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【掌編小説】 みんないいこ 【瞬間読書】

 ただでさえディスカウントで有名な駅前のスーパーだったが、夕方のタイムセール時に店に入ると店内は鬼の形相を浮かべる客達でごった返していた。
 しまった。入る時間を間違えた。そう後悔しながら、多くはない買い物を済ませる為にカゴを手に取った。

 精肉コーナーの前ではケースを覗き込む頭が交互に入れ替わり立ち替わり、その中に入り込むのは至難の技のようにも思え、敢えて他のコーナーから回ることにした。

 結局、酒とほうれん草、鶏肉とレトルトカレーをカゴに入れただけなのに十分近くも掛かってしまった。

 レジに並ぶ客も店員も皆、何処か皆殺気立っているように見える。
 棘のある声で恐らく子供に電話を掛けている主婦に、舌打ちを漏らしながらカゴを床に置く老人男性。
 この土地自体、あまり治安の良い場所ではないから客層もそれなりなのは仕方が無かった。
 
 私の前に並んで居たのは左足の悪そうな細い身体の老婆で、あちらこちらがほつれた灰色のセーターを着ている。
 レジにカゴを乗せるのも一苦労、といった様子であったが、レジを担当するまだ若い男の店員は手伝う訳でもなく、まるでゴミでも見るような目で遅い老婆の動きをジッと眺めている。

 あれが自分の母親だったら、そう思うと胸が痛くなった。老婆に身寄りはないのだろうか。

 会計が始まるとすぐに、老婆は泣きそうな声で言う。

「あの、幾らになりますか? 二千円なら、あります」
「会計してるんでまだ分かりません」
「あー、あっ、そうですか、すいません、すいません」

 千円札を二枚、実に大切そうに握りしめながら老婆はレジの男に二度、頭を下げた。
 ふと周りを見ると、並んでいた誰もが無意識のうちになのだろうか、その遣り取りを眺めている。
 そして、その顔はどれも嫌悪の色を隠さず、中には眉間に皺を寄せている者の姿も見てとれた。

 みすぼらしい老婆を嫌悪しているのか、冷淡なレジの男性を嫌悪しているのか、分からなかった。

 会計は客が精算機で支払うシステムになっていて、老婆は私の会計が済んでもまだ支払いが出来ずにいるようだった。

 パネルの「現金」を押さなければ現金の投入口が開かないのだが、それがまず分かっていないようで、千円札を握りながら呆然と立ち尽くしている。

 自分の事ではないし、放っておこう。

 そう思いながら会計を済ませていると、老婆のいる精算機から凄まじい警報音が鳴り響いて来た。

 横に目を向けると老婆は完全にパニックに陥っていて、すいませんを連呼している。
 どうやら操作方法が分からず、現金投入口を無理にこじ開けようとしたらしかった。

 老婆はレジの男に向かって「鳴ってしまって」と助けを求めていたが、レジは忙しい。
 当然、というように男は老婆に一瞥さえくれず、レジを打ち続けている。
 裏から係の中年男性が走って来て、精算機の警報音を止めた。

 老婆は何度も何度も頭を下げながら、中年男性に向かって「お金はあります」と訴えている。
 中年男性は苛立ちを隠さないまま、鍵の沢山ついたホルダーの中から精算機の鍵を探しているようだった。

 細く、シミだらけの手に握られたクシャクシャの千円札を眺めながら、私は店を後にした。
 あれが自分の母親だったらと、二度思う事は無かった。

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