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【小説】 将来のぼく 【ショートショート】

 将来のことを考えながら歩いていると、知らない場所へ辿り着いていた。
 電車を乗り継いで東京へ出て、面接を二社受けた帰り道だった。
 どちらの会社も手応えなんかまるでなくて、散々なものだった。特に二社目の面接官が最悪だった。
 僕が頭を下げて渡した履歴書を開くこともなく、ぶくぶくに肥えた顎を触りながら、目が合うなり突然噴き出してこう言ったのだ。

「ぷっ。いかにも「田舎かっぺ学生」って感じのツラぁしてんなぁ」

 面接官とは言ったものの、そのデブは会社の社長だった。社長直々に面接をしてくれるというので面接を受けたけれど、面接時間の大半は「毎日のように銀座で飲み歩いてる」「麻布のパーティーに今夜は行く」「暇だから最近はロレックスのコレクションを始めた」などなど……デブの自慢話しで終わってしまった。

 あんな会社に就職するなんてこっちから願い下げだ。でも、僕の本音としては自分が一体何をしたいのか分からないのが本当のところだった。
 営業はなんだか嫌だし、専門職のように何かに特化したスキルもないし、そもそも「これがしたい」と言ったものが自分の中をいくら探りに探ってみても、何ひとつ見つからなかった。
 家でごろごろして、漫画を見たりアニメを見たりするだけで何もせずお金がもらえる仕事があれば。または、何もしなくても生きていける方法があればなぁ……そんなことを考えながら歩いていたら、地元の駅で降りたはずなのにまるで見覚えのない街に僕はいたのだった。

 アーケードのない商店街っぽい通りに出たのだけれど、お店はほとんどシャッターが下りていて、活気もなく恐ろしいほど寂れていた。通りを歩いているのは手押し車を押し歩くおじいちゃんが一人。そのおじいちゃんもひどく咳き込みながら歩いていて、今にも死にそうな感じだ。
 あまりにも咳き込んでその場に立ち止まってしまったので、心配になって駆け寄り、声を掛けてみた。

「咳、大丈夫ですか?」
「あぁ……すまないね……もう、長くないんだ」
「あっ……それは、そうでしたか……」

 心配になって声を掛けてみたけれど、ずいぶんとプライバシーなことを聞いてしまった。けれど「もう長くない」と言われても、そうですかとしか言えないし、もうすぐ死ぬんだからもうすぐ死ぬんだなぁという感想以外、何も思い浮かばなかった。だって、どう見てももうすぐ死ぬんだろうなって感じなんだから。

 背中に手を当ててなんとなく擦ってみると、灰色のジャンパーからナフタリンと線香の混じったような臭いがした。
 年寄りの匂いがするなぁと思いながら背中を擦っていると、おじいちゃんに手を掴まれた。
 やめろ、ということかと思ったけれど、どうやら違うみたいだ。

「ありがとう……本当に」
「いえいえ。落ち着きましたか?」
「ええ。やっと」
「それなら、良かったです」
「まぁ……先は、長くないんでね。あなたがね」
「え?」

 瞬きをして目を開けると、目の前に僕の顔があった。
 僕の目に映っている僕は手のひらを眺めてから、とても嬉しそうに声をあげた。

「やったぁ!」

 僕はそのまま走り出し行き、商店街の果てへと消えてしまった。
 さて、あれはどういうことだろう? そう思って自分の手を見てみると、皺とシミだらけの枯れ木のような手のひらが目の前に現れた。
 驚きのあまり声が自然に出そうになったけれど、声よりも先に咳が出てしまう。内臓を突き上げ、肋骨が皮膚を突き破るんじゃないかと思うほど、酷くて重い咳だった。

 僕は「もう長くはない」という、あのおじいさんになっていた。
 心の奥底から怒りが湧いて来そうなものだけれど、不思議と怒ることはなかった。それは老人だから、怒る気力もエネルギーもないのだと分かった瞬間に恐ろしくなった。

 このままでは人のいない寂れた商店街で野垂れ死んでしまうと思い、僕は手押し車を頼りに少しずつ歩き出した。
 二、三歩進むだけで肺が重たく苦しくなり、いくら我慢しても咳がしたくなって立ち止まってしまう。そのたびに咳がこぼれ、身体中が痛くて堪らなくなり、咳が収まると身体に異常なほどの疲れを感じてしまう。

 あのおじいさんに支配されてしまった僕の身体を取り返すのは無理だろう。だけど、とにかくこの商店街を抜けださなければならない。
 地元にこんな場所があったなんてまるで知らなかったけれど、歩いているうちに知っている景色に出くわすかもしれない。

 こんな身体になってしまったけれど、お母さんとお父さんは僕のことを信じてくれるだろうか。
 家族でしか分からないことを話せば少なくとも嘘ではない証明になるだろうか。
 そんなことを考えながら歩きながら、僕はなんとか商店街の出口らしき場所まで歩いて来ることが出来た。出口はT字路になっていて、やはりどのお店も赤錆の浮かんだシャッターが下りていた。
 T字路を左に曲がって歩くと、道はすぐに左に折れるようになっている。
 僕は道なりに進んで左へ曲がってみると、心底驚いてしまった。

 左に曲がった先が、商店街の入り口になっていたのだ。
 遥か遠くの方に、さきほどのT字路がうっすらと見えている。
 あのT時字路を右に曲がれば何かが変わるのかもしれない。
 少なくとも、元の街に出れるかもしれない。そう思ったけれど、もう何もかもどうでも良いような気分になっていた。

 だって、もう先が長くないし、身体全体でそれを実感しているからだ。
 焦りは不思議と生まれず、将来のことをこれでもう考えなくて済むと思うとかえって気が紛れた。
 商店街には僕以外の姿はどこにもなく、誰ひとり居ないようだった。

 咳き込みながら歩き始めて一体、何時間が経っただろう。
 結局、右に折れても道はその先で右に折れる造りになっていて、曲がった先は商店街の入り口だった。

 僕はこの場所から抜け出せずに、ただ咳を繰り返して歩き回っている。
 腹も減らないし、喉も乾かない。
 これ以上何かを期待しても無駄なことは分かったし、何も考えず、今は咳き込みながら商店街をひたすらうろうろして回っているだけだ。

 将来のことを考える必要はもうなくなったけれど、そろそろ自我が保てなくなりそうだと感じている。
 この世界から抜け出したくて自殺してみたけれど、目が覚めたらまた同じこの商店街に僕はいた。しかも、死にかけたおじいさんの姿のままだった。

 あのおじいさんが言った「もう長くない」という言葉の意味を、僕は知ってしまった。 
 この場所には夜も朝もなく、一日という単位すら存在しない。それに、暑くも寒くもないし、腹が減ることも喉が渇くことも、眠気に襲われることすらない。

 ずっとずっと前に思っていたことが叶ったのだと知って、僕はさらに自分がもう長くはないことを悟った。
 今は一歩、また一歩と進むたびに、僕の中から僕が消えて行くのを感じている。
 もうすぐ、僕という存在が僕を認識しなくなりそうだ。
 向かいから誰かがやって来る。まだ、ずいぶんと若そうな青年だ。

 あの彼は、僕を認識してくれるだろうか?
 思い切って声を掛けてみようと息を吸うと、激しく咳が出てしまい、止まらなくなった。
 駆け寄って来る彼の姿が、だんだんと近付いて来る。なんて、ありがたいんだろう。

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