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手のない朝に

一年前のちょうど今頃、異常に早く咲いた桜の花が散って行くのを電車の窓から眺めていた。
家を出てから職場へ着くまで、街道には桜の木が一本も無く、いつ何処で咲いているのかも分からないまま気温だけが暖かくなるのを感じていた。

何処で桜を見たかと言えば、実家に帰る途中の車窓からだった。
やっと咲いているのを見つけたと思ったら、前日の天気と強風のせいで桜の花弁は完全な春を待たずに散ってしまっていた。
その時の光景が何だか目に焼き付いて、川辺に浮かんでいた無数の花弁を今でも思い出す。

父の具合も悪くなっていた矢先で、入院手続の為に実家へ帰った日だった。
地元の駅は駅舎だけは立派に建て替えられてはいるが人の気配はなく、春の曇天が人気のない街の上を音もなく覆っていた。

春を迎えてもこれと言って生活に変化はなく、淡々とした毎日を送っていた。
それからしばらくして、両親は実家を引き払って公団住宅に引越すことになった。
保証人になったり役所へ諸々の手続をしたりとバタバタしていたらどんどん夏が近づいて来た。

そうして今年もまた、桜が咲く季節が近付いて来ている。
満開の桜には出会えてはいないが、先日小さな桜の蕾と、その幹に咲く生命力に溢れる小さな花弁を見つけることが出来た。
かなり時間を掛けて散歩をして見つけた小さな光景に、一人ではなく二人で喜びを交換した。

一人ではなく二人で過ごす機会も増え、それは段々と日常へ変わって行く。
それは小さな手を取って起きたり、特別でも何でもない食事を摂る所から朝を迎える。

一年前を振り返ればとても考えられない日常を送ることが出来ている。
部屋で一人で食事をしていても何の喜びも湧きやしないが、二人なら「美味しいね」と声を交わすことが出来る。
風に揺れるタオルの数が増えたり、床を掃除している間に台所から洗い物をする音が聞こえて来たり、そんな少しの違いにそれが現実であることで喜びを感じたりもしている。

捨てたはず(のようだった)人生に少しずつ色が付く度、生きていて良いのだと思えるようになった。
今はどうだろう。
生きていても良いと思っているし、生きて些細なことでも幸福を感じることも出来ている。
小さな場所に宿る幸福を、雨風に晒さないよう守ろうと自然のうちに思えるようにもなっている。

一年前と今を比べた話をした時、こんなことを彼女は言った。

「戻れないから変化って言うんだよ」

その言葉に、大きく頷いた。
戻らなくていいし、ましてや戻る必要もない。
だから、今とこれからを生きたいと思えている。

小さな手はしばらくの間また離れ、朝を迎えるたびに何もない場所を手探りしている自分がいる。
独り身でいない事に違和感を覚え、独りでいた日々を思い出し、少しだけ笑いそうになる。
それはこの状況がシニカルで面白可笑しくて笑うよりも、ずっと何かを赦すような感情に近い笑いだ。

手のない朝に手紙を書いて、一日を始める。
過去と地続きの今を生きて、そして前に進んでいる。

今年の桜の色を想像して、もし見つけたなら手紙に添えて伝えてようと思っている。
そんなことが、今日も幸せだと感じている。

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