見出し画像

今日のできごと

救われる。
掬われる。

起き抜けに同音異義語のこのふたつの言葉がふと頭に浮かび、トイレへ向かう。

腹と相談した結果、うどんが一玉余っていたことを思いながら、今朝の食事はうどんにしようと決めて朝の滝行(小水)を終え、お湯を入れた鍋に火を点ける。

今朝はかなり冷え込んでいた。
自分の皮膚感覚が狂ったのかと思えるほどの寒さに身を震わせながら、テレビを点けてお湯が煮るのを待つ。
今朝のニュースは大概が地震、台湾、松本だった。

珈琲を淹れておこうと思い、中挽の粉を五杯分フィルタにのせ、コーヒーメーカーにペットボトルの水を入れる。

ペットボトルのガワは天然水だが、中身はただの水道水だ。
どうせ珈琲にする上、冬でも氷をぶっこんでアイスにしてしまうから、それで良い。
熱い物で簡単に口の中の皮が剥がれてしまうほどの猫舌なので、ホットコーヒーが得意ではないのだ。

どうでもいいことだが、アフリカの小さな国では空のペットボトルが重宝されるらしい。
耐久性に優れ、何度でも繰り返し使えて持ち運ぶのが楽だとかで、それを言い訳にして同じペットボトルに水を注いで何度も洗って繰り返しては使っている。
SDGsに貢献している!と胸を張りつつ、内心その取組と自身の体たらくに鼻で笑う。

実は本物の天然水を使ってみたところで、アイスコーヒーの味の違いが分かるほどの舌を持ち合わせてはいない。
マンジャロだのブラジリンだのなんだの、スキッと苦ければそれで良い。
様々な珈琲粉はあるものの、カインズホームのレギュラー粉が実は中々侮れないから、お勧めする。

そんなことをぼんやり考えているうちに、日頃人工甘味料の味と自然の甘さの違いがやたら気になることをふと思い出す。
それが身体に悪いだとか、良いだとか、そんなことは無関係でどうもあの喉に引っ掛かる甘味を身体が受け付けない。
騙し切ってくれる秀逸なものもあるが、ほんの一部に過ぎない。

飲料を口に含んで違和感に気付いた時など、飲まずにボトルやパック丸ごと捨ててしまうこともある。
こうなると、さきほどのSDGsが水の泡になる。

人工甘味料は気にするというのに、煙草は吸い続けている。
それも、一度電子加熱式の「タバコ」に変えて数年を経た後、改めて紙巻の煙草に戻したクチなのだ。

噛みタバコの類も試したが、あれは唾液に混じったニコチンを摂取するという点で気持ちが悪く、喉への刺激も中々に強かったので乗り換え先にはまるでならなかった。

なんで煙草をやめられないのだろう、と考えながら吸う煙草ほど無駄なものはないので、吸いたいから吸う、という極あたり前のことを念頭に煙を吸っては吐き出し、上手いとも不味いとも思わず、その時間を喫して束の間の満足を得る。

ちょうど吸い終わる頃合で鍋が煮立つ音がぐらぐらと聞こえて来て、煙草を潰して立ち上がる。

さて、今朝のうどんは揚げ玉でも入れて食べようか、それともワカメとネギのみ入れたシンプルなものにしようか。
寸前まで腹と馬鹿舌と話し合いながら冷蔵庫を開けてみて、絶句する。

うどんがそもそも、残っていなかったのだ。

なので、仕方なく頭を切り替え、僅かに残った冷飯を粥にして食べた。
当たり前に在ると思い込んでいた一玉のうどんに足元を掬われたのである。

夕方は、古本をメインに扱う書店へ出向いた。
求めていた本よりも、ずっと面白そうな本を見つけてしまい、買って帰って来た。

そんな一日が、もうすぐ終わる。

なお、本屋の帰りがけにうどん玉を買って帰ったから、明日の朝は少なくとも安心できると今は思っている。
飯を炊いていないが、起き抜けに粥を食べようと思わないことを祈りながら寝る。

サポート頂けると書く力がもっと湧きます! 頂いたサポート代金は資料の購入、読み物の購入に使わせて頂きます。