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【小説】 美しき船乗り 【ショートショート】

 ある国の女王は平和で平穏な日常に退屈し切っていた。

 女王はあくびをしながら家来を呼びつけ、無用にその薄頭を羽のついた扇子でピシャリと叩くと、このように言いつけた。

「わらわは暇じゃ。おい、何か面白い話を聞かせい」
「面白い話ですか……。それならば、今ちょうど世界を旅する船乗りが帰って来ておりまする」
「何? その船乗りは面白いのか?」
「はい。世界を旅する彼は、この大陸には無い様々な景色を見ているはずです」
「ならば、その者を今すぐここに呼びつけい」
「はっ!」

 ちょうどその頃。毛むくじゃらで大男の船乗りは酒場で樽酒を呑み、大暴れしていた。そこへ突然現れた兵士達に捕らえられ、宮殿へ連れて行かれた船乗りはこんなことを言い出した。

「俺様は確かに乱暴者だが、命だけはどうか助けてくれ! 俺様にはまだ行かなきゃならない海があるんだ!」

 すっかり怯え切った船乗りの声を聞くと、兵士達は一斉に笑い声をあげた。

「何を言っている! 貴様はこれから女王陛下直々の願いを申し受けるのだぞ。光栄に思え」
「お、俺様に願い……ですかい?」

 宮室で待っていた女王は船乗りの大きな姿を見るなり、大きく頷き扇子で自分の膝をピシャリと打った。

「良い! 貴様は如何にも船乗りのようだな!」
「へ、へい。俺様はその、船乗りでやんして」
「ならば貴様が今までどんな荒波を乗り越え、どんな美しい景色を見て来たのか、わらわに話して聞かせよ」

 船乗りは辺りをキョロキョロしながら、かなりしどろもどろだったが必死になって海の外の世界の様子を女王に聞かせてみせた。

 体毛が自身の身体よりも長い生き物の話、宮殿よりも高い高い滝の話、手が届きそうなほど近く感じる星の話、そこで見た空を舞う光のカーテン。船乗りはその目で見て来たすべてを女王に話したのだった。

 話を聞き終えた女王は実に満足そうに頷くと、船乗りにこんな命令を下した。

「船乗りよ、貴様に船と人をやろう」
「お、俺様にですかい!?」
「当たり前だろう、他に誰がおる? 貴様はその船と人を使い、美しい景色を集めて再びわらわに聞かすが良い」
「わ、分かりました! よーし、俺様は俄然やる気が出て来たぞお!」

 そう言って船乗りはわっはっはと大声で笑いながら宮殿を後にした。
 数日後。船乗りは新しい仲間を引き連れ、新しい船で未知の大海原へと旅立って行った。

 船乗りは航海を終えるたび、その目で見て来たすべてを女王に話して聞かせた。女王は少女のように目を輝かせながら、とても満足そうな笑みを浮かべて上機嫌になった。
 船乗りはそんな女王の表情に機嫌を良くすると、ますますやる気を出した。

 やがて時は過ぎ、火の国と氷の国を訪れた五度目の航海話が終わった。
 すると、女王は小さく頷きながら船乗りの顔をまじまじと眺めた。

「もう、良い」
「ははぁ! では、次の美しい景色を探してまいります!」
「貴様。わらわはもう良いと言っている」
「女王様、それはどう言う……ことですかい?」
「わらわは散々美しい景色を堪能させてもらった。おかげで胸の中の腹がいっぱいじゃ。あとのことは良きに計らえ」
「そ、そう言われましても! 俺様は、俺様はこれからどうすりゃいいんで!?」

 大慌ての船乗りを眺めながら女王はクスクスと笑い、どこか楽しげな様子で船乗りにこう告げた。

「ならば、次はおまえが美しいものを見る番だ」
「お、俺様が……ですか?」
「貴様も目で見る景色はもう十分だろう。下がれ」

 呆然と立ち尽くす船乗りは兵士に肩を叩かれ、押し出されるようにして宮殿を出た。街へ出た船乗りはこれから先の目標を失い、完全に意気消沈してしまった。
 にぎやかな街の通りを抜け、フラフラと港へ向かう。

 船乗りはフラフラと、それでも一目散に五度も世界を旅した自分の船へと向かって歩いていた。
 港へ辿り着き、腕組みをしながらゆっくりと自分の船を眺めてみると、船体は荒波によって傷付いて木板がめくれ、カモメの止まる舳先は歪み、折畳まれたマストは所々が破れていた。
 その分の荒い海を、この船と共に乗り越えて来たのだ。

 船乗りがそうやって船の前で腕組みをしていると、街の方から数名の若者が走ってやって来るのが見えた。
 呆然とした表情の船乗りとは違い、若者達は皆どの顔も笑顔で活き活きと輝いていた。 
 彼らは船乗りの前で立ち止まると、威勢の良い声を船乗りに掛け始めた。

「船長、次は何処へ行きますかい?」
「俺ぁ準備万全ですぜ! 行きましょう、船長!」
「船長、西の方ならまだまだ進めますぜ」

 船乗りは彼らの言葉と、その表情に胸を打たれた。
 そして、船乗りは彼らに囲まれながらついに泣き出してしまった。
 それはこの世界の何よりも美しい光景を、ついに見つけたからだった。

 それからすぐに六度目の航海が始まり、船乗りはついに未発見の大陸に辿り着いた。その報告は女王を大いに驚かせ、それ以上に大いに喜ばせたのだと言う。

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