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【小説】 当たりや日和 【ショートショート】

 三十五歳になる飯田勇作はこれといった定職に就かず、夕山おろしでガタつく生家の二階に在る自室で日長一日、持ち余したエネルギッシュを自己の性処理に費やして過ごしていた。

 両親はとうの昔に彼の改心を諦めていた。幾ら言っても一向にまともに働こうともせず、文句をつければつけただけ同じ数、彼にブッと飛ばされるのがオチなので改心を望む気力さえも失せていた。

「俺は俺が生きていける分稼いでるんだから、文句ねぇだろ。これだから、本当に昭和低能夫婦は困るんだよね」

 年老いた両親に暴力を働くたび、勇作は決まってそんなことを吐き抜かすのである。
 彼の言う「稼いでる」というのは真っ当な仕事ではなく、当たりや稼業のことである。

 彼が高校二年の夏休み、とある成功体験が持ち前の根腐れ性に拍車をかけた。
 図書館へ夏休みの宿題をやりに行った帰り道。日暮れに染まる赤城山を望みながら自転車を悠々と漕いでいると、尻で何かが爆破したような衝撃を受け、自転車ごと前方へすっ飛んだ。
 たまたま愛人と観光へ立ち寄っていた金持ち男の乗るセダンが、勇作を自転車ごと撥ね飛ばしたのである。

 金持ち男は焦った。相手の怪我のことよりも真っ先に、愛人との夜の予定のことが頭を過った。
 手塩も金もたっぷりかけ、ようやく群馬温泉旅行へと漕ぎつけた愛しの冬美嬢とのセックススケジュールが破綻したなら、もう生きていかれない。
 助手席で目を丸くする冬美嬢に「大丈夫だから」と声を残し、男は車を降りた。 
 自転車は農道の畔に落ち、乗っていた少年はまるで轢かれた蛙にように両手両足をおっぴろげた状態で道路に倒れていた。

「少年、大丈夫か?」
「う……うぅ……は、はい……」

 少年の命に支障がないことで安堵した男は起き上がった身体の肩にポンと手を掛けて、念押しした。

「このことは、警察にも、ご両親にも言ってはいけないよ? いいね?」

 そう言ってジャケットの懐から取り出した一帯(百万円)を少年に押し付けると、それを目で確かめた少年は大きく頷いて交渉は成立。
 これに味を占めた勇作少年は「当たりや」を稼業とするようになってしまったのである。

 巧妙なのが急ぎの商業バンやあからさまな社用車に狙いを付ける所にあった。駐車場から発進しようとするそれらの車によろよろと近寄ると、アクセルを踏んだタイミングを見計らって車にぶつかるのである。
 その際はサッカー選手よろしくとにかく派手に、大袈裟に転んで見せ、怪我を負わせたかもしれないという心理的負担を相手に強いるのだ。
 急ぎの相手はとにかく面倒は起こしたくないので、数万程度の詫び賃と引き換えに警察は勘弁してくれと懇願し、勇作は見事その目論見を果たすのである。

 その朝、勇作は上機嫌にスーツなぞに着替え、稼業の準備を済ませると意気揚々と老いた母親にこう注文をつけた。

「おい、女昭和脳。僕は仕事へ行くけど、どうせ暇なんだから掃除しとけよ」
「あぁ……いってらっしゃい」
「掃除の際、僕のオナティは絶対に片付けるなよ? 触れられると思うとゾっとするから。それから、机の上にあるペットのお茶はまだ飲むから置いといて。床に転がってる漫画は巻数を揃えて、タイトル順に棚に戻しておくこと。この前は頭文字Dが「か」の行にあったから、次間違ったら顔パンな。じゃ」
「あの……勇作、あの漫画の題名は、なんて読むのかね……?」
「ググれカス。じゃ」

 曇りがちな空には目もくれず、勇作は晩のたしなみのことに想像を膨らませながら田舎街を闊歩するのである。
 勇作は昨今東京に出来たという「アニメ声専門風俗店・あにま~る」に想像を巡らせていた。煌めく夜の街に向かって失踪する高崎線から眺める車窓、それも東京に入る寸前の辺りから妄想し始める。

「やっぱり大宮なんてクソ田舎だぜ!」

 そう小さく叫んで駅へ向かい、二つ離れた町で仕事でもしようと思った矢先、急アクセルで目の前の角から出て来た軽自動車に真っ当に轢かれた。
 身体は二~三メートルすっ飛び、腰骨の辺りに強い痛みを感じながら勇作は起き上がると、すぐに奇声めいた裏返った声を放つ。

「轢かれたぁ! イタイ! イタイタイ! 轢かれたぁ!」

 昼の住宅街に彼だけの声だけがこだまし、軽自動車から下りて来たハットを被った老人を抜け目なく、勇作はじっとりねっとりと観察し始める。
 仕立の良いジャケット、折り目のついたスラックス、そして完璧なほど磨き上げられた革靴。間違いない、金持ちジジイだ。これはラッキーだったぜ。
 そう思いながら、車から降りて来た相手をすぐに責め始めた。

「どこ見て運転してんだよクソジジイ! ジュウゼロだぞ、免許返納させてやるから覚悟しろ!」

 車から降りて来たジジイはハットを脱ぎ、馬鹿丁寧なほど深々と頭を下げた。

「これはこれは……大変申し訳ありませんでした……」
「申し訳ありませんで済むかこのポンコツジジイ!」
「あの……どうか、警察だけは勘弁してくれませんか? 嫁や子供にわーわー言われたら、本当に免許を返納しなければならなくなるので……」
「なら金だ! 金持ってこい!」

 内心しめしめ……と思いながら要求した勇作に、ジジイは頬を柔らかくした。

「それで済むのであれば、ぜひとも払わせて下さい……どうぞ、乗って下さい」
「ブラフだったら警察に訴えてやるからな!」

 腰に手をやりながら、軽自動車の助手席に乗り込むと車はぐんぐんと山奥へ、山奥へと進んで行った。やがてぽつぽつと点在していた家屋さえも途切れてしまった辺りで、勇作は違和感に気が付いた。

「おい、ジジイ。何処に向かってんだ? まさか耄碌してるんじゃないだろうな?」
「いえいえ。娘婿が山の上で建材屋をやっておりまして……その事務所へ向かっている所です」
「なんだって? 銀行でいいじゃねぇかよ」
「ジイはエーテームのカードを持たせてもらえんのですよ……」
「あっそう、娘婿に借りようって魂胆か」
「ええ、まぁ……恥ずかしながら」
「何がどうあれ、こっちゃ金さえもらえりゃどうでもいいけどよ」
「そうですか……素直で、助かります」
「はぁ? このジジイ、マジでバカ」
「いやはや……学もないジジイでお恥ずかしい……」

 そのわずか数分後。
 勇作は山奥に建つ建材倉庫の薄暗い一角に、椅子に縛り付けられ、猿ぐつわをされた状態で恐怖の為に強張る首を何度も何度も、横に振っていた。
 屈強な男数人と共にジジイは笑いながら、勇作にゆっくりと声を掛けた。

「こちとら学もないジジイだからよ、アコギな商売で飯食わせてもらってんだわ」
「んー! んー! んー!」
「ずいぶんと世間知らずなバカ坊ちゃんで助かったぜ。おい、後は任せたぞ」

 ジジイがハットに手を掛けながらそう言うと、野太い声の「うっす!」という返事が薄暗い倉庫に響き渡った。
 次に何かの大きな機械を作動させる音が鳴り始め、男達が勇作を椅子ごと持ち上げた。
 倉庫から出ながら、ジジイが歌うように呟いた。

「ヒノキになるか、それとも杉になるか、来年の春が楽しみだねぇ」

 んー! という勇作の絶叫は機械の奥へと追いやられ、数秒後には懇願する間もなく声は搔き消されてしまうのであった。

 その時間、勇作の母親は父親に「もう二度と帰って来なければいいのに……」と愚痴を溢していたが、父親は明るい声で返すのであった。

「たんまり払ったんだ、きっとうまくやってくれるさ!」
「そうかしらねぇ……うまくいって欲しいわねぇ」

 その望みは無事、叶うこととなるのであった。


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