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ラブレター

季節の寒さに目を覚ます。
あまりの寒さに時折、頭が重たく鈍く感じてしまうこともある。
昔から眠りが浅いせいもあって、朝起きる時はいつもポンピングブレーキみたいに「本起き」までの間「仮起き」を何回か繰り返す。

あぁ、起きて来たなぁ。

丸まって目を閉じる布団の中でそう感じると、いよいよ起きようという気分になって来る。
せっかくそんな気分になっている時に限って、スマホのスヌーズセットされたアラームが鳴り出したりする。

いやいや、今起きようと思っていた所だから。

そんな風に心の中で機械に毒づいて身体を起こす。
起きようと思っていた所に声が掛かると苛立つように、機械に対しても同じような反応を見せてしまう自分が少し気恥ずかしくなる。

一瞬だけ窓を開けて外の空気を確かめるのが日課で、先日雪が降り出す前の朝は暖かく湿った匂いがした。
何となく冬が溶け出しているような空気を感じると、窓を閉めて顔を洗う。
朝食の準備をしながら冷蔵庫にあるアイスコーヒーをコップに入れ、ニュースを見ながら米やうどんを食べる。

なんとも地味な朝が過ぎて行く間に、今日はどんなことを伝えようかとぼんやりと考え始める。

書くことが好きで、それは小説やエッセイに限ったことではない。
その中でも公にしない文があって、それは日々の日課となっている。
その文を書くことで、僕はありふれた新しい一日を始めることが出来る。

大切な人へ贈る言葉を、日々紡いでいる。
文が長い時なんかはスクロールしなければ読み切れない文字数に達することもある。

日々同じような毎日が繰り返されているように見えても、昨日と今日では少しずつ世界が違っている。
大切な人へ想いを伝える手段は文字だけではない。声もその一つで、毎晩寝る前に1〜2時間ほど話をする。
会話が尽きることはないし、夜になると自然と声が聞きたくなる。

初めて会ったその日から、すぐに忘れてしまうような話を山のように重ねたいと思った。
その話はまるで軽やかな羽毛のようで、幾ら重ねても決して崩れることはなく、日々静かに積み上がって行く。
その山に腕を伸ばし、思い起こして指先で摘んでみると、それが一つの羽根であることに気が付く。
形を持って、伝えて積み上がっている。

そんな当たり前のことに嬉しくなり、そっと山の中へ羽根を戻す。
戻した場所にある他の羽根が風圧でふわりと揺れ、静かに舞うたびに会話は再び重ねられて行く。
何処まで積み上がるだろうかと楽しみにしながら山を見上げ、日々を過ごしている。

かつて、こんな言葉で別れた友人がいた。

「じゃあ、また」
「あ、来週どうする?」
「あぁ、また連絡するわ」

その友人に「また」はやって来なかった。
部屋を出て行ったわずか三日後の夜、不慮の事故に遭いこの世を去った。
まだまだ伝えたいこと、話したいこと、やらなければならないこと、そして二人で目指していた夢があった。

歳を重ねれば重ねるだけ、人は無自覚のうちに臆病になる。
それは痛みを知っているからだ。

友人がこの世界を去った翌る日から夢を見る目は霞み、ピントも合わずにボケ出した。
そして、生きている間に何処に落としたのか分からないままポケットからは友人の意思を継いだ夢が無くなっていた。

取り戻すにはあまりにも歩き過ぎたし、何処をどう歩いて来たのかも覚えてやしなかった。
時間がないからな。
そう言い訳をして、ボケたままの目で歩き続けた。

もう何も見なくて良いのかもしれない。
そう思っていた矢先、硬くなっていた心と言葉が動くような出来事が起こった。
本当に突然だったので、逃げ出したくもなった。

けれど、今は違う。
普段は物騒な物を書いている身分で言う台詞ではないかもしれないが、何気ない瞬間を共に喜べる大切な人がいて、とても幸福な毎日を送っている。

想いを毎日毎朝伝えるのも、もう二度と後悔したくないからというのと、単純に伝えたいからというものの二つがある。
何があっても、この人にだけは伝えたいという人がいる。
だから、今日も明日も文を書き続けることが出来るのだと感じることが出来る。

日々、感謝を抱きながら、また、言葉にしながら生きている。
一対のような、まるで同じ生き物だと思う瞬間もある。
それを思うと少しおかしくなって、また伝えたくなる。
きっと、同じように少し笑うだろうと思えて、嬉しくなる。

朝、季節の寒さに目を覚ます。
あまりの寒さに時折、頭が重たく鈍く感じてしまうこともある。
そう感じながらも頭の片隅で、今日も生きていると実感をする。
大切な人へ言葉を伝えることが出来ると、嬉しくなる自分もいる。

今朝は本当にわずかだが、遠くの春が顔を見せたような、柔らかな陽の朝だった。

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