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【小説】 平穏な爆弾 

 先ほど、爆発物を仕掛けた。
 それも駅前ロータリーのタクシー乗り場の脇に堂々と、誰の目にも分かる形で仕掛けてみた。
 爆弾の形は黒い鉄の球に導火線がついた、昔からよく漫画などで見る所謂『爆弾』という姿で、箱もなしにそれを剥き出しのまま置いてみた。

 直径五十センチ、重さは百キロを超えており、ここまで運ぶのに一人では無理だった。その為、インターネット掲示板を使い、アルバイトを雇った。
 やって来たのは全身を日焼けした爽やかな大学生風の男だったが、聞いてみると最近までホストをしていたという。
 運び出す爆弾が眠る我が家へ駅から連れて行く車内で、彼はこちらが聞いてもいないことを隙間なく話し続けていた。沈黙が怖いのだろうが、それにしても煩い小僧だと内心辟易としていた。

「オレ、売り掛け回収できなくてトンじゃったんすよ。だから、ぶっちゃけマズイんすよね。オモテの仕事やるしかねぇかーって感じだったんですけど、バレる確率高くなりそうじゃないっすかぁ?」
「そうなんだ」
「だから今回のバイト、マジありがたいんすよ。だって物を運ぶのを手伝うだけで五万円とか超ラッキーじゃないですか? ていうか、運ぶのって……ヤバイもんっすか?」
「ヤバくないよ、別に」
「えー? じゃあ何で高額なんすか?」

 面倒臭い。若い人間と話すのが、私は常々億劫だと感じてしまう。
 人目を気にした優しさを意識すれば、愛想笑いのひとつでもしてやる気分にもなるが、こんな風に人目もなく二人きりの場合には若者の発言に微塵も興味が持てず、自分の心が全く死んでいるのを感じる。
 私は年下の男の話す言葉で、生涯一度たりとも笑ったことがなかった。
 理由は単純で、面白くないからだ。それに、私の心根にある自身でさえも覆せない無意識が、万遍なく「年下」という生き物を遥か下に見ているのであった。
 翳ることさえ知らぬ光を纏った生に嫉妬しているだけだろうと言われたなら、その通りなのかもしれない。だが、嫌うほどに興味を持てないのもまた事実なのだ。何かしらの、頭の病気なのだと思う。
 ネットのやり取りで彼は名前を「ユウガ」と名乗っていた。しかしそれも偽名らしく、わざわざ私にそれを口にした。

「ていうか、石田さんって本当の名前はマジで石田さんですか?」
「そうだよ」
「マージーかー。オレ、ゆうがって言ってますけど本当はアキラって言います。マジ、すいませんでした!」
「あぁ、そう」
「苗字はちょっとヤバイ立場なんで言えないんすけど、アキラって芸人でもいるじゃないっすか? ホス先にしょっちゅう「ちんこ盆で隠せよ」って絡まれてて、オレ、マジで習得しましたからね!? ヤバくないっすか!?」
「そうだね」
「ヤバイっすよね? ていうか石田さん、テンション上げません? マジで、最近激ハマり沼ってるアイドルいるんすよ。曲めっちゃいいんで、ちょっと流しますね。マジ元気になるんで」
「着いたよ」

 あまりの煩さについ撲殺してしまうのではないかと、私は彼と二人きりの空間で自分の苛立ちに対し危惧していた。
 せめて黙っていてくれたらと思ったのだが、さっさと降りる様子もなくスマホを弄りながら彼は一人でくっちゃべっている。
 彼もまた、病気なのだろう。この世界は確かに病人で溢れ返っているが、病名を付ければ誰だって病気持ちになる。
 駅までの道のりでまた彼と二人きりになることを想うと心が草臥れそうになったが、玄関を開けた途端に彼は目を丸くして爆弾を指さした。

「あの……これって、バクダンっすか?」
「そうだよ」
「え、マジっすか?」
「アート作品だよ」
「え?」
「行政から頼まれて、こういうのを作ってるんだよ。だから金払いも良い代わりに、やたらな人間には頼めないんだよ」
「なんでっすか?」
「タカられるから」
「あぁ……なんか、分かるっす。ショボいホストもナンバーついた途端にモテる奴とか、いるんすよ」
「そう。じゃあ、運ぶの手伝ってもらえる?」
「うっす。頑張ります」

 彼の働きぶりは従順だった。私が指示した通りに爆弾を台車に乗せ、車まで丁寧に運んでくれた。細身で力のない若者だとばかり思い込んでいたが、高校時代はラグビー部に所属していたのだと言う。
 駅へ向かう道中で、彼の口についた機関銃は再び火を噴き始める。

「マジ先輩に恵まれないんすよ、オレ。ラグビー部でも先輩にめっちゃシゴかれまくってて、ホストでもイジられまくっててぇ。なんなんスカね? オレ、そんなイジられキャラっすかね?」
「分からないね」
「えー? 分かるくないっすか?」
「は?」
「これだけ一緒にいたら分かるくないっすか?」
「ワカルク、ない? それは、何語?」
「日本語っすよ! マジ、ちょっと勘弁して下さいよ! 石田さんマジ草生えるんすけど!」

 破綻に気付かない者は真の幸せ者だと、いつか何かで読んだ気がした。
 それは彼のことなんだろうと思いながらハンドルを切ると、トランクの中で爆弾が転がるのが伝わって来た。
 内心ヒヤっとしたが、助手席に座る彼はもう別の話題を噴き始めている。

「オレ、アートとかって全然わかんないっすよ。引っ越しセンターでしょ? くらいの常識しかないっすけどぉ、絵とか進歩超すごくないっすか? AIマジ最強っしょ」
「そういうのは、あまり見ないな」
「見た方がいいっすよ! ホラ、ここに「巨乳、女の子」って入力すると秒で描いてくれるんすよ。お、出た。ほら、凄くないっすか?」

 ちょうど信号待ちをしている最中で、彼はAIが生成した女の絵を私に向けて見せて来たが、私は信号機から目を逸らさなかった。
 会話の意図をまったく理解していない彼に伝えようか迷ったが、エネルギーが要りそうだ。しかし、私は穴を塞がない限り齟齬の水が次々に溢れると思い、仕方なく伝えた。 

「あまり見ないというのは、スマホで見ないという意味ではないよ」
「え? 意味わかんないっす。ほら、めっちゃ可愛くないっすか?」
「そうじゃなくて、街中やテレビで観ないという意味で言ったんだ。技術は進歩するべきだと思うが、それほど普及していない事実を皮肉のつもりで言ったんだ」
「皮肉っすか? 石田さんチョーいい人っすけど」
「あ、そう」

 もう、どうでも良くなってしまった。口を利いてやった私はむざむざと馬鹿を見た。うんざりし切った私は駅への道を急ぎながら、彼の言うことは徹底的に無視することにした。
 ロータリーに車を停めて、台車を下ろして彼と爆弾をタクシー乗り場の脇へ運んだ。
 通路は避けて壁際に爆弾をゆっくりと置き、私はそれを少し離れた所から眺めてみると、心が自然と解れて行くのを感じ取った。
 若者の与太話に付き合っても一円の満足も得られないが、爆弾を置いてみると言葉にせずとも喜びが心の奥底から湧き上がるのを止められそうになかった。

「じゃあ、もう君は帰ってもらっていいから」
「うっす。あざっした」

 五万円を受け取った彼は実にあっさりしたものだった。ポケットに剥き出しのまま金をしまうと、すぐに背を向けて駅へと歩き出した。最初からそのようにしていてくれたら、私が幾らかラクだったろうに。
 爆弾をどのように爆発させようか考え始めた矢先、駅の入口から男の怒号の塊が聞こえて来て、私はふいに目を奪われた。
 彼は黒いスーツ姿の男達に囲まれ、肩を掴まれたり小突かれたりしていた。泣き出しそうな顔で首を震わせている彼が一瞬こちらを向いたが、私は目が合う寸前で視線を逸らした。
 冗談じゃない。
 彼はそのままロータリーから一本入った飲み屋街に停められたバンの中へ押し込まれ、ようやく私の前から姿を消してくれた。

 私は彼らが去った辺りに移動し、爆弾を眺めている。
 通りを歩く人らが時々爆弾に目をやったり、「本物?」と囁きながら写真を撮ったりしている。
 しかし、あまりにも爆弾らしい形をした爆弾というものは「危険物」として認識はされないようで、漫画やアニメの世界を模したオブジェと認識されるようであった。 
 保育園の散歩の保育士や子供達が爆弾の前で立ち止り、指をさし、笑い声をあげている。はしゃぎながら爆弾を叩く小さな手も、幾つかある。あれは紛れもない爆弾なのに、私が気まぐれを起したら木端微塵になるというのに、牧歌的な風景が目の前に広がっている。
 導火線はおまけで付けたものの、起爆装置は中に埋め込まれている。私のコートの内ポケットに、リモコンが今は納まっている。
 生殺与奪権があるから、私は自由で長閑な気持ちで爆弾を囲む園児達を眺めている訳ではない。
 爆弾という生とはまるで真逆の存在に、生まれて間もない無垢やそれを保護する立場の大人達が笑顔でいることがただただ美しく、揺るぎない平穏だと感じ、心を震わせているのだ。
 その感情に死は最早忘却の果てへと追いやられ、ここに在るのは無よりも尊く静かな平穏なのだと、実感せざるを得ないのだ。

 しかし、人間というのは実に不便で便利に出来ているもので、爆弾のもたらす光景に早くも私は飽きてしまった。
 それどころか爆弾に対して何ら警戒感を持たない人間達を見ているうちに怒りや苛立ちさえ覚え、ロータリーを挟んだ向かいに建つ交番の警察官は爆弾の存在に気付きもしなければ、そこへ駆け込む人間もいなかった。
 あれは本物の爆弾なのだ。人にひけらかす為のオブジェや、誰かの通り道を明るくする馬鹿げた無駄な造形物でもないのだ。

「なんでわからないんだ!」

 心が激昂した私はつい、そんなことを大声で叫んでしまった。
 するとすぐに爆弾よりも私の方へ周りの注意が向いてしまい、気まずい思いに支配されて行きそうになった。

「馬鹿! 俺がわからない者共の、全員馬鹿め!」

 私は気違いのフリに徹することにした。すると不思議と私を縛り付けようとしていた周囲の視線は紐解かれて行った。
 関わらない方が良いという文化が、私を救ってくれた。
 その後も爆弾を眺めていた。一時間、二時間、三時間。 
 辺りが夕暮れに染まった頃、駅から下りて行く人たちが増える時間になっていた。通り過ぎて行く声の中に

「あー。爆弾まだあるよ」

 という嘲笑めいた声が聞こえて来た。
 長い時間を掛けて制作したあの球体は、ほんの束の間の平穏をもたらしただけで、結局はすぐに人に見下されてしまうような代物だったのだ。
 そう感じると、私は虚しくなった。非道く虚しくなり、爆弾が可哀想に思えて来た。もういい、家に帰ろう。
 爆弾は一人では運べない。そう思い、私は彼に電話を掛けてみることにした。あんなに心から煩いと思った彼でさえ、私は恥ずかしげもなく心から恋しくなっていた。
 きっと二つ返事で引き受けてくれるだろうと思ったが、電話をしてみると彼ではない口調の荒い人物が電話に出て、私は疲弊した。

「テメェ誰だよ!?」
「いや、この電話の持ち主に頼みごとがあったんだが」
「あーそうですか、回収ならすいませんけどねぇ、うちが優先でやらせてもらってっから! 邪魔したらぶっ殺すかんな!」
「いや、そうではなくて」

 電話は切られ、もう一度掛け直したものの繋がることはなかった。
 疲れた。もう、疲れ果てた。 
 爆弾を持ち帰るのが面倒だとか、どうこうではなく、理由はないけれど疲れ果てた。
 私はゆっくりとした足取りで爆弾へ向かうと、その上に腰掛け、項垂れた。

「それ、本物ですか?」
「爆弾撮りたいんで、どいてもらっていいですか?」
「その爆弾っておっさんが作ったの?」

 そんなことを話し掛けられたが、全て無視した。
 私が追い求め、それが幸福だと思うものはおおよそこの世界の人間達にとっては無用で、価値もなく、場合によっては嘲笑の対象にさえなるような、そんなものだったのだ……。それは、この爆弾もそうで、私はそんな存在が一体何であるのか、名前を知っていた。ただ、その名前を呼ぶことで、全てが崩れてしまう気もした。
 あの彼も、きっとそう呼ばれていたのだろう。
 私にとっては最終的に恋しくなった存在なのに、多くの人間にとってはその名で呼ばれる存在に過ぎないのだ。
 彼や私のような人間が持つ夢も、希望も、光も、喜びも、感動も、人々はいつも遠目から冷笑しつつ、このような名前で呼ぶのだ。

「ゴミだ」

 私はすっかり冷え切った爆弾に腰を下ろしたまま、コートの内ポケットに手を伸ばしてリモコンを取り出した。私も、私の感じる幸福も、すべてはゴミなのだ。口に出してしまった瞬間から心はもう、崩れ始めていた。
 酒が入っているのが判る若い男女の声が、通り様に威勢よくこちらへ投げられた。

「あっ、爆弾じゃん!」

 目はこちらへ向いたまま、五六人の足取りは進んで行く。ケラケラと、乾き切った笑い声を立てる。その声は確実に、爆弾を通して私に向けられているものだと判る。
 私は僅かに顔を上げ、口の中だけで呟いた。

「そうだよ」

 それからすぐに、リモコンのボタンを力なく押し込んだ。

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