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変態について考える

明けましたね、おめでとうございます。
展覧会マガジンを抜きにして個人のエッセイとしては今年初になるので改めてどうぞよろしくの挨拶です。
今日は一発目ということで「変態」について考えてみました。
そうです、あの「変態」です!と言えるほど、変態の幅は狭くない。だからこそちょっと真面目に考えてみました。

冬を越して春になると、頭のおかしな人達が出て来ると言われている。これは民間伝承の口伝えみたいなものだが、少なくとも僕が住んでいる地方では昔からそう言われているのだ。

この「頭のおかしな人」にも色々な種類があって、所構わず宗教やマルチの勧誘をするヤツもいるし、単身ロータリーで絶叫しながら(国に対しての文句が多い)自転車を薙ぎ倒す輩もいる。
これらは人様に迷惑を掛けるという点で頭がおかしいというジャンルに相当すると思う。

では人様に迷惑を掛けないタイプの頭のおかしいヤツとはどんな者が当て嵌るのかと考えると、それは「変態」なんだろうなぁと思う。
ちなみに露出したり下着を盗んでしまったりで人様に迷惑を掛けるのは変態の風上にも置けぬ「変質者」と僕は定義している。

多様性がメインストリートになりつつあるこの時代において、変態の意味も変わりつつある。現代においての変態とは言葉の意味を越えた概念ですらある。
その概念の内側とは孤高(時に孤立)であり孤独であり、どこかネットリひっそりとしていて、人様には堂々とは言えないけれど有無を言わさぬ嗜みとしての余裕すら人に感じさせるものなのである(と思いたい)。

因みに変態性というのは程度の大小はあれど皆誰しも持つものだと思っている。
僕が一番驚いた「大」はビデオデッキでオナニーをする男性だ。映像ではなく、ビデオデッキという機械そのものに興奮し、基盤を見た日なんかには興奮が止まらなくなるそうだ。
理解も理屈も越えた境地、それはすなわち変態なのだろうと感じる。

では日常にありふれている「小」なる変態性に目を向けてみよう。アダルトビデオコーナーへ行き、棚に並んだビデオでは無くそこに立つ大人達をよく観察してみて欲しい。

「自己の欲求」というスコープで標準を定めながら一枚一枚慎重にパッケージを吟味する姿はまるで葡萄畑に立つソムリエのように見えるはずだ。
彼らはアダルトコーナーという畑のど真ん中に立ち、実りの風を感じているのだ。

特にジャンルによってその傾向は顕著に現れるので、自己の欲求から目を逸らさずガン見する人の姿を一度ご覧頂いたら何かしらの悟りが開けるかもしれない。
尚、コアなコーナーへ行くと人の笑い声が「あはは」から「ふひひ」に変わるのも注目ポイントだゾ!

これらは日常的に出喰わすことの出来る人が持つ変態性を具現化した現象である。
目で・見て・解る!というのはとても大切なことだ。

そんなことを抜かしている僕だが、紛れもなくある程度重症の変態だ。
しかし、変態とは自称するものではなく他人から与えられし称号であると僕は考えている。

ある日、ライブハウスでソロステージを行った。
その時使っていたのがメタル界隈で有名なギターメーカーのアコースティックギターで、市場ではあまり見掛けないものだった。

それを見たPAさんが

「えー、珍しいっすね!」

というので、

「ええ、変態なんで」

と答えたら

「変態って自分で言っちゃダサいっすよ。変態ってのは人に言われて初めて変態になるんですから」

と熱い眼差しで言われ、いやはやコレは……と猛省したことがあった。
そう、「変態」とはその異質な姿を俯瞰的に見た状態を指す言葉でもあるのだ。それは時として最高の褒め言葉にもなる。
音楽界隈では「変態性が高い!」なんて褒め言葉もあるほどだ。
これは何も西村とおる氏がバンドに在籍しているか否かとかいう話ではなく、その大半が音やパフォーマンスの話である。

そんな名誉ある言葉を人に言われもせずに自分から名乗るのは実は大変お恥ずかしいことなのだ。

因みに助平なこと=変態という定義になりがちではあるけれど、気が狂ったように何かを好きになったり何かに没頭出来る人、強烈な人類愛を持っている人、SDGsを人に押し付ける声のデカい人なんかも僕はある種の変態以外の何者でもないと思っている。

少し脱線してSDGsに関して強烈に時代に反した事を言うが、地球にも動物達にも「人間さん、エコしてね」なんて頼まれた覚えはない。それどころか地球なんて何も悪さをしていない生物達をほぼ絶滅させるような自然現象を過去に何度も起こしている。命の母は人間よりもよっぽどヤクザなのである。

話を戻そう。何を言いたいのかというと、変態は大概一度ゾーンに入ると人の意見を聞こうとしない傾向にあるということだ。
それこそが頭が回らないくらいハイになっている証であり、変態の証でもある。
コレは中々体力を必要とする行為であり、冬に変態が外へ出にくいのはエネルギーを消費したくないからなのだろうと考えた。
だから春になって暖かくなると変態は全力で変態をINGするのだと思う。

ちなみに僕も大切な人に「うわっ、気持ち悪い!」と言われてしまう事を平気でする変態性は持ち合わせている。
懐の広い伴侶のおかげで救われてはいるが、相手が違えば通報もの案件ではあると思う。

他者との「違い」なんて生ぬるい事ではなく、あからさまに他者と比べ「異質」な部分を自分なりに把握しておく為にも他者による指摘は必要だ。
その為には一度は己の変態を曝け出す行為が伴うが、それを「わぁ!変態だ!」と指摘される事によって「あぁ、私は変態なんだな」と確認する事が出来る。

確認が出来ると変態のゴリ押しや変態による行き過ぎた変態行為、または実害を伴う変態行為というものは減って行くんじゃないかなーなんて思ったりしている。

思い直すと小さい頃の通学路に

「変態が出るぞ!注意!」

と書かれていた看板があった。中々にダイレクトな文言だとは思うが、あれは児童にではなく「己を見つめ直せ」という意味で物陰に潜もうとする変態へ向けて書かれていたものなのかもしれない。

つまり、変態である皆さんが自己の変態性を認める事により世の中が少しだけ平和になる可能性だってあるんじゃないかと思ったのだ。
だから他人の変態を発見したら声を大にして言おう。

「わぁ!変態だ!」

と。

結果的に人類皆変態のような話になってしまったけど、僕はそう思っているのでどうか許してニャンなのである。

そんな訳で今年もどうか、よろしくお願いします。

大枝岳志

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