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【小説】 祖父は世界覇者 【ショートショート】

 私の母方の祖父が亡くなった。
 母の実家を訪れるたび、小さな頃から私のことを「めいちゃん」と呼び、他の兄妹と比べて可愛がってくれていたように思う。
 祖母は七年前に亡くなっていて、九十五歳の祖父は自宅を訪れた訪問介護士によって亡くなっているのが発見された。
 最期は腰に問題を抱えているくらいなもんで、完全な老衰だと医師は言っていた。

 最期の別れを済ませても遺族にはなさなければならない事が沢山で、釣りが趣味だった祖父の部屋を片付けるのは本当に骨が折れた。

 そんな中、兄が茶箪笥の中から一通の封筒を発見し、ちょっとした騒ぎが起きた。
 封筒の中身は遺言書ではあったものの、遺産や財産に関しての記述はなく、ある事実のみが記されていた。

『おまえ達に別れを告げなければならない時が来たようだ。私は、私の寿命がいつ来るのか悟るようになった。これも、齢というものだろうか。

今の今まで黙っていたが、私はこの世界を制する覇者なのだ。
驚かせてすまない。
選ばれるのは当然、世界でたった一人だけ。
それも、全世界の中から選ばれしこの役割を、私は実に三十年近く、勤めて来た。

私が亡くなれば所謂「覇権争い」が巻き起こることが容易に想像できるが、おまえらに迷惑を掛けることは一切ない。
室井という男に全てを託してある。
何も案ずることなかれ。

中尾 喜一』

 私と兄は手紙を何度も読み返してみたけれど、一体どこをどうボケたらこんなことを書くようになってしまうのかさっぱり不明だった。
 念のため母にも確認してもらったけれど、やっぱり答えは何も出なかった。

「私も分からないわねぇ。お父さん、釣りが好きなだけの本当普通のおじいちゃんって感じだったし……ボケてる感じもなかったからねぇ」
「頭はお母さんよりしっかりしてたもんね。お母さんラクラクホンだけど、お爺ちゃん普通のスマホ使ってたし……」
「あっ、それよ! スマフォン見れば何か分かるんじゃない?」
「スマフォンじゃなくて、ス、マ、ホ! 何回も言わせないでよ」
「何よ、わかればなんだっていいじゃないの」
「気になるのよ」

 祖父のスマホはロックされていなくて、仏壇に手を合わせてから中を覗かせてもらった。
 写真はほとんどが釣った魚の写真ばかりで、時々どこかの古地図を撮影したもの、庭先の小さな花を映したもの、ブレてるのに削除してない写真が数点と、エッチな画像が何枚か見つかっただけで、世界覇者がどうのに関わる人物の写真も、メールも、連絡先も、メモも何も見つからなかった。

 結局祖父が何を言いたかったのか分からない
ままでいると、兄が何かを思い出したように「あっ」とつぶやいた。

「そういえばじいちゃん、昔ボクシングやってたんだよね」
「ボクシング?」
「確かライセンス持ってたような……かなり本気でやってたって」
「確かにそうだけど、世界チャンピオンになってたら私達、もっとマシな暮らししてたわよ」

 兄の思いつきは母のひと言であっさりと棄却された。
 こうなると、やっぱり祖父の戯言だったのだろうか。おばあちゃんをヘビの玩具でびっくりさせたり、茶めっ気のある祖父だったから、もしかしたらドッキリなのかもしれない。
 結局手紙の真相が分からないまま片付けを再開させていると、誰かがインターフォンを鳴らした。
 玄関を開けてみて、私は少し怖くなって後退りしてしまった。

 ダークスーツに身を包んだオールバックの男の人が五人、厳しい顔を浮かべながら立っていたのだ。

「あ……あの、どちら様ですか?」
「中尾喜一様のご親族様でいらっしゃいますでしょうか?」
「はい、あの……孫の愛海と申します……」
「あなたが愛海様ですか。失礼致しました。喜一様よりお話しは常々聞いております。中、よろしいでしょうか?」
「は……はい」

 あまりの迫力に「はい」と答えることしか出来なかった私は、奥へ奥へと逃げるようにして小走りになって兄と母に「なんだかやばい」事を伝えた。

「俺を前に出すなよ……!」

 とビビる兄を前に前に押し出すと、片付け最中のリビングに入って来た五人組は仏壇へ向かって深々と頭を下げた。
 そして、白い封筒を私達に差し出した。

「式には出られない規則ですので。どうかお納め下さい」
「どうもご丁寧……にぃ!?」

 封筒を受け取った母が素っ頓狂な声をあげ、私に耳打ちする。

「すごい、帯付の百万……」
「ひゃっ、ひゃくまん!? ちょっと、何かの間違いじゃないの……?」
「私……怖くて聞けないわよ」
「私だって……」

 兄はビビり過ぎているのかひと言も言葉を話すことなく、私達親子は身を寄せ合ってビクビクしていると、ターミネーターみたいなサングラスでオールバックの男の人が鞄からA4用紙を取り出して、妙なお願いをして来た。

「どちら様でも構いませんので、こちらにサインを頂けませんか?」
「そっ、そそ、それは何か危ないものですか?」

 兄が恐る恐ると言った様子で尋ねてみると、ターミネーターはゆっくりと首を横に振った。

「ご存知ではなかったら申し訳ございません。祖父の喜一様は、この世界の世界覇者であられました」

 ターミネーターの発言に、私達は声を揃えて「ええ!?」と驚いてしまった。

「もっ、もしかしてあなたは室井さんですか?」
「愛海様、名乗る機会が遅くなってしまい大変申し訳ございません。私が、次期世界覇者の室井でございます」
「そっ、そうなんですね。あの手紙……本物だったんだ……」
「手紙ですと!? 喜一様直筆の、手紙があるんですか!!」
「えっ、ええ。ここに。どうぞ」

 私が祖父の意味不明な手紙を手渡すと、彼らは手紙を囲んで食い入るように眺めはじめた。すると涙を流したり、祖父の名を呼んだり、何かわからないけど相当に慕われていたことが伺えたけれど、やっぱり意味が分からなかった。

 静かに泣き続ける室井さんに、母が「恐縮ですけど……」と丁寧な前置きをして、声を振り絞った。

「あのぅ、世界覇者って、何ですの?」

 その質問に彼らは手紙を囲んでいた顔をあげ、腕組みを始めると、全員が同じように左側に首を傾けた。

「そういう、持ち回りなんです……としか」
「あのぅ、世界覇者とは代々そういうものでして……」
「世界覇者が何か……考えたこともなかった」
「世界覇者が何かというのは、もはや哲学の領域です」
「説明する言葉が、世界覇者以外に思い浮かばない……」

 と、誰もが口を渋る、というか本当に何か分かっていない様子だった。
 室井さんは気を取り直したようにサインを再び求めて来たので、私達三人でよく文章を確認し、兄がサインすることになった。

【世界覇者 継続権継承および続投に関する署名】

・現世界覇者である中尾喜一殿の逝去に伴い、指名継承者であり現世界準覇者教育中である室井康太にその意思があることを、認めるものとする。

・次期世界覇者は世界覇者の活動は継続するものとし、世界の覇者たる故の自己の確立、日々の覇者活動、覇者であることへの自負を欠かさぬものであることを言動として、併せて風格として持ち合わせていることを自負していることを認める者を現行者(注釈ヨ7-現世界覇者)が違うことないと認めるものとする

署名

 私達三人は用紙を見ても意味が分からなかったが、金銭に関わるものではないことを確認すると兄はさっさと署名を済ませた。

 用紙を受け取ると五人組はさっさと帰ってしまい、見送る隙さえ与えられなかった。
 百万円をしっかりと抱き締めたまま、にやけ顔の母は祖父に感謝の言葉を伝えていた。

「あっ、そういえばお父さん。私がまだ小さい頃に酔うとこんなこと言ってたわよ」
「え? なんて言ってたの」
「俺はいつか絶対、大物になるんだ! って、テレビで寅さんとか北島三郎を観るたびに言ってわねぇ……」
「それ、大物の意味が違うんじゃない?」
「確かに、そうね……じゃあ、分からないわ」
「結局分からなかったね。百万円、どうするの?」
「まだ時間早いわよね? よし、みんなに内緒で高級焼肉でも食べに行きましょうよ」
「賛成!」

 私達は片付けを放棄して焼肉に行く為の準備に取り掛かる。
 祖父は世界覇者として、きっとその役目を全うしたのだろう。全然意味不明だけど、そういうことと理解して私達は車に乗り込もうと玄関を開けた。

 すると、玄関の前にグレースーツに身を包んだ顔の厳しい五人組が立っていた。さっきとは違う人達なのは明らかだった。

「あの……どちら様でしょうか?」
「この度はご愁傷様でした。私は世界覇者決定委員会高橋派の溝口と申します。中、よろしいでしょうか?」
「は……はい」

 私達はその迫力に「はい」としか答えられず、履いたばかりの靴を脱いでそそくさとリビングに戻って行った。

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