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【小説】 狂欲大魔神 【ショートショート】

 家に帰ったけれど、私は食欲もなく、化粧も落とさず風呂にも入らず、ボーッとしている。
 ソファの上に転がる通知音をオフにしたスマホは、さっきから画面が明るくなったり暗くなったりを繰り返している。

《やっほ!みきちゃん、おつかれさま(笑顔×2) 今日は、少し、冷たかったけど、ボクのこと、イヤになったり、してないよね!?》
《しつこいと、思われてたら、ボク、傷ついちゃうかな~(汗を掻いている顔文字)》
《あ、もしもメッセの返事が、たいへんだったら、電話しちゃう!?(目をつむって笑ってる顔文字)ボクはいつでも、いいから、ね!?》

 私はスマホを部屋の片隅に放り投げ、社内報から切り抜いた壁に貼り付けられている部長の顔写真めがけてハードダーツの矢を投げる。

「死ねー、岩瀬死ねー、キモイ死ねー、マジで死ねー」

 社内報に書かれている岩瀬部長の"お言葉"

「私はこの部署をチーム、というより「家族」だと思っています。実際、みんな本当の家族よりも長い時間を毎日共にしている訳ですし、仕事を通して自然と「絆」が生まれている。その「絆」をしっかりと認識し合い、常に「感謝」の気持ちを持って「家族」に接している内に、「愛」が生まれるのです。私はこの部署の部長ではなく、父だと自負しています。家族を守るため、時には会社とやり合うことだってある。常に頼れる「親父」でいられるよう、これからもどっしりと構えて行くつもりです」

 何が家族だ。何が絆だ。何が愛だ。
 家族なら、あんたは自分の娘を犯そうとしている近親相姦変態ヤロウだ。
 このクソ記事を書いたのは誰だ。薄っぺらい言葉に「」をつけるあたりが、とにかくムカついてしょうがない。

 矢が部長の顔いっぱいに刺さった頃、私はようやく風呂に入る準備をし始めた。
 荒れまくった肌をなるべく丁寧に洗顔し、風呂に身体を浸けながら、どうしてこうなってしまったのかを思い出す。

 私はただの派遣社員に過ぎない。契約内容に従い、与えられた業務を日々淡々とこなしてさえいれば良いはずだった。

 お昼の時間は誰に気を遣うこともなく、他の社員達のお喋りに混ざることもなく、悠々自適に過ごしていた。
 ある日、一人で昼休憩を過ごしていると滅多に所内に姿を見せない部長から声を掛けられた。イヤホンをしていた私は、肩を叩かれてから気が付いた。

 やけに黒々とした肌、若作りのつもりなのか、茶色く染めた髪。皺の寄った額はテラテラと脂で輝いていた。間近で見る部長は蛇に似ている、そう感じた。

「秦野さん、お疲れ様」
「お久しぶりです。あの、お疲れ様です」
「いやー、ボクは疲れちゃいないさっ。隣、いいかい?」
「はい、どうぞ」

 いかにも聞き耳を立てていそうな周りの事務員達の目もあるし、私は断る訳にはいかなかった。

「秦野さんは、何ヶ月目だっけ?」
「はい、勤務して三ヶ月になります」
「うんうん、やっと慣れてきた頃かな? あのさ、もしも継続したいって場合は、僕が派遣会社に言ってあげるから、ね?」
「あぁ、ありがとうございます……」
「あまり無理したらいけないよ? 仕事はほどほどに、プライベートを大切にね? 彼氏いるんでしょ?」
「いえ、そういった人は今はいないですけど……」
「ふーん……あのさ、メッセ交換しようか?」
「え?」
「君のトコの担当、中々掴まらないし、何かあったらすぐ連絡取れるようにさっ。ね?」
「えぇ……わかりました……」

 メッセのIDを交換すると、部長は「ごゆっくり」とウィンクをして立ち上がり、私の肩を片手で揉んで去っていった。正直、不気味で気持ち悪いと思っていると、事務員のお姉さんが私の隣に腰掛けた。

「秦野さん、大丈夫だった?」
「いえ、あの……メッセを交換しましたけど……」

 お姉さんは一度机に突っ伏して、髪を直しながら顔を上げた。 

「かわいそう……マジか」
「え、どうしてですか?」

 私は無意識に焦りを感じた。取り返しのつかないことをしてしまったのだろうか。

「秦野さん、部長のあだ名知らないでしょ?」
「……はい」
「あいつ、「狂欲大魔神」って呼ばれてんのよ。すーぐ若い子に手ぇ付けるんだから」
「そうだったんですか……」
「それも契約期間が切れそうな派遣の子ばっかり。わざとやってんのよ、アレ」
「え、会社の人は何にも言わないんですか?」
「無理無理。大魔神ってあれでもこの会社にかなり貢献してるし、社長の甥っ子だからね」
「……あの、私、どうしたらいいですか?」
「とにかく、無視よ。無視」
「そんな……」
「まぁ、期間いっぱい耐えるしかないけど、頑張ってね」

 絶望的な気分になりながら事務所へ戻ると、デスクに座る部長の視線を業務中に何度も感じた。
 その日から、それまで滅多に姿を見せなかった部長が事務所に常駐するようになった。朝礼と夕礼のことを部長は「一家団欒」と呼び、私達のことを「娘」「息子」と呼んだ。
 家に帰るとすぐに届くメッセの嵐。

《秦野さん、お疲れ様(笑顔と右手の絵文字)!今日は、髪の毛、下げてて、少し大人な、ミキちゃんにドキドキ(ハートのマークと「!?」の絵文字) あっ、ミキちゃんって、呼ぶには、まだ、早かったカナ(笑顔と汗の絵文字)》

 こんなことが毎日繰り返されるようになり、私のストレスはついに限界を迎えた。

 翌日、出勤すると朝の「一家団欒」で部長が個別面談の実施をみんなに伝えた。派遣社員の私には関係ないだろうと思っていると、何故か私の名前が最後に呼ばれた。
 朝から気分が重くなって、私は業務に全然集中出来なくなった。
 面談の時間になり、面談室に入ると部長はわざとらしく空咳をして私に言った。

「今日は個人的な面談を実施するけど、分かってるよね?」

組んだ指をくるくる回しながら、部長はニヤついた顔で私を見詰めている。

「……はい」
「ミキはさ、どうしてそんなにボクに冷たくするのかな? あまり得にならないよ? 大人ならさ、損か得か、選べるよね?」

 私は下の名前を呼び捨てされたことには気づかないフリをして答える。

「冷たくしている訳ではなくて……必要以上のコミニュケーションを避けているだけです。トラブルの原因にもなるので」
「ちょっと、何を言ってるのか分からないな。だってボク達は家族なんだよ? 家族ならさ、みんなで色々なお話しをしたり、スキンシップを取ったりするよね?」
「それはそれぞれの家族の在り方にも寄ると思いますけど……」
「うん、だけど「うちはうち、よそはよそ」だからね。ミキはどうしてボクのことを避けるのかな? ボクはね、ミキの為なら残りの人生を捧げてもいいって思ってる。歳だって離れてるけど、ボクはミキの両親に会うことだって全然恥ずかしくないんだよ?」
「あの……ご自分で言っている意味、理解されてます? 過剰なセクハラですよ」

 すると、部長は額に手を置いて馬鹿笑いし始めた。

「ははははは! それは飛んだ誤解だなぁ! ボクはね、ミキを愛してる。それなのに、愛がどうしてセクハラになるのかなっ? ミキは今まで色ぉんな彼氏にあっちこっち触られる時に「キャー、セクハラー!」なんて言ったりしてたのかな? 違うよね? 僕が言っていることはね、それと同じことなんだよ。ボクだって、ミキのあっちやこっちを触る権利があるんだからね? 毎日いっぱい、仕事中だって想像しちゃうくらい。だって、愛してるんだから」

 私は吐き気に耐え、聞き続けた。そして、拒否し続けた。

「私は部長とは仕事以外、無関係ですし、これからも関係を結ぶつもりはありません。私の直属の上司は担当の西堀ですし、契約期間が終わればもうこの会社とも関係ありません」
「ん? 待って待って、ミキはやっぱり西堀とデキてるんだね? じゃあ担当を変えてもらおう。僕の権限をナメてもらっちゃ困るんだ」
「そんなことは一言も言ってないでしょ。何勝手な真似しようとしてるの?」

 部長は私の唇の前で指を立て、ウィンクをした。若作りの茶髪の隙間から、禿頭がうっすら見えている。

「ミキは近い将来の僕の伴侶なんだ、そんな口の聞き方、してはいけないよっ?」

 その後も訳の分からない理由で一方的な愛を語られ、三鷹に買ったという同棲用のマンションのパンフレットまで見せられた。しかし、私は耐えてみせた。

 結局契約更新はせず、私はやっと最終日を迎えることが出来た。
 それまでも部長からのラブメッセは連日続き、メッセはスマホのアプリ内で無尽蔵のゴミ山を作り続けていた。
 
 昼休みが終わり掛けると、私はDVが原因で別れた元彼に連絡を取った。準備は既に出来ていると聞き、後は私の合図を待っているだけの状態だと聞いて安心した。
 ヨリを戻す気はさらさらないが、こんな時だけは苦い過去の経験が役に立つ。

 夕方の「一家団欒」になると、部長は涙目で声を震わせながら言った。

「ここにいる我が娘、秦野さんとは、私は公私共に、お世話になりました! 秦野さんとは今日でお別れとなりますが、みんなに近いうち、驚くような報告が出来ると思います。そう言う意味では、今日からまた新しい関係で、私達家族との繋がりが」

 その途端、爆音の軍人ラッパが鳴り響き、窓ガラスをビリビリと震わせた。みんな驚いた様子でその場に伏せたが、その音は隣の事務員の絶叫さえも掻き消した。
 軍人ラッパが鳴り終わると、軍歌をバックにドスの効いた地獄の悪魔のような声のシュプレヒコールが始まった。

《岩瀬はー地獄にー堕ちろー!!》
《岩瀬はー地獄にー堕ちろー!!》
《変態近親相姦者はー地獄にー堕ちろー!!》
《変態近親相姦者はー地獄にー堕ちろー!!》
《こちら愛国日本防人の会! ただいまからー! ここにいる自らの強欲に溺れた腑抜け男の音声を流す! これは日本男児の名を汚した罰である! 心して聞くように!》

 部長は頭を抱えながら震えていて、「父親ならどうにかして下さい」としがみ付く事務員の手を振り払った。
 音声データが流れ始め、その声が窓ガラスを、会社の入る建物を、震わせる。

《ボクはね、ミキを愛してる。それなのに、愛がどうしてセクハラになるのかなっ? ミキは今まで色ぉんな彼氏にあっちこっち触られる時に「キャー、セクハラー!」なんて言ったりしてたのかな? 違うよね? 僕が言っていることはね、それと同じことなんだよ。ボクだって、ミキのあっちやこっちを触る権利があるんだからね? 毎日いっぱい、仕事中だって想像しちゃうくらい》  

 DJをやっていた元彼の遊び心だろう。次に、悪意に満ちたミックス音声が窓を震わせた。

《ボボボ、ボクはね、あっちやこっちを、あっちやこっちを、触られる時に、ミキ、ミキ、ミキの両親に会うことだって全然恥ずかしくないんだよ?》

 明らかに部長の声と分かるその音声を聞いた事務員達は、部長から飛ぶようにして離れて塊を作り、部長を蔑んだ目で見下ろし始めた。
 部長は流れる汗を抑えることが出来ず、スプレーで固めた髪が乱れ、髪が肌に張り付いて年相応の薄毛を晒していた。

 ざまぁみやがれ、と私はホッと胸を撫で下ろした。

 会社を辞めた私はそれなりの額の示談金を受け取り、平穏と引き換えに幾らかの金を元彼に渡した。部長はクビになって「ただの人」となり、その後は三鷹のマンションのローンが払い切れずに自己破産をしたと事務員のお姉さんから聞かされた。そう話すお姉さんの口ぶりは活き活きとしていた。

 私はテレワークの出来る仕事に切り換え、今は平凡な日々を送っている。
 近頃やっと大人しくなったスマホを安心しながらいじり、夕飯を食べながら夜七時のニュースを眺める。ニュースが始まるとすぐ、緊張感のある声でアナウンサーが夜のトップニュースを伝えた。

《本日昼ごろ、東京都三鷹市のアパートで女性が胸を刺された状態で発見され、その後病院に搬送されましたが死亡が確認されました。警察は女性の関係者からの情報で、女性に交際を迫っていたとされる住所不定無職の岩瀬信之容疑者、五十二歳を逮捕しました。なお、岩瀬容疑者は犯行の動機や女性との関係について、黙秘しているとのことです》


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