、元軍(モンゴル軍)は撤退しており、戦闘に参加することはなかった。彼の子どもである宇都宮公綱(きんつな)は、鎌倉末期・建武中興・室町初期という激動の時代に翻弄された人物である。当初は鎌倉幕府側として後醍醐天皇側の楠木正成などと戦うが、後に後醍醐天皇側に転身し、建武中興では訴訟機関の雑訴決断所の奉行を務めることになる。しかし後醍醐天皇に対して足利尊氏が反旗を翻した際、足利尊氏側に一度は降伏するものの、その後、再び天皇側について戦うというかなり壮絶な人生である。このように何度も主君を変えているにもかかわらず、その変わり身に対するネガティブな評価は少なく、むしろ武勇に秀でた人物としてポジティブな評価を受けている。

それは目先の利益や自己保身を優先して主君を変えたのではなく、激動の時代の中で真剣に戦おうとする生き様を見せた結果であったと、周囲から理解されていたからではないだろうか。

「(正義とは)ひとつではないのです。この世の中にはいくつもの正義があるのですよ。正義と正義がぶつかりあって血を流すこともあるのです。」
"There is more than one (justice). There are many justices in the world. Justice and justice can collide and shed blood."

これはジョージ秋山の漫画『ザ・ムーン』のセリフである。正義というものは、絶対的・普遍的なものとして語られることが多い。しかし、対立している両者は自分こそが正義であると自覚して行動を起こし、それが激しい戦いにエスカレートしていくのが多いことを歴史は証明している。特定のルールの枠組みで考えると、一方が正義で他方が悪という評価ができるものの、対立する両者が同じ枠組みの中にいなければ、お互いが自分の正義を信じて行動していることもありうる。それゆえ、引くに引けない状態によって対立が長期化することもある。

宇都宮公綱が生きた激動の時代もそうであるし、その後に起こる応仁の乱もそうであろう。

現在のウクライナ情勢については、戦後の国際社会が作り上げた「戦争の違法化」という枠組みをストレートに適用すれば、ロシアのよる武力侵攻は正義にはならない。それは国連憲章の2条4項で規定されている。
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」
All Members shall refrain in their international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any state, or in any other manner inconsistent with the Purposes of the United Nations.

しかし、同じ国連憲章の51条には「自衛権」が規定されている。
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」
Nothing in the present Charter shall impair the inherent right of individual or collective self-defence if an armed attack occurs against a Member of the United Nations, until the Security Council has taken measures necessary to maintain international peace and security. Measures taken by Members in the exercise of this right of self-defence shall be immediately reported to the Security Council and shall not in any way affect the authority and responsibility of the Security Council under the present Charter to take at any time such action as it deems necessary in order to maintain or restore international peace and security.

ロシアは今回の侵攻をこの自衛権に当てはまるものと解釈しているとすれば、枠組みの上ではロシアにはロシアなりの正義があるという可能性も出てきてしまう。もちろん、都合のよい解釈によって、本来の意味を捻じ曲げてしまっていれば、それは詭弁でしかない。特に自衛権という概念はロシアに限らず、アメリカなども先制自衛という形で都合よく利用されてきてしまったのも事実である。誤解してほしくないのは、私は今回のロシアの侵攻に正当性があることを強調したいわけではないということである。しかし、解釈によって都合よく利用され、枠組みから逸脱しているから即座に悪だと言えない曖昧な規定を、枠組み自体が併せ持ってしまっていて、それが両者それぞれの正義の主張を可能にさせてしまっているという点を見過ごしてはならないということである。
If Russia interprets this invasion as applicable to this right of self-defense, it is possible that Russia has justice in its own way within the framework. Of course, if a convenient interpretation twists the original meaning, it is just a sophistry. In particular, the concept of the right to self-defense is not limited to Russia, but it is also a fact that the United States and other countries have been conveniently used in the form of preemptive self-defense. Don't get me wrong, I don't want to emphasize the legitimacy of this Russian invasion. However, the framework itself has ambiguous provisions that are conveniently used by interpretation and cannot be immediately said to be evil because they deviate from the framework, which makes it possible for both parties to claim justice. The point that it is closed should not be overlooked.

そして私見としては、今回ロシアには武力侵攻という選択肢しか残されていなかったというのは苦しい弁明だと思っている。だから、即時の撤兵が必要であると考えている。ただ、撤兵すれば全てが解決ではなく、ロシアに何らかの言い分があるともいえるので、それらを含めて未来に向けての話し合いをしなければ、問題の根本的な解決にはならないのである。
And in my opinion, it is a painful excuse that Russia had only the option of armed invasion this time. Therefore, I think that immediate withdrawal is necessary. However, withdrawing troops is not a solution, and it can be said that Russia has some arguments, so unless we discuss the future, including those, it will not be a fundamental solution to the problem.

ウクライナの正義、EUの正義、NATOの正義、国際社会の正義、周辺国の正義、そしてロシアが正義だと思っている正義など、正義は単純に一つではなく、たくさんの正義が並存している。
Justice in Ukraine, justice in the EU, justice in NATO, justice in the international community, justice in neighboring countries, and justice that Russia considers to be justice are not just one, but many justices coexist.

このような問題を今後解決していくためには、一方の正義だけに固執せず、しかし世の中全体を俯瞰して捉えながら真剣に誠実に生きた宇都宮公綱のような姿勢が必要だと思う。そして公綱ゆかりの地である宇都宮の名物ギョウザの世界観も必要だと私は考える。
In order to solve such problems in the future, I think it is necessary to have an attitude like Kintsuna Utsunomiya, who lived seriously and sincerely while taking a bird's-eye view of the world as a whole, without sticking to justice. And I think that the world view of Utsunomiya's famous Gyoza, which is a place related to the public rope, is also necessary.

ギョウザは豚のひき肉、ニラ、キャベツなど様々な具材が使われる。最近では、その具材も、チーズ、しそ、味噌、エビ、トマト、パクチー、キムチなどバリエーショが多様である。そしてギョウザはこうあるべきという固定的なイメージだけを正義にしてしまうと、他のギョウザは悪となってしまう。しかしギョウザは寛容である。それら様々な具材それぞれに異なる正義があることを理解し、それを皮で包んでまとめていく。

異なる価値観の対立を解決に導くためには、そのような価値観を一つの場所に集めて運命共同体のように捉えることが大切である。ギョウザは様々な個性をまとめた運命共同体であり、ギョウザは人々を笑顔にしてくれる。
In order to resolve conflicts of different values, it is important to collect such values in one place and think of them as a fateful community. Gyoza is a fateful community that brings together various personalities, and Gyoza makes people smile.

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