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【小説】 なにを布施ましょう 【ショートショート】

 退屈な仕事を終え、退屈なオフィスを出て、退屈な街へ帰る。彼女もいない僕の日常には何らめぼしい変化は起きることは無く、それを打破しようとする気力もない。この世に生まれたばかりの頃は味のあったはずのガムも、噛み続けていたら味がなくなった。そんな毎日を過ごしている。
 いつものように改札を出て住宅街へ続く薄暗い路地を歩いていると、背の低い婆さんが道行く人に何やら声を掛けていた。
 あぁ、駅前で宗教新聞を配っている例の一派か、と思い、想定内の出来事にやはりつまらないなぁと思いながら、配っていた新聞を手に取ってみる。
 すると、婆さんは皺だらけの顔にさらに深い皺を浮かべ、嬉しそうににっこりと微笑んだ。

「これには本当の真実が書かれてるのよ!」
「嘘の真実なんて、あるんですか?」

 僕がそう尋ねてみると、婆さんは何やら神妙な顔になってこう囁いた。

「それがね……あるの」
「嘘の真実が?」
「そう! 国民はマスメディアに洗脳されているの! あれこそが嘘の真実なのよ。この新聞こそが本当の真実だから! 読んで頂戴ね。私の功徳も上がるから!」

 ははぁ、なるほど。布教をすれば功徳が上がる、という良くあるヤツだ。なるほど、実につまらない。
 どうせ死んだこともない教祖が喋り腐るあの世についての戯言を盲信しているだけだろう。
 僕は婆さんに新聞を返し、その日はつまらないまま一日が終わってしまった。
 
 翌日。仕事を終えて街へ帰ると、やはりあの婆さんが居た。
 昨日とは違い、道行く人々は婆さんが配るものに驚きつつも、皆受け取っている様子だった。
 一体何を配っているのかと思ったら、千円札を配っていた。
 少しだけ面白くて、僕もありがたく貰うことにした。

「あら、昨日のお兄ちゃん! あのね、教祖様が言うの。お金に対する執着が一番の恥なんですって。教団に布施したり、人に配れば功徳が上がるんですって! だからね、実践してるの。おかげで皆さんの嬉しい顔が見れて、わたしの功徳が上がっていることを実感しているわ!」
「そりゃ金ならみんな喜びますよ。どうせ後先短い訳ですし、使える体力も限られてるんですから、配った方が世の為です」
「ね!? そう思うわよね!? お兄ちゃんなら分かってくれると思ったのよ〜」
「じゃあ、明日僕に百万円用意して待っていて下さい。僕が使ってあげますよ」
「分かったわ! 明日またここに来て頂戴!」
「約束ですよ」

 翌日。仕事を終え、少しだけ楽しくなった街へ戻ると婆さんが封筒を持って薄暗い路地に立っていた。

「はい、約束のお金よ! これでまた現世から解放されるわぁ!」 
「はい、確かに。仕方ないけど、もらってあげますね」
「もっともっと、まだあるのよ!」
「本当ですか?」

 翌日、僕はつまらない仕事を辞めた。
 婆さんから大金を譲り受け、自堕落な生活に没頭する事にした。婆さんは大きな自宅までも僕にくれると言い出し、出て行った婆さんはボロボロの町営住宅に住む事となった。
 それでも喜んでいる様子だったから、痴呆が進んでいるのかと思ったけれど僕が困る訳じゃないからどうでも良かった。
 それから二週間後の事だった。
 女を買いに夜の電車に乗ろうと歩いていると、あの婆さんが薄暗い路地に立っていた。
 その手には出刃包丁が握られていて、楽しげな声でこう頼んでいた。

「この命が邪魔なの! 未練がましいったらありゃしないから、これで刺して頂戴! ねぇ、そこのあなた! これでわたしを刺して頂戴!」

 現世離れもここまで進むとは、宗教は凄いなぁと思いながら僕は婆さんを素通りした。
 翌朝の新聞で頭のおかしい無職中年により、婆さんは晴れて刺殺されたことを知った。
 財産をたんまり譲り受けた僕はどうやって日常のつまらないを解消しようかと考えていると、インターホンが鳴った。
 来客なんて珍しいと思いながら玄関を開けると、厳しい面構えの黒ずくめの男達が立っていた。

「大鳥さんですね?」
「はぁ、そうですけど」
「私達は浅井神明教の浄財執行部と申します。この家は未練があまりにも多過ぎるので布施をして頂きたく、参りました」
「何を言っているんですか? この家も、財産も、全部僕のものですよ」
「これでも、ですか?」

 目の前に差し出された紙は、僕がこの家を譲り受ける遥か前に書かれた「遺書」だった。
 おまけに、しっかりと「死後、教団に全てを布施する」と書かれている。

「この通りなので、執行します。従わない場合、痴呆老人を騙したとして刑事告訴します」
「そ、そんな……」

 こうして、僕は泣く泣く家を出るハメになった。
 最後に、執行部の人にこう尋ねてみた。

「あの世にはどうやったら行けるんですか?」

 僕の荷物を家から出しながら、執行部の人は真顔でこう言った。

「金次第です」

 とてもつまらない答えだと思いながら、僕は元のつまらない日常に戻ることにした。

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