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【小説】 Albino 【ショートショート】

 職が長続きせず、万年無職の長田友哉は独居房のような自室で酩酊しながら年金の督促状、黄色い警告文の付いた市民税の払込票、そして保険料の未納通知をいっぺんに鷲掴みにすると、ゴミ箱代わりの四十五リッターのゴミ袋に勢いよく押し込み、悪態を吐いた。

「ただでさえ消費税、煙草税を払ってやってんのに、これ以上払ってたまるか馬鹿野郎」

 職もない癖にパチンコで散財したツケは年単位で彼の生活を狂わせ、財産のみならず人間関係をも破綻させた。
 実家とは疎遠。親友とは絶縁。孤立無援の状況が彼の精神を蝕み続けた。
 流石にこのままでは生きていけないと一念発起し、齢五十を目前に登録へ向かったIT分野を得意とする人材派遣会社で、彼は薄ら笑いを浮かべていた。

「あのう、これ……ナイス表現って感じですね」

 長田が指さした先には「人財派遣」という社訓めいたものが掲げられており、その愛想笑いに営業担当の女が困ったような笑みを浮かべる。

「ありがとうございます。ではさっそく長田さん、お手元のパソコンでタイピングテストをお願いします」
「えっ、パソコンですか……はい」
「制限時間は二分間です。オッケーだったらエンターを押してスタートしてください」
「エンター……押して、スタート」

 決して難易度の高くないタッチタイピングのテストなのであったが、長田はパチンコ操作には慣れていたものの、その他の機械となると全くもって不得意なのであった。
 第一問は「あいうえお」。困惑顔を浮かべながら必死にキーボードから「あ」を探して入力したものの、表示された文字が「3」であったことで長田は堪らず、声を荒げた。

「ちょっとぉ、このパソコン壊れてるみたいですよ」
「えっ、本当ですか?」
「だって、「あ」を打ったら「3」って出て来たんですよ?」

 驚嘆と呆れ顔の混じった営業担当であったが、すぐに愛想を振りまくと長田に即時の退出を促した。使い物にならないと判断したのであった。

「なぁにが「人財」だ馬鹿野郎! 所詮、ピンハネ商売のゴミ人間の集まりの癖によぉ!」

 お土産に出された企業ロゴ入りの水ペットボトルの蓋も開けずにゴミ箱に放り込みながら、長田は悪態を吐き続けた。それでも職を求めてハローワークへと足を運び、得意技能を聞かれて「パチンコ」と真顔で答えて若手職員に叱られ、夕方に帰宅した。脱ぎ捨てられた服とゴミ袋、そして埃の積もった六畳間の万年敷布団の上に臭いベタ足を着いて腰を下ろし、PB商品の第三のビールを勢いよく流し込む。全財産五千円を何度も何度も数え直し、それでも今夜パチンコで一勝負……と考えあぐねていると、視界の隅で何かが横切った。

「あぁ? なんだおい」

 長田はどうせゴキブリだろうと思いながらスリッパを片手に叩き潰すつもりで立ち上がり、六畳間にくっ付いた小さなキッチンにそっと近づいて行く。やはり、何かが蠢いている。一発必虫! そう心で叫びながら狙いを定めた瞬間、長田は自室で小さな悲鳴を上げた。

「ふぉッ! え、おいおいおいおい」

 ゴキブリが蠢いているかと思いきや、キッチンの収納扉の上で蠢いていた者は、色を持たない小さな生き物であった。
 近づいて目を凝らしてみると、それはゴキブリの形には違いなかったが、真っ白で色のないゴキブリなのであった。
 長田はその昔、母から聞かされていた

「白蛇は殺したら祟られるんだよ。でも、お供え物をするといいことがあるんだよ」

 という言葉を思い出し、振り上げたままのスリッパを静かに下ろしたのであった。パチンコ教(狂)の割に信心深い面もある長田は白いゴキブリを神の使いと確信し、これから先は自分に何か良い出来事があるものだと理由もなく思い込み、その晩もやはりせっせとパチンコ店へ赴くのであった。

 全財産の五千円が晴れて四万円に化けたおかげで、長田は気を大きくした。
 そして心の中であの白ゴキブリに感謝の言葉を述べ、帰りしなにゴキブリが喜びそうな傷み掛けた玉ネギを買って帰るのであった。
 色のない生き物の総称が「アルビノ」であることを思い出した長田は、白ゴキブリのことを愛着を込めて「アルちゃん」と呼ぶことにした。
 明くる日も懲りずにパチンコ店へ赴き、やや勝ちを収めると中年脂がてらてらと光るホクホク顔を浮かべながら、独居房のような自室のドアを開ける。明かりがパッと点いて、脱ぎ捨てられた衣類とゴミが散乱する小汚い室内を照らす。湿気を帯びた黴れた畳六帖間の奥の台所の床に置かれた腐り掛けの玉ネギには、餌を求めて蠢くゴキブリ達が無数に群がっており、主の気配に気付いて四方八方と散って行くが、その中に「アルちゃん」の姿を見つけると長田は機嫌良く一人、部屋中に転がる安酎ハイの空き缶やカップ麺の空容器を踏みつけながらデタラメな小踊りを決めるのであった。

 それから二日後、ハローワークへ行くとパチンコ機の製造工場を案内され、長田は晴れてアルバイト先にありつく事が出来たのであった。
 間違いなく、運が向いて来ている。
 そう意気込んでパチンコ機の製造現場へ通い始め、少ないながらも安定した収入を手にすることとなった。
 しかし、すぐに次の問題が訪れた。
 元手の金が底を尽き始め、どう計算しても給料日まで生活が持たないことに気付いたのである。
 そうなれば赴く先は当然パチンコ店なのであったが、「アルちゃん」への願掛けも虚しく、結果は悲惨を極めた。
 翌日。出勤すると直ぐに長田は女性事務員に声を掛けた。その手の頼み事は大抵断られることを長田は知っていたものの、情に訴えれば時に何とか出来ることを経験で分かっていたのだ。

「あのぉ、実は相談がありまして……」

 その数分後に、長田は応接間で工場長と二人きり、膝を付け合わせていた。

「長田さんねぇ、一体どうしちゃったの?」
「あのですね……非常に困ったことになりまして」
「どんな事情か知らないけど、いいトシしたおっさんが給料日までの生活費もないなんてさ、ちょっとおかしいじゃないの? ねぇ?」
「いや……実家の母が急遽入院してしまいまして……それであの……」
「入院費なんて病院や福祉に相談すれば何とかなるでしょうよ。本当の所どうなんだよ、え? 本当のこと言うんだったら、相談に乗ってやってもいいよ」
「実の所……それが本当の所で、本当に急だったもんで、ええ」
「……はぁ。まぁ、じゃあ一万円ね。それ以上は無理だよ。いいね?」
「はい、ありがとうございます、社長」
「その代わり後で生活設計の計画立てて提出だよ?」
「ええ、もちろんです。うちにはあの、アルビノの神様がいるんで、運が向くと思うんです。おふくろが良くなるように、祈っておきますよ」
「へぇ。何だい、そのアルビノってのは?」
「あの、ビックリしないで聞いて下さいね? ここだけの話しですよ?」

 長田はまるで宝物をこっそりと自慢するように浮き浮きした顔になり、社長に顔を近付けた。

「うちには……真っ白いゴキブリの神様がいるんですよ……すごいでしょ?」
「うわぁっ、きったねぇーなぁ! 長田さん、そら、脱皮したてのゴキブリだよ!」
「いやいやいやい、違いますって! 神様なんですって!」
「あーもういいもういい、聞きたくもねぇわ。さっさと現場戻って」

 社長は頭を抱えながら財布から一万円を引き抜くと、ガラステーブルの上に放り投げた。長田は媚びた笑みを浮かべ、頭を深く下げつつそれを拾うと、胸ポケットに仕舞い込んだ途端にスンと真顔に戻った。
 一日の業務を終えると、長田は工場を出ると用もないのに工場の駐車場を横切り、遠回りして駅へと向かう。これは他の労務者達に「車通勤者」であると思われたいが為の見栄で、停められてる車種からおよその平均年収を割り出しながらこそこそと泥棒のように駐車場を歩くのであった。
 自宅に帰ってから生活設計の宿題に手を出そうとするものの、頭にはどうしても機械が放つ明滅がこれでもかと浮かんでしまうのであった。

「アルちゃん、アルちゃーん!」

 わずかでも動けば極悪アレルゲン埃の立つ部屋で、長田は「神の使い」である白ゴキブリの名を呼び続ける。
 ゴキブリに長田の声が届くはずもなく、代わりに現れたチャバネゴキブリ数匹が腐り始めた玉ネギに吸い寄せられていく。
 その光景を眺めながら、長田は社長の「脱皮したてのゴキブリだよ」という呪いのような言葉を思い出し、身を震わせた。
 そんなはずがない。アルちゃんがただのゴキブリだなんて、そんなはずがない! あってたまるか! あれは白蛇と同じ神通力を持つ、神の使いなんだ! 
 そう心中で叫びながら、長田は湧き上がる怒りと焦燥を一万円札に込め、家を飛び出してパチンコ店へ駆け込んだ。そして血走った目と震える指先で、賭博の弾丸と化した万札をパチンコ台のサンドへとブチ込むのであった。
 結果、手元に残った現金は二百円余り。
 とぼとぼと活気に満ちた夜の商店街を歩きながら半額の揚げ物の買い求めると、長田の財布からはいよいよ現金が消えてなくなった。

 翌日からは強硬手段に出ることにした。「金は天下の回りもの」と心で何度も反芻しながら、現場の人間から恥ずかしげもなく千円単位で金を借り回った。「おさっち基金」などと現場リーダーが面白おかしく話を大きくしたおかげで、昼には手元に二万円近くの現金が集まる成果を収めた。
 節制を心がければ何とか暮らしていけそうだと安堵した矢先、長田は怒りを隠せずにいた社長から現場作業中に肩を叩かれ、更に即日のクビを告げられ、集めた現金も全て没収、返却となった。
 午後三時前だった為、銀行口座に残っていた七百円を引き出すと途方に暮れながら帰路についた。その日、長田が駐車場を横切って帰ることはなかった。

 家に帰るとやはりゴキブリの群れが彼を出迎えたものの、その中にはもう白い姿の「アルちゃん」が姿を見せることはなかった。
 長田は無心のままスリッパを手に取ると、非常に緩慢とした動きで固体と液体の間の状態となった玉ネギを裸足で踏みつけ、ゴキブリを一匹、また一匹と叩き潰し始めた。
 キッチンに収納されていた皿や調味料を引っ張り出し、脱ぎ捨てられていた衣類を床から剥ぎ、転がる空き缶やカップ容器を何度も引っ繰り返した。一匹見つけるたびに瞬きを忘れた眼差しで獲物を捉え、叩き潰す。部屋の至るところにゴキブリの死骸が生み出され、まだ脚だけが蠢くものもあれば、頭部だけがちぎれて触覚だけが上下するものもあった。
 そうして部屋の中を漁り続け、一匹、また一匹と一心不乱にゴキブリを叩き潰している内に朝がやって来た。
 腹が空いていることさえ気が付かず、水の一滴すら口にしていなかった長田は我に返った。
 我に返った彼は、一番叩き潰さなければならない根源が在ることに気が付いた。それを叩き潰す為には非常に大きな覚悟を強いられるのであったが、酒を煽ると不思議と覚悟を決められたのである。

「よし」

 長田はそう意気込むと、覚悟を実行に移す為に立ち上がる。ガス爆発を起こした後のような散らかり様の部屋で、朝九時の陽に照らされながら死散するゴキブリ達は既に脚や触覚を動かすことを止め、余すことなく息絶えていた。
 色を持たないアルビノは、見当たらなかった。

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