【小説】 続・ネットスーパーができない 【ショートショート】

 東京近郊のS県O市は多くの人口を抱えると同時に、多くの高齢者の住む街でもあった。利便性が高い地域とは言えど車なき老人達、マンション住まいの主婦達はスーパー大丸ネットスーパーの開業を心から待ち侘びていたものの、蓋を開けば対象地域が限られおり、道を一本挟んだ家では利用できても向かいの家では利用が出来ない等の問題が生まれ、特に市内宝町に在住の住人達は地区の大半が対象区域外の為、ネットスーパー難民に陥っていたのである。
 スーパー大丸の駐車場へ押し掛けた老人、そして主婦達はその怒りをプラカードに込め、声を上げていた。

「われわれにも、ネットスーパーをやらせろー!」
「店舗から近いのに、配送しないなんて差別だー! ヘイトだー!」
「生活に豊かさをー! そして繁栄をー!」

 その声の中には「改革」とビニールテープが貼られたヘルメットを被る妙な連中も何故か混じっていたのだが、スーパー大丸の店主・太田は白髪の混じり始めた頭を掻きながら集団の前へ出て声を張り上げた。

「チラシにもありますが、対象地域は順次拡大中でございます!」

 その声に、主婦の丸岡悦子はヒステリックな金切り声を上げた。

「ジュンジもタカシも知らないわよ! 今すぐ使えるようにしなさいって言ってるのよ! 毎日のお買い物、大変なのよ!」
「そうよ! 子供を迎えに行ったり、他のお買い物もしなきゃいけない主婦のことを考えてよ!」
「道一本広げるだけだろー! さっさとやれー!」

 店主は区画を決めてエリア設定しないと不平不満が生まれると言いかけたが、既に不満だ! との集団の声にさらに頭を掻きむしった。
 やんややんやの怒号の中、杖をついた老人が非常にゆっくりとした足取りで集団目掛けてやって来た。
 彼の名は北条と言い、先日ネットスーパーをやらせろと店舗で大暴れし、駆けつけた警官に杖で暴行を加えた挙句、興奮し過ぎて搬送されると言った騒動を起こしていた。
 北条はゆっくりと集団の中へ混じると、彼のど真ん中を肩を揺らしながらわざわざ突っ切って行き、店主の前までやって来た。店主はその姿を見つけるなり、「あー!」と声を上げた。

「ちょっと、あんたは出禁のはずだろ!」
「出禁も滅菌もあるか。先日も言ったはずだ。ネットスーパーをやらせろ! スマホンだの、陰謀撒き散らす装置ことインターネッツはないが、固定電話はある! 以上!」
「警察呼ぼう、警察」

 店主が様子を見に出ていた他の店主に耳打ちをすると、集団から怒声が上がる。

「お年寄りの言うことに耳も貸さないのか! 大丸は非道だ!」
「そうだー! こんなお年寄りにこそ、ネットスーパーが必要なんじゃないかー!」

 北条は助け舟のような声を上げたヘルメット姿の二人組を見るや否や、真顔のままその頭上目掛けて杖を振り下ろした。カツン、と乾いた音が短く跳ねた。

「おい! 私は共産主義の豚どもに年寄り呼ばわりされる筋合いはないぞ!」
「なっ……なんですか、あんた! せっかく代弁してやったのに!」
「ほう、大便か。それはおまえらゴミ理想主義者めらが得意気に便所で垂れ流す、あれか。それとも、原理主義者ゆえに廁も知らず、野畑にでも捻り出しているのか」
「失敬なジジイだ! おい、こいつ失敬だぞ!」
「否! 私の父はラバウルで死んだ!」

 杖を空に立て北条がそう叫ぶと、その迫力に気押された集団は黙り込んでしまった。店主も思わず唾を飲み込み、言葉を失った。
 ラバウルで死んだ……それで、その次はなんと出るだろう……固唾を飲んで静寂に身を委ねていた集団達であったが、北条はこう続ける。

「だから! 私にネットスーパーをやらせろ!」

 集団は緊張の糸が一気に切れると、「何でだよ!」「関係ねぇだろ!」と声を荒げた。北条は耳を傾けようともせず、せせら笑った。

「この白痴の弱虫猿共が。貴様らは束にならなければ文句の一つも言えんのか? えっ?」

 その態度にさらに声は荒れ始めるものの、北条は「バカの戯言は聞こえない耳でな」と、取り合おうともしない。この事態に、まだ若年層(とは言っても三十三)の主婦・田宮希が北条の傍に出て声を掛けた。

「お爺さん、あなたのおうちは何処なの?」
「ぬっ、このションベン娘が。私が徘徊ボケ老人だとでも思っているのか!」
「違う。対象エリアか、どうか確認させてもらうだけ」

 そう言ってスマホをポケットから取り出すと、北条はうめき声のような音を漏らした。

「うぬぬ……それが、スマホンか」
「ええ、これで何でもわかるわ。じゃあ、住所を教えてくださいます?」
「うむ。では、ラバウルの戦記をまず調べて頂こう」
「違う! 住所を聞いてるんです!」
「やかましい……宝町、二の五の六……」
「はい、どういたしまして。えーっと……えっ?」
「なんだ」
「ちょっと待ってー! この人、対象地域なんですけどー」

 集団からは「えー」「何だそりゃー」とうんざりした声が上がる。北条は集団が何を残念がっているのかも分からず、田宮希に尋ねる。

「貴様の言う「対象地域」とはなんだ? 選別か? 現代のアウシュビッツか?」
「違いますー。ネットスーパーを配送してもらえるエリアってことです。はいはい、邪魔邪魔。家に帰ってゆっくり注文でもしてて下さ〜い。さて、改めて……ネットスーパーを!」
「やらせろと言っているのが何故分からないかこの小便面の万年売女めがぁ!」

 北条は怒りに任せて叫び、そして店舗同様、再び杖を振り回した。無双状態となった北条から人の輪が離れ、小さなドーナツ化現象が大丸前で発生した。恐怖に慄いた丸岡悦子が金切り声をあたりに響かせる。

「ちょ、ちょっと! 暴力反対ー!」
「黙れ! この便所コオロギめ! 貴様の声は何ヘルツだ! 飢えた野犬にしか聞こえないような声を出しおって!」
「べ……便所……コオロギ……」
「貴様のような暴力を肯定しない死に損ないは便所へ行ってクソでも垂れて便所コオロギを食って奇病に当たって死ね! さて、私の話だが」
「ひっ……ひとでなしぃ!」

 丸岡はその場にヘタリ込んでメソメソ泣き出したものの、やはり北条は気にもしない。傲慢さを隠そうともせず、店主へ詰め寄る。

「えー、先日も話した通りだが。今日は穏やかに行こうじゃないか。私はこれでも頼み方というものを弁えているつもりだ」
「いや、あんな事件起こしといてねぇ……おじいちゃんねぇ……」
「何を! 貴様にジジイ呼ばわりされる覚えはない!」
「ほらぁ、もうダメだこの人! やっぱり警察呼んで!」

 田宮希が二人の間に立ち、なんとか宥めようとする。

「ちょっと待って下さい。私達はネットスーパーをしたくてもエリア外だから出来ないんです」
「そうか。ざまぁないな」
「そうじゃなくて、おじいちゃんの家は対象地域でしょ? だから何が不満なのかわからないの。何が不満なの?」
「何がではない! ネットスーパーが使えると謳った広告を入れておきながら、やらせないの一点張りで話しにならないこのアンポンタンにやらせろと、ただそれだけのシンプル・イズ・ベストな話をしに来ているに過ぎない」
「大前提だけど……ネットはできるんでしょ?」
「不可能だ。陰謀に染まる気はない」
「え……じゃあ、スマホは……」
「スマホンなど……ラバウルの戦記は気になる所ではあるが、図書館があればスマホンなど不要だ! 固定電話はある!」
「固定電話って……そもそもネットスーパーは……えっ」

 なんと北条は、集団の前で羽織っていたカーキ色のジャケットの内側から固定電話を引っ張り出した。プッシュホン式の、いわゆる普通の固定電話である。
 それを地面に置くと、北条は店主にさらに詰め寄った。

「固定電話はある! 以上!」
「ちょっと……あんたねぇ! 大体いい加減に」

 その時であった。彼らのやり取りを遠巻きに見ていたパート従業員の金子幸子が「あっ」と何かに気付いた様子で固定電話に駆け寄った。

「ほら、店長! FAXはあるわよ!」
「ファックスぅ? それが、なんだよ」
「なんだよじゃないわよ! 自分の店で始めたサービスでしょう!? ネットスーパーがうまく出来ないお客さんへの救済処置で、FAX注文受けるって言ってたじゃない!」
「あっ、そうだ。悪い、誰も頼まないから忘れてた……」

 なんと、大丸のネット難民救済処置で品数はグンと減るが、FAXでの注文というのも一部商品で受けていたのである。
 これを知った北条は地面に置かれた固定電話を愛猫のように撫でながら懐にしまい、豪快に笑った。

「はっはっはっ! なぁんだ、話せば分かる良い従業員を店主はお持ちだったんですなぁ!」

 あまりの態度の豹変ぶりに、店主は苦虫を潰したような顔になる。

「まぁ……はい。良い店員には違いないんですけど……」
「これはアレですな、日頃の日勤教育の賜物ですかな!? いやー、やはり人間と人間というのは、こうでないといけませんなぁ! ファクシミリならこの北条、かなりの使い手ですからなぁ! 大蔵省に勤めておったその昔は、ファクシミリか北条かなどと、下手な神輿に担がれておったもんです! いやー、これは私も盲点でしたなぁ! いやー、一本、いや、二本、いや、百本取られました! あーはっはっは!」
「…………」

 北条は「百本」という自身のギャグがよほどツボにハマったのか、誰もくすりともしようともしない輪の中でゲラゲラと笑い続けていた。
 注文書を受け取ると集団に向かって手を振りながら大丸の駐車場を後にした。当然、怒号と罵声を浴びせられながら。

 それから数日後。北条家の居間では怒鳴り声がバターになりそうなほど部屋の中を高速回転し、こだましていた。

「だから貴様は日本人かと聞いているんだ! ええ!? だったら何故私の書いた文字が読めないんだと聞いているんだ! 貴様、さては昨今雇われで世間を騒がしてる外人コールセンタースタッフだろう!? 日本の仕事を奪い腐ってからに! ええい、話にならん! もう五回もファクシミリしてるんだ! え!? もう結構ですだぁ!? ふざけるな、このポンコツオペレーターめが! もういい! 直接行く!」

 北条は怒りを込めた眼差しで部屋中を見回し、杖を手に取ると意気揚々と自宅を飛び出した。
 向かう先はもちろん、スーパー大丸なのであった。

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