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【小説】 すってんころりんお鍋ちゃん 【ショートショート】

お台所で鍋を沸かそうとしたら、あら嫌だ。昨晩、魚のアラを煮たせいか、力を込めて洗ったはずなのに魚の匂いがさっぱり取れていないんだもの。あークサイ!

これはダメね、と諦めてわたくし、お台所の窓から鍋をえいや! っと放り投げたの。そしたらくるくるっと回って、お隣さんのおうちの壁にバーン!
なんとまぁ、勢いがよろしいこと。
鍋はそのまま落下して、お隣さんの塀にかくれんぼ。

このままだといけないからお鍋を拾わせてもらおうとお隣さんを訪ねようとしたのだけれど、お隣さんは結婚もしていない四十男のヤモメ二人が住むおうち。お父さんもお母さんも死んで、遺産だけで食いつないでいるともっぱらウワサの正真正銘の御坊ちゃま達。それも、二人ともおうちからほとんど出ませんの。
あの二人を目にする機会なんて一年に二、三あるかないかってほど。

色々考えたけれど、ここはオババの秘策・不法侵入でこの困難を乗り越えてみることにしたの。
塀をえいや! っと飛び越えて、土の上に転がるお鍋ちゃんを発見。
オババ、ただ今より回収に入ります!
そんな風に秘密ミッション気分でお鍋を拾おうとすると、ギコギコと摩訶不思議な音がおとなりさんのおうちから聞こえてきたわ。

何かしら……そう思って窓の中をそーっと覗いてみる。
これは違法じゃないの。だってテレビドラマで女優のオババが家政婦になって同じような事をしていたんだもの。

すると、あらビックリ!!

おとなりさんのおうちのお兄様が、ノコギリで大きなお肉を骨ごと切っているのが見えてしまったの!

私はお鍋ちゃんの回収を断念。
さっそく、警察にピッポッパ。

もしもし? あの、おとなりさんの兄様が弟を解体しておりますのよ。

お婆ちゃん! ゆっくりお話し聞かせてもらっていいですか? あの、住所はどちらになりますか?

あら失礼ね! わたくしよ、わたくし! 東町の横田ですう。

あのね、お婆ちゃん。どの市町村の、東町ですか?

ですから、東町の横田ですう。

色んな東町があるでしょう?

あのね、東町は東町。横田ですう。

イタズラ電話ですか?

東町、横田ですう。

ガチャ! ツーツーツーツー

なんてことかしら! これは電話線が切られた証拠!
おとなりさんが危険を察知して、電話線を切ったのに違いないわ!

わたくし、早速対抗することにしたの。
まず、都はるみ演歌セレクションのカセットテープを準備。
ステレオをベランダに設置して、大音量でスイッチオン!

ひゃーっと部屋の中へ避難して三秒後。
えんや〜 と、はるみちゃんのボイスが爆音で鳴り始めましたの。
この演歌攻撃でおとなりさんを疲れさせて、その間に電話線を直さなきゃ!

旦那を呼ぼうとしたけれど、旦那は五年前に他界しておりましたの。あの人は本当にガンコな人で、ついに死ぬまで愛してるとか、好きだとか、そんなロマンテックな言葉をひとつも聞かなかった。
だけど、遺品整理の時にあの人の書斎の箪笥から愛人に向けられたラブレターが沢山出てきたので、死んでくれてわたくし、せいせいしているの。ぜーんぜん、これっぽっちも寂しくない。

電話線の直し方が分からなくて電柱をぼんやり眺めていると、町内会長の町山のおじ様が話し掛けてくれましたわ。

「横田の婆さん、どうしたんだい?」
「あのねぇ、それがねぇ、おとなりさんに電話線を切られてしまったようなのよ……」
「なんだって!? おとなりって、あの青木の兄弟野郎の家かい!?」
「そうなのよ」
「じゃあ何かい、このバカでけー都はるみのラジオも、青木の兄弟野郎のしわざかい!?」
「それは青木の兄弟野郎ではなくて、わたくしなの。だって、青木の兄弟野郎の兄様が弟を部屋で解体してらっしゃったのよ。もう、こわくってこわくって」
「婆さん! そりゃ警察に言わなきゃダメだぜ!」
「だから電話線を直すのよ」
「かーっ! こりゃダメだ! よしっ! 俺がいっちょ電話してやっから! 待ってな!」

あらまぁ、威勢がよろしいこと。こういうヤカマしい男のことを確か、勇ましいとか言ったような気がしたけれど、こんな男のどこが良いのかわたくしにはサッパリちゃん。
町山のおじ様が携帯電話で警察にもしもしすると、すぐにパトカーがやって来て住宅街はちょっとした騒ぎに。

青木の兄弟野郎のおうちをノックする警察官さん。それを見守る人が続々とやって来て、みんなでことの顛末を見守ったの。
わたくし、ドキドキしながら見守ったわ。だって、殺人犯! がこれから姿を現そうとしているんだもの。
しばらくして玄関のドアがガチャリ。すると兄弟野郎の兄様が血まみれのエプロンで登場しなさったのよ! もう、辺りは阿鼻叫喚の地獄の叫び!

「キャー! ひとごろしー!」

吉野の奥様がそんな風に叫んだから、わたくし、負けてられません。
あんなガス屋の貧乏奥様に負けるわけに行かないから、もっともっと大きな声で言ってやりました。未亡人の、魂の叫び。

「ギャアアアアアア! ひ、と、ご、ろ、し!」

しっかり片手も添えて、あのアナウンサーのように、ひ、と、ご、ろ、し。
決まったわ。勝ちましたの。心なし、吉野の貧乏奥様がわたくしに怯えているように見える。嗚呼、ざまあないわ。

警察官さんは無駄に愛想なんか振りまいて、血まみれ野郎の兄様とごにょごにょお話しし腐ってやがりますの。
さっさと射殺して頂戴! まぁノロマったらありゃしないわ!
すると、警察官さんはバカだから兄様にそそのかされておうちの中へ入っていったの。
まったくのバカ。あれはきっと高卒の警察官さんに違いない。大卒の警察官さんはあんな真似いたしませんわ。

しかし、どういうことかしら。警察官さんは兄様と一緒に笑いながら玄関から出てらっしゃったの。それも、解体されていたはずの弟も一緒になって!
あれは悪魔の仕業じゃないかしら、そうよ!
あれは悪魔儀式によって復活させられた弟! 悪魔兄弟よ!
だってそういうのテレビで観たことあったもの!!

「あのー、皆さんご心配掛けてすいません。肉の解体してました」

そんな風に言って、兄様と弟は笑っている。しかも、こんな言い訳めいたことを発言なさったの。

「僕ら猟師なんです。ジビエ用の肉を出してまして、その解体でした。すいませんでした」

ハハハ、なんて高卒警察官さんも、ご近所さん達もみんな笑顔になって笑ってやがりらっしゃる。
気に入らない。気に食わないわ。

みなさん散り散りになっておうちへ帰っていったけれど、あの兄弟は悪魔に違いないですの。
だからお鍋に魚の匂いが取れなくなる魔術を掛けられた……そうですの、そう考えればあれだけ擦ってもお鍋の匂いが取れなかった理由に繋がるわ!

わたくし、お台所から一番殺傷能力が高そうな刃物を選びました。
それから防具、身を守るものが必要ですわ。家の中を必死に探し始めましたのよ。それが、中々いい防具が見つからない。
鍋の落し蓋……夏用のすだれ……座布団……五月人形……
色々探していると外から町内放送のうるさい声が聞こえて来ましたの。
ええーい! うるさい! 今はそれどころじゃないのに!

「迷い人のお知らせです。昨夜、八時過ぎに家を出たまま町内の吉田エリコさん、二十歳が自宅に帰っておらず、行方を捜しています。特徴はピンク色のセーター、グレーのズボン……」

わたくし、ふと手を止めましたの。そして、すっかり忘れていたお鍋を回収する為におそるおそる塀を乗り越え、無事にお鍋ちゃんをゲットしましたの。
いざ、塀を登ってわたくしのゴージャスハウスに戻ろうとすると、いやーな視線の気配を感じましたわ。

振り返ると血塗れの兄様が窓からわたくしのことをジーッと見つめておりました。
嗚呼! キチガイ!
すると兄様、ゆっくりと人差し指を口の前に立ててニヤリと笑いました。
そしてそのまま、カーテンを閉めてしまいましたの。

それからずいぶんが経ちました。行方不明の女性は見つかっていないと、回覧板のお知らせに書いてありました。おとなりさんはとても怖いけど、警察官さんが高卒だったから、わたくしはまだ警察にお電話しておりません。
だって、あの青木の兄弟野郎なら、きっとオババなんて狙わないでしょうから。
過ぎた旬には、いつだって平和の花が咲いておりますのよ。

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